93 涼姫様
◆◇Sight:アルカナ・フェルメール◇◆
「――という訳で、アルカナ。今日からお願いね。スズっちが地球にいる時はスズっちの護衛をよろしく。スズっちがフェイレジェに行ってる間は、休んでもいいし、何か仕事をしたかったらマネージャーの仕事もあるから」
ボクは風凛様に言われて、靴の踵をあわせて敬礼をする。
「はっ!」
「アルカナ、私は司令官でも王様でもないからねそんなに気張らないで。――あんまり根を詰める様じゃ肝心の時に役に立たないから、休憩は取ってね」
「はっ!」
ボクの体まで気遣って下さるなんて、この方たちはなんて優しいのだろう。
お母さんに狼藉を働いた人間たちと、本当に同じ人間なのだろうか。
涼姫様が何かソワソワしながらボクを見ている。
手を振るみたいにしながら、指も若干のたくらせている。
「どうしましたか、涼姫様」
「えっ、あっ、そのっ、なんでもないよ!?」
なんだかイケナイ行動を発見された子供のように、涼姫様がそっぽを向く。
手のひらも後ろに回した。
風凛様がため息を吐いた。
「スズっちは小さい子が大好きだから・・・大方、母性本能をくすぐられたのよ」
「それは、そにょっ、そうなんりゃけど・・・」
「アルカナ、スズっちが君の頭を撫でたいらしいわ」
涼姫様がそんな事を所望なさっているんですか!?
「なっ―――ど、どうぞ!」
涼姫様の顔が「ぱぁ」っと輝く。そうして尋ねてくる。
「い、いいの?」
「むしろ涼姫様なら大歓迎です! わたくしの頭で良ければ!」
「じゃ・・・じゃあ」
涼姫様が、ボクの頭を優しく撫でる。
「いいこ、いいこ――」
と言いながら、目を細めた。本当に優しい手つきで、涼姫様の心根が伝わってくるようだ。褒めながら撫でてくれるので、なんだかボクも自信がついてくる。
しばらく撫でたところで、涼姫様が風凛様に向き直った。
ちなみに桂利様は、既に仕事に入っているらしい。この星のパーソナルコンピューターらしいものを、猛然と叩いている――桂利様の指の動きが早すぎて、指が視えない。
「――風凛、この子ウチに泊まるって事?」
「そうね、24時間の警護だからね」
涼姫様がボクに向き直る。
「アルカナくん、服とか歯ブラシとか諸々お泊りセット持ってきてる?」
「あっ、申し訳有りません! なにぶん急だったもので、何も・・・」
「いや、別に謝らなくてもいいよ、急だったのは分かってるから。――じゃあ買ったげるから、近くのOPTビル行こうか。駅前なら何でも揃ってるから」
涼姫様の言葉に、急に風凛様が心配そうな顔になる。
「スズっちさん・・・駅前とか大丈夫なの? あの辺り、人通りが相当よ? ――」
風凛様が、チェック柄の――市松模様というのだろうか、そんな模様の時計を見上げた。
「――そろそろ、帰宅ラッシュの時間だし」
「が、頑張る」
なんだか、涼姫様の様子がおかしくなった。顔色が悪いし若干震えているような。
「大丈夫ですか? 涼姫様」
「だ、だいじぶ」
「もしかして、涼姫様は人の多い所が苦手なのですか?」
涼姫様が辛そうに頷く。
なるほど、じゃあ――ボクは胸をドンと叩く。
「安心してください! 涼姫様をありとあらゆる物からお守りするために、わたくしはここにいます!」
そんなボクの言葉に、涼姫様が「あ、ありがとう」と微笑んでくれた。
では駅のビルに向かおうという段で、風凛様がボクに微笑みかけた。
そうして「丞島、あれを」と言って、お爺さんに何かを持ってこさせる。
「これが君の制服ね」
制服だという物を広げると、お爺さんの着ている服を縮小したような物だった。シルクハットもある。
「執事服ですか?」
ボクが尋ねると、涼姫様の顔が素早くこちらに向いて目がキラキラしだした。どうしたんだろう?
