386 レッツ! ソルダート!
シュネは、フェイテルリンク計画中にも様々な方法でアイリスを元に戻そうとした。
それはやがて、2つの酵素を生み出した。
その頃シュネは、銀河を星団帝国と二分する勢力――銀河連合の元帥になっていた。
「ボクは駄目だな」
シュネは、銀河の空白地帯に浮かぶ戦艦の中で母なる銀河を眺めていた。
彼女は続けている、アイリスと徹底抗戦を続ける星団帝国との対立を――時に協調を。
銀河連合と星団帝国は、時に協調はする。
だがシュネが何度忠告しても、星団帝国はアイリスを殺そうとすることを止めない。
だから人類は滅びの運命に突き進み続けていた。
滅びの足音は刻一刻と近づいている――だがシュネはどうしても止められなかった、一つでも多くの笑顔をすくいあげようと、その小さな手のひらを伸ばし続けた。
けれど、彼女の手にはこの世界は大きすぎて入り切らない。
こぼれる笑顔――こぼれる命、それらが後を絶たなかった。
その度にシュネは、すでに役目を終えたはずの心を軋ませ続けた。
主治医には「今の立場は、貴女には耐えられない」と何度も忠告された。
だが、シュネは手を伸ばすことを諦められなかった。
彼女の耳に、聞こえてくる――知らない人達の怨嗟の呻きや命令。
「主治医の言う通りだな――」
シュネがうつむいて、声を振り払うように頭をふるうと、報告に来た若い研究員がシュネに告げる。
「マザーMoBを人間に戻す方法は、未だ発見されませんでした。しかしマザーMoBのコアを分解する分解酵素と、マザーMoBのコアの力を弱める退化酵素が発見されました。前者はマザーMoBのコアになっている人間を殺します――ただ、マザーMoB自体が死ぬわけではないので・・・マザーMoBはコアを失っても活動を止めません。――マザーMoB自体は残って攻撃をしてくるでしょう。退化酵素は短時間ですが、マザーMoBの能力を半減させられます」
シュネは研究員に振り返って、尋ねる。
「その退化酵素というのは、先の報告によるとコアになっている人物を幼児退行させ能力を抑えると書いてあったけれど」
「はい。今回のマザーMoBの強さは、コアになっている人間の能力が大きいとシュネ元帥が仰っていましたので、そのコアを若返らせて能力を下げてしまおうという算段です。――ただ、100時間ほどしか効果はありません。さらに一度使うと二度と効果はありません。しかし100時間の間にマザーMoBを殲滅するのはどうでしょうか」
「100時間か――短いね・・・とてもじゃないが、今回のマザーMoBをその間に倒せるとは思えない・・・・前のやつなら・・・倒せた可能性はあるけれど。――今のような恐ろしいマザーMoBを作り出して―――本当に愚かどもめ」
「・・・・殲滅できないので、ありますか・・・」
「現在も星団帝国側がマザーMoBを倒そうとし続けるせいで、マザーMoBの脅威度が下がらない。予断は許さぬ状況だ――よし・・・なら、そうだね。マザーMoBをブラックホールに落そう」
「え――ブラックホールにですか!? しかしマザーMoBは精神生命体なので、無限の重力ですら死なない可能性があると――」
「違う、マザーMoBを殺すためじゃない。ブラックホールの中は時間が停止している。あそこなら、たった100時間しか効果のない酵素でも、ボク達にとっては永遠に等しい効果時間を発揮してくれる。マザーMoBを圧倒的に弱体化できるはずだ」
「なるほど! さすがシュネ元帥です!!」
シュネが大将に連絡を入れ、作戦を説明する。
「というわけだ。この作戦を、大将はできるかい?」
『可能かと思われます。――いえ可能です』
「では、本作戦を〝射手座オメガ作戦〟と名付け開始する。あとは頼むよ」
『はっ!』
シュネが研究員に向き直ると、尊敬の目が向けられていた。
シュネが「もう行っていいよ」と言うと、敬礼して部屋を辞去しようとする研究員。
