152 奇跡のような一瞬に、総てをかけて
「はじめ!」
「アリス、さてどうする。今の貴女が、私に勝てる?」
「勝ちますよ――涼姫と約束したんですから。貴女との約束は決勝に来ることで果たしました。今から涼姫との約束を果たします!」
「どうやって?」
みずきの姿が消える、現れる、消え――。
「面ェ――!!」
「残像を残される前に潰そうって事!? だけどこっちの隙を狙った訳でもない、隙を作って攻撃したわけでもない――そんな見え見えの攻撃は!!」
振り下ろされるアリスの竹刀。
あっさり躱す、みずき。
「そもそも、素人と変わらない! 問題外!! つまらない幕切れだよアリス! 胴――」
アリスが微笑むのが、みずきには見えた。
まるで〝この時を待っていました〟とでも言うように。
アリスの竹刀が反転する。
(燕返し!?)
アリスの竹刀が、振り上げられていく。
(何処を狙ってる!? ――小手!?)
アリスの竹刀が、みずきの竹刀に絡んだ。
(違う!! ――アリスの〝手の内〟が軽い。小手じゃない―――これは―――しまっ――)
アリスが左手を筒のようにして、右手を廻す。
竹刀が捻るように回転、みずきの竹刀に蛇のように絡み、
(――すり上げ!!)
弾き飛ばした。
みずきの口から、小さな呻きが漏れる。
「不味――」
アリスの竹刀が、みずきの竹刀を下から絡み弾き飛ばした。
みずきの竹刀が、体育館の宙空で回転した。
アリスが自分の竹刀を、勢いのまま振り上げる。
竹刀が頂点で反転――高身長の上段から、轟音を鳴らすような一撃が振り下ろされた。
竹刀を失ったみずきが、慌てて腕で面を庇うが、
「小手ェェェェェェ!!」
振り下ろしが炸裂した。
「一本!!」
「痛ッッッッッッ!!」
みずきが、小手を押さえながら涙目で飛び跳ねる。
「痛い痛い痛い痛い!! だから、アリスの小手は、痛いって!!」
文句を言うみずきに、慌てるアリス。
「あ―――ご、ごめん!」
「大体すり上げとか、卑怯者!」
「それは、予想してないから悪いんです」
「ヌググ」
じゃれ合う2人に、審判が注意する。
「両者、開始線に戻って」
アリスが慌てて、白線に戻る。
みずきが竹刀を拾って、白線に戻った。
向かい合う2人。
みずきが呟く。
〔この土壇場で、なんて事をするんだ・・・・いや違う、油断したわたしが悪い。――相手はもう、初めて竹刀を合わせた時のような、油断できる相手なんかじゃないのに。春に出会ったアリスのすり上げなら、わたしは絶対に食らわない。通用しなかった――それが通用したってことは、そういう事〕
みずきが微笑んだ後、息を吐いて目をつむる。
「楽しい試合だ」
みずきは静かに静かに、明鏡止水に入っていく。
立ち上がる、みずきの巨大なオーラ。
だが最早、アリスは怖気付かない。
「これで一本同士――イーブンですよ。後はありませんよ」
「それは、そっちも同じ」
次に一本取ったほうが、日本一。
けれど、そんな事より。――2人はおもう。
「「貴女に、勝つ!!」」
二人が目標を口にした。
日本一なんかより、今この本気の親友に勝ちたい。
「お前に負けるか」でも、「わたしの方が強い」でもない。
〝――貴女に勝ちたい〟。
親友だから、大好きだから――!
