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お久しぶりです。連載再開します。
また是非ご贔屓にお願いします。
「さァて、とんでもないもの託してくれたな」
王都のギルドマスターという誉れ高い地位につく男は、使い込んだ革のチェアに深く体を沈めた。
きい、きいと軋む音が鼻につく。ネズミか何かに嘲笑われている気分だ。
「見て見ぬふりしていた罰ってか」
ハルバートが寄越してきた紙片を額に当て、天を仰ぐ。
彼ら、ハルバートとアメリアの間に何かがあるだろう、ということには気がついていた。
二人には表立った接触はないものの、ハルバートがアメリアを意識しているのは確実だった。
焦れるような、憤るような。
何をそんなに念のこもった湿っぽい視線を女子にくれてやるのだ、と怪訝に思ったのがきっかけだった。
さては片想いか、はたまた秘密の関係か。
アメリアのほうがシッポを全く出さないため見定めが難しかったものの、ハルバートが即答で砂の国に旅立ったあたりではきっとハルバートの片想いなんだろうと思っていた。
その後アメリアが妊娠し、神から二物も三物も与えられたあの男が苦い失恋を期すのか、と奥歯を噛み締めたところに今度はハルバートの結婚話ときた。
なんだなんだオジサンはさっぱり分からん、
とののんきなセンチメンタリズムはアメリアの息子、マテオに会った瞬間に吹き飛んだ。
マテオは赤子ながらハルバートそっくりだった。
特に瞳の色と少し目尻のつり上がった眼差しは縮小コピーのようで、むしろなぜ周りが気付かないのかが不思議なくらいだ。
アメリアがハルバートの子を産み、
ハルバートは貴族の姫と結婚する。
どこをどう切り取っても誰かが泣く構図に頭を抱えたが、当事者でもないのに何かできる訳でもない、と思考を放棄したのだった。
「ハルバートめ、俺も当事者に巻き込みやがって」
『蒼の隊』は望まぬ婚姻に抗議するため職務を放棄する。
ストライキが成功するかは交渉役の腕次第だ。
ギルド長として、いち魔術師として、そして自らも貴族の一員として。
秘書のナタリーに声を掛ける。
「ナタリー、俺はしばらく実家に帰る」
「ギルド長、休暇ですか?」
「いや、少しばかり闘いをな」
「はい?緊急時の連絡はどこへ?」
「スウェイン公爵家に頼む。本邸でいい」
「かしこまりました」
スウェイン卿、と呼ばれる男は乱れた髪を撫でつけ、貴族の顔でギルドを後にした。
ーーーーーー
「おーい!そこの飛んでる魔術師様!
ちょっと手を貸してくれないか!」
眼下で大きく手を振る人影を認め、
ハルバートは面倒なことに、と顔をしかめた。
ハルバートは南に向かい、なるべく街道から離れたところを飛行していた。
湖を囲む小さな森を見つけ、なかなかいい景色だとちょっと高度を落として見物していたところ、誰かの視界に入ってしまったらしい。
無視する訳にもいかず、空飛ぶ反物をひらりとなびかせて降下する。
「ああ助かった、人に会えた」
大げさな身振りで胸を撫で下ろしたのは、ひょろりと背の高い細身の若い男だった。
「引き留めてすまない、魔術師様。
この湖畔で野営していたんだが、
夜分に突然近くの木が折れたんだ。
身体は全く問題ないんだが、あのとおりで」
男が肩を竦め視線をくれた方向では、大きな荷馬車に折れた大木がのしかかり、にっちもさっちも動かなくなっている様が見えた。
「なるほど、馬に問題はないか」
「ああ、幸い僕と湖畔にいたからね」
面倒事ではあったが、ここで見捨てて飛び去るほどハルバートは冷徹でもない。
馬車の周りを見聞しながら、解決案を考える。
「荷の内容は?」
「商品としては織物や染物の生地が主だ。後は僕の旅道具の類」
「なるほど。それならば重量は木のほうが上か」
「どうだろう、自慢じゃないが僕の荷馬車はしっかりした作りだからね」
「まずはやってみよう」
持ち上げる対象が今回のように重量がある場合、ハルバート自身を起点とした風魔法での対処は難しい。かといって木に翼を付与しようにも、周囲の木々に翼が当たって羽ばたけず浮かせるのは難しいだろう。
「土でいくか。馬を繋いでくれ」
「わかった、力を貸してくれてありがとう」
ハルバートが考えた作戦はこうだ。
土魔法で細い土柱を作る。その先端をU字に成形し、大木を把持し持ち上げた隙に馬に荷馬車を引いてもらう。
