367 アイリス
涼姫は少し驚いていた。
「アイリスの名字はヤチマタなの? アリスの子孫?」と。
だけれど大きな感情が湧いてこない――なにか感情を、誰かに抑制されている気がした。
けれど、アイリスを助ける理由が増えた事は確信していた。
「確かに、アリスとアイリスは似てるってずっと思ってたんだ」
タカモリ・コウヤが首をひねる。
「アイリス・ヤチマタ? 訊いたこと有るな。――まあ良いか、アイリスはそんだけ頭いいんだから指揮とか出来るだろう? ソルダートには指揮も大事なんだよ」
「指揮? バカバカしい。私は一年生。あなた達上級生は、私の命令なんて訊かないでしょ。あと、初対面で名を直接呼ばないで」
「俺なら、自分より優秀な作戦を組み立てる人間の命令は年下でも訊くぞ」
「他の人が訊かなかったら意味がない。そもそも私、戦いとか苦手なのよ。電子ゲームですら、銃で人を撃つと罪悪感を感じるのに。――というか、名を直接呼ばないで」
「シビリアンって、戦争シミュレーションだろ?」
「見た目はボードゲームだから、大丈夫」
「違いがよくわからないけど。じゃあ、お前は俺を通して命令すれば良い。部長の言う事なら誰でも訊くだろう?」
「ま、そもそも私は入る気がないんだけどね」
金髪の女子生徒が歩を進めだす。
そんな彼女の背中を視る、タカモリ・コウヤが首を傾げた。
「アイリス・ヤチマタ・・・・もう少しで思い出せそうなんだけど。――あ、平民で入学してきた女子生徒か」
アイリスは、大きなため息を吐いた。
アイリス・ヤチマタは平民出身だが、この帝立ユニレウス学園――貴族達の学校に奨学生として入学した。
アイリスが平民出身だから差別されるという事はない。
だがアイリスは、じんわりと薄い膜のような拒絶感を何時も感じていた。
そんな拒絶感は物理的距離となって発揮されていた。アイリスに好んで近寄ってくる貴族はいない。
それがアイリスを孤独にさせていた。
だからこの学校で自分に、団体競技など無理なのだ。
「って、待てよ! 部活の見学くらいして行けよ、―――なっ!」
そこでアイリスは、目を見開いた。
腕を握られたのだ。
「なっ!」
突然の事態に思わず、悲鳴を挙げて腕を引いた。
相手の腕を弾いて、叫ぶ。
「な、何をするの!!」
腕を握るなんて信じられない。
自分が平民だと知ると、誰もが距離を取った。
近寄ってくる者すらいなかった。なのになんだ、この人は!
「ああ、ごめん。いきなり握ったりして」
「それはいいですけど」
「なあ、見学くらいして行けよ。意見が変わるかも知れないだろ?」
アイリスは、不意に孤独な部屋に風が吹き込んできたような感覚を憶えた。
カーテンが揺れて青空から陽光が差し込む――そんな感覚だった。
それが少し心地よくて、思わず頷いていた。
「・・・じゃあ、ちょっとだけ」
だが、部室の窓の外からしばらく試合を見学をして、アイリスは呟いた。
「つまらない」
「マジかよ、今の戦い滅茶苦茶面白くなかったか? 一人が囮になって、もう一人が撃つとか」
アイリスは、先程の「命理&ネモ vs 海斗&コタニ」の戦いをみて欠伸をしてしまった。
海斗とコタニが部室から走り出た辺りで、アイリスは窓枠から離れた。
「今の、命理って人が囮だなんて見え見えすぎて。じゃあ、私はもう行くね」
「まった!」
コウヤは、廊下を歩んで図書室に向かうアイリスを追いかけた。
そうしてコウヤが、またアイリスの腕を握る。
「――っと、すまん」
アイリスがジト目になったので、コウヤは手を離して、謝った。
「なんで見え見えなんだよ、そんな素振りはなかっただろう?」
「あの試合場、建物とかのジオラマが動いて、毎回形が変わる感じ?」
「おう、凄いだろ?」
「さっきの試合場の形は、こうなっていたよね?」
アイリスは携帯端末を取り出して、四角形をいくつか書き込む。
正確な先程の試合場の再現に、コウヤは少し驚いて口笛を吹く。
アイリスは、淡々と説明しだした。
「遠距離で相手を打つ場合は、遮蔽物や高所という有利な物が有る場所から?」
「そうだな」
「近距離で交戦箇所になるのは、絶対に確保したい場所の取り合いや、狭い場所での遭遇戦?」
「ん、そのとおりだな」
「じゃあ、これは陣取りゲームだよね。有利になる場所を奪い、確保する」
「なるほど、そうとも言えるのか」
「そして、さっきのフィールドの形なら――取れば有利になるメインポイントは、ここと、ここと、ここの3箇所。メインポイントを狙撃できたりするサブポイントは、ここと、ここ」
アイリスが、左右対称で横に長い長方形の形をしたフィールドの左、中央、右と指し示す。
追加で、左右の有利ポイントの近くを指した。
「なるほど。自陣の高台、中央ロング、敵の高台メインポジションと、高台の側面を取れるサブポジションか」
「そして本来まずは、互いの陣営の中央ロングで交戦が開始されるはずだった」
「普通はそうだよな」
「ところが命理という人は、いきなり全力疾走――凄まじい速度で最短を走り、相手が中央どころか、高台に到達する前に敵の前に身を晒した」
「ああ」
「ここで、命理さんが高台の側面のサブポイントを取ったなら、私も『なるほど、押し込む作戦も有り得る』と考慮したかも知れない。あの戦いに興味を持てたかもしれない。だけど命理さんは側面を取らず相手と数発撃ち合って、不利になったら直ぐに撤退を初めた」
「命理はどうやら、側面を取れる有利ポジションに気づいていなかったな」
「そう。で、海斗先輩とコタニ先輩は、背中を見せて逃げる命理さんに対してチャンスとばかりに追いかけだす」
「チャンスと思ったかは、分からないけどな」
「分かるよ。チャンスだと思ってる――無警戒にまっすぐ追いかけたりして。こういうのをまさしく〝深追い〟って言うんだよね」
「手厳しいな」
「あとは相手の思うつぼ。海斗さんはロングで待機していた狙撃手の罠に飛び込んで、撃沈。海斗さんの後ろに姿が見えないコタニさんの奇襲は、読まれて終了。読め読め。――では、私はこれで失礼するね」
「しかし、命理とネモは操縦が巧すぎるからなあ。海斗とコタニじゃあ、ちょっと相手が悪い」
「確かにあの一年の命理とネモという二人は、操作が上手い。でも、それだけ。海斗先輩とコタニ先輩がきちんと作戦を練れば、ひっくり返せる」
アイリスが踵を返した。
「まったまったまった!」