これは剣士として――女剣士として――時代遅れの侍として、誇りをかけた――命の取り合いより真剣な戦い。
「ヤアアアァァァアアア!!」
「タアアアァァァアアア!!」
2人の気合が炸裂する。
まずアリスが、視線を仕掛けた。
アリスの視線が全体をみるともみない、千里の彼方に視線を送る。
アリスの〝よそ見〟は、この短い時間で進化した。
だが、みずきは掛からない。
みずきからアリスに返ってくる、
「よそ見? するもんか、最強のライバルから目を離すもんか」
という答え。
対してみずきも仕掛ける。消える動き。
だが返ってくる、
「見えない訳がない、見えるに決まってる。もう、目標を見失ったりしない」
そんな思い。
心技体。
心は、互いに十全。
2人は思う。
(技は、みずきに一日の長が)
(体は、アリスに分が)
みずきが、竹刀をゆっくりと下げた。
構えを変えた。
会場がざわつく。
みずきが取ったのは、下段の構えだ。
それは剣道において脇構えと同じく、最弱に分類される構え。〝役に立たない〟とすら言われる構え。
だが、アリスは電撃を受けたように背筋を伸ばす。
それはアリスがかつてみずきの前で上段の構えをした事で、みずきが受けたような衝撃に似ていた。
アリスが笑う。
「もう、胴しか狙わないって訳ですか」
アリスが上段に構えている今の状態では、みずきが取った構えから狙えるのは――胴のみ。
面も突きも遠すぎる、アリスが上段の構えであるのだから、小手も頭上だ。
みずきが応える。
「得意をぶつけ合うんだ」
「ですね」
アリスとみずきが、しずかに――ゆっくり、長く息を吐く。
二人の呼吸音すら響き渡りそうなほど、静まり返る体育館。
観客も審判もアリスの祖父エリオットも涼姫もみな、呼吸を忘れていた。張り詰めた緊張があった。
先に仕掛けたのは、攻めの剣道を自負するアリスだった。
このレベルの戦いでは先行不利、そんなのは分かっている。けれど――「後出しジャンケン上等!」、と。
「面ェェェエエエ―――」
迎え撃つみずき。
「胴ォォォオオオ―――」
普段の物静かな彼女からは、想像もできないほど張られる声。
聞いた人間が、すくみ上がりそうなほどの張り。
みずきの腹の底から、相手の脳髄まで真っすぐ轟く気合。
みずきが、体中――あらん限りの力を振り絞る。
(アリスの体に追いつけ!)、と。
アリスが踏みこむ。
(みずきの技に追いつきたい)、と。
そして――みずきは見た。アリスが左足を前に出すのを――後ろ足を前に持ってくるのを。
みずきが、奥歯を噛みしめる。
アリスが足を組みかえた分、竹刀が早く深く潜り込んでくる。
(まだ、こんな技を!!)
技のないアリスが、みずきに追いつくために考えに考え抜いた作戦。
みずきが、胸で叫ぶ。
(届け、貴女にどどけ!! わたしの体よ、今一瞬に全てを出し切れ!!)
みずきの腕の筋肉が悲鳴を挙げて、筋繊維が引き千切れ始める。
アリスの太刀が頭上から迫る。
みずきの心が、叫ぶ。
(まだだ、まだ出る!! まだ出せる―――ッ!!)
―――心技体、いや―――魂すらこめて。
「ェェェエエエェェェ――」
「オオオォォォオオオ――」
アリスが膝の力を抜いた、アリスの体が沈む。まだ早くなる。
(アリス――貴女―――ッ!!)
そんな術理にまで、自分で至ったのか。
みずきはアリスの用意した技が、自分の予想を遥かに上回っていた事に気づいた。
だから親友へ対する理解度、尊敬度が勝敗を決めたと気づいた。
わたしはやはり、一度勝った者として――親友への理解と尊敬が下回っていた。
それが――
体育館に、面を打ち抜いた音が反響した。
続いて、胴。
「一本!! それまで!!」
勝敗は、決した。
(アリス―――だけど許して欲しい。それは一方で、勝った者の矜持でもあったと)
会場が拍手に覆われていた。
「優勝、八街アリス」
賞状を受け取ったアリスが、すべての人に向かって頭を下げる。
みずきが包帯を巻いた左腕に、右の手のひらを当てて拍手にしている。
「今回は負けたよ、アリスの方が一枚上手だった」
アリスは負けを認めたみずきに、なぜか挑発するように笑った。
「これでバーサスフレームでも、剣道でもわたしの勝ちですね!」
みずきが目を見開いて一瞬俯いた。
――やがて俯いた顔が、笑顔に変わって挙げられる。
「ぜったい、バーサスフレームでボコす!」
二人の視線が絡んで笑いあう。
何のわだかまりもない笑顔、全てを出し尽くした者達にだけ出来る、晴れやかな表情。
「準優勝。立花 みずき」
みずきが賞状を受け取り、誇らしく笑った。
今までやれるだけのことをやってきた。それを全部出し切った、だからこの2位を何ら恥じることはない。
かつてみずき自身が、白泉から何度も舐めさせられた2位という辛酸。
みずきが「一番悔しい」と語った2位が、今は誇らしかった。
――だが、甘んじるつもりもない。
「次は勝つよ、アリス」
「王者は挑戦から逃げません」
「言うじゃん、チャンピオン」
「拙者も、負けないでござるよ」
突然割り込んできた、隣の白泉が笑う。