「だが不十分だ」
このあたりの土は落葉樹が生み出した腐葉土で、柔らかく脆い。大木を持ち上げるには土柱の強度が足りない。
そこでハルバートは、土柱に染み込ませるように少量の水魔法を織り込み、ぎゅっと土を固めた。
「さあ。長くは持たない。行くぞ」
力を込めて大木をぐぐっと持ち上げる瞬間、
「行け!」
男がすぐさま指令を出し、ヒヒンと高くいなないた馬たちが土にめり込んだ車輪を力強く動かした。
幸い車輪は滑らかに土を蹴り、大木の下から抜け出すことができた。その直後に土柱は崩れ、ドシンと大きな音を立てて大木が地面に横たわる。その音に驚いた樹上の鳥たちがバタバタと飛び去って行った。
………パチ、パチと焚き火の中で薪が爆ぜる音を聴きながら、ハルバートと男は温めた葡萄酒を口にしていた。
助けてくれた礼に食事を馳走する、との男の提案に乗り、今日はこの湖畔に野営を張ることにしたのだった。
「いやはや、凄いものだな、魔術師様とは」
男はイアンと名乗った。
商会に所属しながら商人としての修行中だという。とある街からの貴重な商品の仕入れを任され、張り切って請け負った帰り際の出来事だったという。
「魔術師の仕事を見るのは初めてか?」
「いや、この国の人間で魔術師様の恩恵を全く受けていない者はいないだろうよ。でも、そうだな、間近で見たのは初めてかもしれない」
ずず、と木製のマグを傾けて、イアンは笑った。
「しかし僕は、魔術師様というものを勘違いしていた」
「ほう、とは?」
「魔術師様といやあ、万物の理から抜け出た何でもアリの人間だと思ってたのさ。神に愛されたズルい人種だとね」
「はは、違ったか?」
「だって、あんた凄く考えてたろう。
ああでもない、こうでもないって考えて、ベストな道を探ってさ。なんだ、普通の職人とおんなじだと思ったよ」
「その通りだ。
扱うものが違うだけで、鍛冶師や大工と何も変わらない」
イアンの歩み寄りを嬉しく感じたハルバートは、勧められるがままに食べ、酒を飲み、語った。
イアンは魔術学園や就職試験、またギルドでの依頼内容について興味を持って聞いてくれた。
彼もまた、市井の子が通う学園での暮らしや商人としての暮らしについて語った。
また同世代の男としては自然な流れであるが、妻はいるのか、家族を持ちたいか、子を設けたいか、といったプライベートにまで話は及ぶ。
ハルバートは自分の立場は伏せながらも、長期任務から戻ったら恋人が子持ちになっていて、しかも産後魔力減退で左遷されていたことも勢いに任せて吐き出した。
「とんでもねえ悪女だな、その恋人ってのは!」
イアンは憤った。
分厚く切って炙ったベーコンを鋭い犬歯で勢いよく噛み切り、なおも吠えた。
「産後魔力減退!
そりゃ因果応報ってやつだ!悪女に天罰が下ったわけだ!」
悪女?
アメリアが?
あのアメリアが、悪女?
「はは、ははは、はははは」
「おいおいどうした、魔術師様よ?」
イアンはもごもごとベーコンを咀嚼しながら、
突然笑い出したハルバートを怪訝そうに見る。
「はははは、いや、可笑しくてな。
彼女は悪女などではないぞ。
彼女のことを知る者であれば、10人いたら10人善人だと言うだろう」
「いやそんなことはないだろう。
ちゃんとした別れ話もせずに勝手に恋人を捨てて、それでいて自分だけさっさと幸せになろうってんだろ?」
ハルバートの頭の中を、アメリアの言葉が駆け巡る。
『私たち、もう無理だと思うの』
『土台無理な話だったのよ』
『私はもう、あなたに姿を偽らせたくない』
…別れ話、か。
あったじゃないか、彼女はハルバートを拒否した。
それをハルバートが聞き入れなかっただけだ。
「いや…違う、違うんだ」
「…おいおい、どうしたんだよ」
鼻の奥がツンと染みる。
「俺が愛想を尽かされただけなんだ」
アメリアは平穏を愛する女性だった。
それはハルバートもよく分かっていた。
だが自分が彼女にしたことはどうだ。
自分が目をかけたせいで、酷い嫌がらせに遭った。
魔術師になる気のなかった彼女を、自分が引っ張り込んだ。
彼女は魅力的な若い女性だというのに、ずっと交際を隠させた。
挙句の果てには、3年間も離れ離れになることを勝手に決め、彼女からの最後通告に激昂して身体を傷つけた。
もしかしたら、ダフネ嬢との婚約の話だって、あの様子だとアメリアの耳にも入っていたかもしれない。
「俺は…」
