第5章:ピラミッド・フライホイール ——重力の蓄圧器
5-1:砂漠の巨大モーター
季節は、世界を無慈悲に焼き尽くさんとする、暴力的なまでの初夏へと加速していた。 エジプト、ギザの大地。 天頂に位置する太陽は、青空の色を白く塗り潰すほどの強烈な放射を放ち、地平線は激しい陽炎に揺れている。だが、その陽炎はもはや単なる空気の屈折現象ではなかった。クフ王の大ピラミッド全体が、巨大な超電導モーターのように低周波で不気味に震え、周囲の空間に、肉眼で歪んで見えるほどの重力異常を生み出していた。周囲の砂粒の一つ一つが、不自然な幾何学的規則性を持って空中で回転を続け、太陽光を反射してキラキラと不吉に輝いている。
徳永隆明は、汗を吸って肌に重く張り付いたツイードの作業着を苛立たしげに脱ぎ捨て、泥臭いカーキ色のタンクトップ一枚の姿になっていた。大学生の頃に土方のアルバイトで、巨大な鉄骨を担ぎ、灼熱のアスファルトを素手で均して鍛え上げた基礎体力。以来三十年以上、一日の欠かしもなく磨き続けてきた広背筋が、強烈なエジプトの日差しを浴びて、怒れる古代の彫刻のように不気味に浮き出ている。彼の皮膚には、砂漠の砂と機械油が混ざり合った、整備士の「戦化粧」が施されていた。
「見ていろ、玲子。ここのフライホイール(弾み車)は、もはや宇宙の回転軸から伝わるトルクの変動を吸収しきれていないんだ。宇宙というマシンの回転がガタつき始め、その異常な遠心力が、我々を縛り付けている物理法則の檻を、内側から突き破ろうとしているんだよ。重力定数が、振動のせいで一定値を保てなくなっている」
玲子は、砂漠仕様の白い高機能防護スーツに身を包み、特殊な遮光ゴーグルで目元を保護しながら、額に深い皺を寄せていた。彼女の陶器のような白い肌には、過酷な熱気のせいで薄い汗の膜が張り、その表情には隠しきれない本能的な恐怖と、徳永のあまりに物理的な説への困惑が入り混じっている。
「先生……ピラミッドが宇宙の回転を安定させるための物理的な弾み車だなんて、既存の考古学者が聞けばその場でショック死しますよ。それなら、この巨大な石組みの地下には、一体何が隠されているというのですか? 単なる王の墓ではないのでしょう?」
「墓? 冗談はやめろ。ここは巨大な『可動ジョイント』だよ。この地球という惑星は、宇宙という巨大な精密機械の、一つの回転節に過ぎないんだ。そしてこの巨大な石のピラミッドは、その回転エネルギーを一時的に蓄積し、重力という名の圧力として全地表へ配分するための、世界最大の蓄圧器だったんだよ。先人たちは、エネルギー管理の重要性を知っていたんだ」
5-2:止まっていた歯車との対峙
二人がピラミッドの最深部、観光客には決して公開されない王の間よりもさらに数千メートル深い、地殻の深部に位置する未発見の巨大地下空洞へと降りたとき、そこには数千年前の石造建築とはおよそ不釣り合いな、鈍い銀色に輝く巨大な歯車が横たわっていた。 直径は五十メートルを優に超える。その歯の一枚一枚が、都内の平均的なアパートの一室ほどの巨大な質量を持っている。 その歯車は、本来なら音もなく滑らかに高速回転し、宇宙の脈動を一定の周期で地球に伝えるはずのものだった。だが今は、不快な高周波の摩擦音を立てながら、一回転するごとに「ガクン、ガクン」という、地球全体を震わせるほどの凄まじい物理的衝撃(異常燃焼のようなノック現象)を発生させていた。
「……完全に固着してやがるな。黄道のベアリングが、長年の摩擦熱による熱弾性変化で膨張して、このフライホイールの滑らかな回転を阻害しているんだ。これが、君たちが連日テレビで騒いでいる『異常気象』や『地磁気の逆転現象』の正体だよ。地球の自転という名の出力が、宇宙メインシャフトの入力と噛み合っていない。クラッチが滑っている状態だ」
徳永は重い工具ベルトから、特注の冷却用液体窒素スプレーと、岩をも容易に粉砕する超硬合金製の巨大な金槌を取り出した。
「玲子、管理局のバックアップを使って、重力制御機の出力を最大設定にしろ! 私がこの歯車の固着した箇所を力任せに叩いて、物理的に噛み合わせ(クリアランス)を外す瞬間に、君が宇宙の『生体電圧』を調整して反動を殺すんだ。タイミングがコンマ一秒でもズレれば、エジプトどころか、アフリカ大陸ごと次元の場外へ放り出されるぞ。死ぬ覚悟はできているか?」
「……了解しました、チーフ・エンジニア。私のハッキング能力、人類の存続のために存分に使わせてもらいます。あなたのその、理論を無視して無駄に厚い大胸筋の耐圧性能を、最後に信じてあげますから!」
徳永が魂の奥底から響く咆哮とともに、自らの身の丈ほどもある巨大な金槌を、歯車の継ぎ目へと叩きつけた。 凄まじい衝撃波がピラミッドの石積みを根底から揺らし、地下空洞の空間そのものに黄金色の幾何学模様が、曼荼羅のような精緻な物理演算グリッドとして展開された。 ゴオン……! という、地獄の底で巨大な鉄柵が閉まったような重厚な音が響き、数千年ぶりに巨大な歯車が「正しい位置」へと滑り落ち、目にも留まらぬ速さで静かな高速回転を再開した。
「ハック成功だ、玲子! トルクが戻ったぞ!」
情報の奔流と静電気の火花が収まったとき、地下室には心地よい、巨大な機械が正常に回っている際の低い唸り(ハミング)だけが残っていた。徳永は荒い息をつきながら、片膝をついた。彼の剥き出しの背筋には、情報の摩擦熱による赤い回路図のような紋様が刻まれ、ゆっくりと、白煙を上げながら消えていく。
「……フライホイールのオーバーホールは完了だ。……だが、玲子。見ていろ。空の色が変わった。黄道十二宮を支えるメイン・ベアリングそのものが、いよいよ過負荷に耐えきれず、焼き切れやがったぞ。主軸が折れるぞ」
二人が急いでピラミッドの外へ這い出したとき、夜空では黄道十二宮の星座たちが、本来の軌道を物理的に逸脱し、互いに激しく衝突して火花を散らしながら、宇宙というマシンの「筐体」の外へと外れ始めていた。地球は、宇宙という巨大な歯車機構から切り離されようとしていた。