彼女はアリスとみずきの戦いをみて、一瞬、もう二度とみずきには勝てないなどと思った。
――だけど違う、互いに高めあうアリスとみずきを見て、このまま負けたままでは居られないと思ったのだ。
「3位。白泉 結菜」
「拙者は精進を忘れない!」
「同3位。中岡 うらら」
こうして会場が拍手に包まれる中、白泉がこっそりアリスとみずきにだけ聞こえる声で宣言する。
「つぎは、フェイテルリンクで会おうでござる。拙者がマスターをするクラン、空挺師団第3小隊・叢雲をよろしくでござる」
空挺師団――フェイテルリンクの日本4大クランの名前がでてきて、目を丸くするアリスとみずきだった。
驚いたあと、アリスは笑顔を向けようと涼姫の姿を客席に探したが――その姿はどこにもなかった。
◆◇◆◇◆
涼姫は体育館の外の駐車場で、アリスに会わずに帰ろうとする紳士に、涼姫の祖父がイギリスをなぜ去ったのか。約束を破ったのかを伝えていた。
「エリオットさんと会社を大きくしようと約束した祖父ですが・・・出資者が見つからなかった」
「ああ、私達は絶望したよ。間違いなく売れるアイデアなのに、お金が足りないと」
「そこで祖父は、当時経済が好調だった日本にチャンスを探しに行きました。そうして出資を取り付けたのですが・・・交換条件は祖父が出資してくれた会社に務めることだった」
「・・・・なっ」
涼姫の言葉に目を見開いたあと、呆れたように眉尻を下げる紳士。
「――そうか―――そうだったのか。ならば手紙の一通でも寄越せばよかったのに」
「祖父は、申し訳なかったんだと思います。約束を破ってしまったことが、言い訳出来る立場なんかじゃないと」
「まったく、カイは――なんて頑固なんだ・・・」
「・・・すみません」
「いや、謝る必要はないよ。私だって頑固だったのだから。――そして、アリスと立花さんの試合を観て分かったよ。私に足りなかったのは・・・友を信じることだったんだ。と・・・あんなに楽しそうに真剣に――夢中で親友と打ち合う姿を見せられては、ね」
「・・・私の祖父をそんなに好いてくれて、ありがとうございます」
「ふふっ。――私は本当はね、嫉妬していたんだよ。カイを奪った日本に、『カイを返せ』と。だから・・・嫌いになった。嫌いになるしかなかった。そして息子が駆け落ちする原因を作り、アリスとアンが引き裂かれる原因を作った」
そこで、涼姫がちょっと戸惑うような表情になって告げる。
「――あの」
「ん? なんだい?」
「もしかしたらなんですが、いいですか?」
「もちろん、構わないよ」
「・・・私、思うんです。海おじいちゃんが、私をアリスと引き合わせたんじゃないかって」
「カイが・・・・? どういう事だい?」
「私がアンさんを負かさなかったら、きっとアンさんとアリスは今でも仲直りできていませんでした。海おじいちゃんは『エリオットさんが日本人を嫌いになる原因を作ってしまったのは自分だ』その為にエリオットさんは、ジョンさんを駆け落ちさせてしまった。だから、私にアリスを引き合わせて『アンさんと仲直りさせてあげて欲しい』って」
エリオットさんが息を飲んだ。
私は続ける。
「アリスと私の出会いって、凄く偶然なんです。――同じ学校にならなかったら。――あの日、アリスの自転車が壊れなかったら――あの日、私がアリスの前に立たなかったら――始まらなかった出会いなんです。それに――あの日、私の動画がたくさんの人に知られていなかったら、今みたいな関係になれていたかも分かりません」
アリスはなんか、いずれ私には話しかけるつもりだったみたいな事言ってたけど・・・「運命はもっと前から」とか。
エリオットさんの双眸が、崩れていく。
「・・・そうか・・・・そうか・・・カイなら・・・・そうだ、アイツはそんな事をしそうな男だった。――カイは・・・・見守ってくれていたのか。―――アリスを、アンを・・・・孫たちを、」
エリオットさんが俯いて、ハンカチを取り出して、目尻を拭った。
そして顔を上げて、穏やかな笑顔になる。
「ありがとう、あわてんぼうのお嬢さん。君のお陰で、私の長年の胸のつかえは綺麗さっぱり消え去った」
「い、いえ」
エリオットさんが、空を仰ぎ「そうか、カイが・・・ありがとうな、カイ」と言ってから体育館の方を見た。
「二人の試合、凄かったよ。アリスは、私に認められたいから戦っていなかった。――ひたすらに、二人で大好きな相手を追いかけ合っていた。――私はあそこのどこにもいなかった。だから良かった―――本当に良かった」
涼姫はこの言葉に返す物を持っていなかった。―――ただ黙るしかなかった。
すると、紳士は涼姫に、再び穏やかな笑顔を向ける。
「良かったら、孫に伝えて欲しい。『優勝おめでとう』と」
紳士の言葉に、涼姫は喜色を咲かせる。
「はい! 喜ぶと思います」
「それから」
紳士は、西の青い空を眺めた。
「『いつでも、故郷へ戻っておいで――お母さんと』と」
涼姫は刹那、喜びと驚きの息を吸う。
かくして、それは勢いよく声になる。
「―――はい!!」
涼姫は、眩しそうに紳士を見つめるのだった。




