神殿は沈黙した
神殿の奥には、記録室がある。
一般の信徒は立ち入れない場所で、分厚い石壁に囲まれ、外の音はほとんど届かない。そこでは毎年、役割授与の結果が正確に書き残される。誰が、いつ、どのロールを得たのか。どんな光を宿したのか。未来の歴史のために。
その日、記録室は異様な静けさに包まれていた。
神官長は机の前に立ったまま、羊皮紙を見下ろしている。すでに十数名分の名前とロールが書き込まれていた。勇者候補、治癒士、兵士、支援職。どれも想定の範囲内だ。
「……次は」
若い神官が、名前を口にしかけて、止めた。
沈黙が落ちる。
神官長はゆっくりと顔を上げた。
その視線は、羊皮紙の“空白”を見つめている。
「書かなくていい」
即答だった。
「ですが……光が」
「灯らなかった」
神官長は淡々と訂正する。
「灯らなかった、という事実を書き残す必要はない」
若い神官は唇を噛んだ。
神殿に仕えてまだ日が浅い。だからこそ、異常を異常として受け止めてしまう。
「ロールを持たない者が、存在するということですか」
神官長は答えなかった。
代わりに、低い声で言った。
「存在させてはならない」
その言葉には、個人的な感情は含まれていなかった。恐怖でも、怒りでもない。ただ、規則として。
この世界は、役割によって構成されている。
ロールを与えられた者だけが、因果の中に組み込まれる。
無色は、因果の外だ。
記録に残せば、世界はそれを「認識」してしまう。
認識されたものは、いずれ意味を持つ。
「意味を持たないものは、残さない」
神官長はそう言って、羊皮紙を丸めた。
その日の記録は、例年より一行少なかった。
神殿の外では、祝福の声が続いている。新しい役割を得た若者たちが、家族に囲まれ、未来の話をしている。
その輪の中に、無色の少女はいなかった。
神官たちは誰も、彼女の名を呼ばなかった。
呼ばれない名は、やがて忘れられる。
それが、神殿のやり方だった。
夕刻、神官長は一人、祈りの間に立った。
神に問いかけることはしない。
問いは、答えを必要としてしまうからだ。
ただ、確認する。
「世界は、正しいままです」
返事はない。
それで十分だった。
神殿は沈黙を選んだ。
それは、無色の存在を「なかったこと」にするための、最初の決定だった。