しかしシュネが、思い出したように「いや、待ってくれ」と、声を掛け直す。
「君、分解酵素の方はボクが預かる。それから分解酵素の事は極秘だ――けっして情報を漏らさないように」
「へっ? ・・・・はい」
こうして開始された、射手座オメガ作戦は成功を収め、マザーMoBは射手座αに落着した。
「なぜだ――最後は、マザーMoBが自らブラックホールに落ちていったように見えたぞ」
「青い光球になって、光のような速さで降着円盤の奥に飛んでいった」
「これほど、あっさり」
シュネ元帥が静かに呟く。
〔アイリス、まっていて〕
やがてシュネ元帥は、自らの部下たちに向き直ろうとした。
「――これで暫く、マザーMoBの力が抑えられるだろう。人類の延命が――」
戦艦のブリッジで安堵するシュネの背中に、熱い感覚が起きた。
銃声が響いていた。
「な・・・・に・・・?」
振り向くと、青ざめた通信士が銃を構えていた。
「せ、星団帝国の言う通りだった! マザーMoBは死んだ! こ、これで良いんだよな星団帝国? これで約束通り、俺は・・・!」
辺りの兵士達が騒ぎ出す。
「帝国!? 裏切り者か!? ――こんな場所に!?」
シュネは自分の側に置けると思っていた通信士を、目を見張って観ていた。
辺りの士官たちがシュネを守ろうと走り出すが、間に合わなかった。
シュネの眉間に、さらに銃弾が撃ち込まれる。
星団帝国へ寝返った通信士は急いで取り押さえられたが、シュネの命は助からないだろう。
シュネは倒れ、血の海に沈み込んでいく――薄れていく意識の中、彼女は苦笑いをした。
〔アイリス、ごめん、こんな幕切れ。―――君は―――ボクを―――笑うかな。――信頼が・・・大切だって・・・君に・・・教えてもらった・・・・の、に・・・〕
――君はまだ生きているから、あの世でも会えないね――それは、ちょっと寂しい。
―――でも君が生きているなら――それは、とても嬉しい。
―――ああ。もう一度だけ・・・もう一度だけでいいから、アイリスとソルダートで競いたかった。
(―――ねえ、君・・・奇跡を起こしておくれよ―――)
祈るシュネの耳に、ふとどこからともなく古くさい列車の音が聞こえてきた。
血の海に沈んだままのシュネの目は見開かれたままだが、もう何も見えていない。なのにその瞳に光の世界が見えてきた。
シュネは、光の中に懐かしい人々の顔を見つける。
(あ)
シュネの意識が光の中を走って、懐かしい人達に駆け寄る。
血の気が失せた唇が、微かに動く。
シュネの声は小さく掠れ、誰の耳にも届かない。
〔なんだ――みんな、こんな所にいたのかい? ――えっ、ボクをまっていてくれた!? 〕
微かにしか動かない表情筋で、シュネが眉尻を下げ、口元を笑みにする。
いたずらをやらかした友人達を見つめるようなシュネの表情――友人との再会に喜び、次第に優しく慈しむようなものになった。
〔―――バカだなぁ、――流石にボクも予測できなかったよ――〕
だがシュネの瞳が、懐かしい人々の手元を観て、大きく見開かれた。
〔――そ、それは、新しい機体かい!? ――〕
それなら話は別だ、ここからは真剣勝負なのだから。
シュネの世界が、光に飲まれていく。
懐かしい笑顔を見せる、懐かしい顔たち。
〔――やっぱり! うんうん! じゃあ、さっそくはじめよう! ――〕
世界が白に染まっていく。
目を見開いたままのシュネが、最早動かない表情筋で微笑んだ。
手を何かを握る形にして、腕を震わせながら天に掲げようとした。
シュネと笑顔達が光りの向こうに掠れていく、包まれていく、消えていく。
(レッツ――)
光の中から、大きな声の宣言が反響した。
(――ソルダート!!)
シュネはやっと、本当にやりたかった事を取り戻した。やっと好きなことに自由に打ち込めるのだ。
それはきっと、いつまでも―――、いつまでも―――。