そこから先は言葉にならなかった。
代わりに次から次から涙が落ちてきて、俯いたハルバートの膝を濡らした。
「おいおい…何があったかは分からんが、
とりあえず今日は泣くがいいさ」
イアンに乱暴に背中を擦られ、さらに涙の粒が散る。
「アメリアに謝りたい。
だが、家族を得た彼女はきっと、俺に会うことを望まない」
ハルバートはやっと腑に落ちた。
アメリアの退職は自分から逃げるためだったのか。
急な長期出張とは、予定外に早く帰ってきてしまったハルバートから、アメリアを逃がすためのものだったのではないか。
頭のどこかで、そうではないかと思っていた。
でも、認めたくなかった。
アメリアはまだ自分を待ってくれていると、信じていたかったのだ。
「すまない、イアン、みっともないところを見せた」
「なんのなんの。
こっちこそ悪かったよ、因果応報なんて言って。
俺の仕入れ先のギルドにも、産後魔力減退の女性魔術師がいるんだ。
ハツラツとしたいい人で、世話になってる。
彼女に顔向けできない恥ずべき発言だった」
「そうか。その女性魔術師は幸せそうか?」
「ああ、今は魔力もだいぶ回復して、
しっかり仕事もしてるよ」
「そうか…。彼女もそうあればいいと願うよ」
「そうだな」
ハルバートは月光が煌めく湖面を見つめた。
波に砕かれ細かく揺れるその光は、アメリアのあのレース編みを思い出させた。
あるいは、アメリアという女性そのものを。
「で、魔術師様はどうすんの?
このまま身を引くわけ?」
「どうするも何も、それしかないだろうな」
「顔も見ず、話もせずに?
それって踏ん切りがつくのか?」
「いや、踏ん切りをつけるどうこうではなく、
現に逃げられている訳だし…」
「俺は思うんだが」
イアンは背筋を伸ばし座り直すと、ぐぐっと葡萄酒を飲み干し、呟いた。
「終わりの美しい恋というのは、時間が経てばより美しい思い出になるもんさ」
ハルバートに向き直り、
「考えてもごらん、魔術師様。
このままじゃ彼女は、ずっとあんたから逃げ続けなければいけなくなるんだぜ」
「逃げ続ける…」
「ああ、あんたと出くわす可能性を考えたら、王都そのものに近寄れないかもしれない」
「…そうかもな」
「それは彼女が哀れではないのかい」
「それはそうだが…」
「だからだよ、あんたは最後に男気を見せるべきだ。
『ありがとう、すまない、そしてお幸せに』
この3ワードが伝わればそれでいいんだ」
「お幸せ…に…」
「ああもう、また泣くなって。
きっとこれを顔を見えて言えりゃ、彼女もあんたも前に進めるだろうさ」
ハルバートは流れる涙を乱暴にぬぐい、顔を伏せたまま何度も頷いた。
「きっと…そうだな、きっと…」
「ああ。きっとだ」
イアンにパン、軽く背中を叩かれたハルバートは、己の浅はかさを悟った。
アメリアの姿だけ見られればいい、なんて建前だった。
会って話したい。彼女の心が戻らなくても、どれだけ残酷な言葉を吐かれようとも、彼女の目にもう一度自分を映してほしい。
…あわよくば、自分のことを良く思ってほしい。たとえそれが、「過去にひどい男がいたけれど、最後にはきちんと謝ってくれたわ」程度のものであっても。
「で、その彼女はどこにいるんだ」
「南の港町だと聞いている」
「なんだと!そりゃいい、俺の本拠地だ!まさに今から帰る街さ。俺は馬車があるから遅れて街に入るだろうが、もしその時もあんたが街にいたらまた酒を飲もう。宿は決まってるか?」
「いいや、何も決まっていない」
「それなら紹介させてくれ。『リボンと道』って宿で、うちの商会と馴染みの宿さ。食事も酒も旨いし、サービスもなかなかだぞ。証文を持って行ってくれ、俺からの紹介だと分かる」
イアンは荷馬車から綺麗な便箋を取り出し、さらさらと紹介状を書き出した。最後に焚火でシーリングワックスを溶かし、便箋に垂らしたあとシグネットリングを便箋に押し当てた。
「これでいいだろ。俺からの紹介だと十分わかる」
「これは商会の印か?商会印を任されるなんて、君は随分買われているんだな」
「いや、これは俺自身のオリジナル印さ。知り合いのジュエリー屋に作らせた。カッコいいだろ」
「そんな風に印を作った奴は初めて見た。ありがとう、使わせてもらうよ」
その夜は多いに飲み、焚火を愛で、そして眠った。
すっかり活気を取り戻し、夜明けの朝露と共に湖で水浴びし、再びハルバートは旅立った。