僕の疑問に風凛様が答える。
「そう。案外その服って威嚇になったりするのよ。手を出したらヤバそうな奴だって感じで。シルクハットは、その目立つうかくを隠すためね。――あとスズっちさん、貴女の家に事務所の経費で防犯用監視カメラを付けるわ」
風凛様が言われると、涼姫様が怯える。
「わ、私・・・監視されるの!? 私を監視なんかしなくても、何もしないから大丈夫だよ!?」
「・・・・なんで貴女を監視するのよ、貴女の家に忍び込もうとする人間がいるかも知れないじゃない。――あとリイムちゃんを攫おうなんて輩もいるかも知れないし」
「な、なるほど、それは危ないね。うんお願い」
「アルカナ――執事服を見ても、手を出してくる馬鹿は一定数いるわ、その時は――」
風凛様が悪そうな笑顔になる。
「――やってしまいなさい。ただ相手に問題が有っての半殺しまでなら揉み消せるけど、殺しちゃ駄目よ? まあ貴方なら相手を傷つけないで取り押さえる位はできると思うけれど」
「了解しました」
なんかちょっと、怖い事を言われた。
こうして、ボクと涼姫様はOPTというビルに向かった。
途中、涼姫様に「様付けは止めて」と言われたが、これだけは断固拒否した。ボクにとって涼姫様は何者にも代え難い恩人なのだから。
その後、人混みに怯える涼姫様の手を取ると、震えが止んだ―――良かった。手を握るだけで、涼姫様の震えを抑さえられたのは本当に嬉しい。
涼姫様が、買い物袋を覗く。
「食器と、服と、下着と、歯ブラシ――シャンプーとかは私と同じでいい?」
「問題有りません! それよりそんなに沢山の荷物、わたくしが持ちます!」
「ああ、大丈夫」
涼姫様はあっけらかんと言って、持っていたピンク色に不思議の国のアリスのロゴがあしらわれた可愛い買い物袋を何処かにしまってしまう。
「え―――っ、荷物はどこに?」
ボクが目を白黒させると、涼姫様は微笑む。
「私〈時空倉庫の鍵〉を持ってるんだ」
「す、凄い・・・・あの貴重な道具を・・・涼姫様は本当に一流のプレイヤーなのですね」
「いや、そんな凄い事はないけども」
いえ、〈時空倉庫の鍵〉は本当に滅多に見つかる物でもないし、元は軍需品。――だから主に軍事拠点等で見つかる筈。
しかし軍事拠点は当然防衛装置が厳重で、手に入れるには相当危険が伴うはず。それを持っているのだから、十分な力を所持しているはず。
涼姫様はその事に気づいてはいないようだけれど。
ボクが涼姫様に敬服の視線を向けていると、涼姫様がなにかに気づいたような顔になる。
「あとは連絡用のスマホも買っていこうか」
「宜しいのですか!?」
「うんうん。この辺りは経費で落とすし」
「まことに有難うございます!」
「他に、欲しいものとか有る?」
大変ですお母さん。ボク、〝必要なもの〟ではなく、〝欲しいもの〟を訊かれています。
言い間違えでしょうか。いえもう、この数分で分かってしまったのですが、涼姫様の溢れ出る良い人臭というか。お人好しの臭いというか。
良い人通り越して、駄目な人というか。――目を離した隙に詐欺師に騙されていそうというか、トラブルに巻き込まれてそうというか。
「そこの君、ちょっぴりいい話が有るんだけど」
「えっ、な・・・・へっ?」
ほらっ。
こざっぱりしたフォーマルな感じの服を着ている男だけれど――隠せない心の悪臭。顔にシワとして刻まれた、他人を嘲り騙してきた人相の造形。
どこの誰が見ず知らずの人間に、いい話を持ってくるんだ。
「今、そこのビルで説明会やっててね」
ボクの世界でもいるんだこういうの。高い商品を安いと勘違いさせて買わせたり、マルチやネズミ講というのに参加させたり!
「いえっ、私、結構です」
「なに、結構良い感じって事?」
悪臭のする男が、涼姫様の腕を握った。
ボクは素早く涼姫様と男の間に入る。
「立ち去ってください」
「――なんだこのガキ。私は、ただ耳寄りな話をだね」
「涼姫様は要らないと申しています」
「様? お嬢様か何かか? ――あんたのお嬢様は、今、結構いい感じって言ったじゃないか」
「もしそうだからと言っても、勝手に女性の腕を握るのは――」
ボクは懐のハンティングナイフを回しながら取り出す。
もちろん、周りの人間には視えない角度で。
「――感心しませんよ」
「なっ、――お前っ、そんなもん出してどうするつもりだ!?」
「どうせ密室で詐欺紛いの話を、無理やり押し付けようなんて魂胆なんでしょうけど」
「ゔ・・・・」
男がたじろぐ。
「言付けされていましてね。半殺しまでならもみ消せると――試してみますか?」
「つ、付き合ってらんねぇ!」
震え上がった男が走り去っていく。
「こっちのセリフです」
「アルカナくん!」
涼姫様が膝をついて、ボクの体のあちこちをチェックする。
「怪我ない? ―――大丈夫!?」
「いえ、問題有りません」
「あ、相手の人も怪我させてない!?」
「もちろんです」
「そっか・・・・あんまりその・・・・ナイフとか、取り出さないようにね」
「はい、申し訳有りません。ただの威嚇でした。腕を捻り上げるより、相手にも安全かと思いまして」
「・・・・な、なるほど」
「しかし、今後は出来るだけ素手で穏便に事を済ませます」
「難しいかもだけど、頑張ってね」
涼姫様が立ち上がり「じゃあちょっと、ここは離れようか」と言ってボクの手を引いた。
そうして、移動したところで、涼姫様がボクに振り返り尋ねてくる。
「欲しいものない?」
お母さん、やっぱり〝欲しいもの〟を尋ねられているようです。
涼姫様がしばらく周りを見回して、何かを考える表情になります。
ややあって、顎に手を当て、
「そうだ――」
と、真剣な表情で呟きました。
「――ゲーム機」
ゲーム機?
涼姫様が、ボクに真剣な表情を向けてくる。
「要るよね、ゲーム機!」
何を言っているのでしょう、この人は。
やっと必要な物を尋ねられましたが、要りません。
ボクは護衛ですよ?
「いえ、あの・・・・涼姫様? ――」
確かにゲーム機は欲しいですが、ゲームをしていたら護衛が出来ないでしょう。
「――わたくしは護衛ですよ?」
ボクが言外に「何を言っているんですか」と言うのに、涼姫様は止まりません。
「だってほら、一緒にゲームしないと」
「なぜ必須事項の様に言っているんですか」
「ロボットに乗ったり、カートに乗ったり、アオリイカになって調子に乗ったり」
「とうとう、何を言っているのかすら分からなくなってきました」
「乗ろうよ! このビッグウェーブに!」
「いや、お泊り会じゃないんですよ!?」
「リイムもいるけど、淋しい家に弟が来てくれて嬉しいんだ!」
「お、弟!?」
涼姫様がボクの手を引いて走り出す。
ボクはなぜか、涼姫様の顔の翳りが少し払われていた気がしていた。




