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3年前。
ハルバートは功を急いでいた。
早く出世し、早く魔術師として地位を確立させなければ。
『蒼の隊』の称号を得たとして、まだ単騎の隊としては若輩扱い。
ハルバートが目指すのはもっと高み。
魔術師として、決して替えのきかない存在になることだった。
「そうすれば、己の全てを己で決められる」
ハルバートの目的は、アメリアとの結婚だった。
アメリアは平民で、しかも孤児で身寄りがない。
そのような女性と貴族子息が結婚することが、
どれほど荒唐無稽で非常識か、ハルバートは分からないわけではなかった。
しかしハルバートは結婚にこだわった。
愛人、妾では駄目だ。
アメリアの家族に、自分がなりたかった。
駆け落ちでも駄目だ。
アメリアを日陰者にするつもりはなかった。
そのため多少無茶なやり方もしたが、全く後悔はしていない。
ハルバートは、魔術師としての自分の価値を最大限高め、
そして家から離籍しようとしていたのだ。
しかし一方で、ハルバートは実家からもたらされる縁談話に困り果てていた。
「仕事に邁進したいのも分かるが、
お前は魔術師である前に貴族。
貴族は結婚も大事な仕事だと分かるだろう」
父はこう言い、次から次へと縁談を持ってきた。
アメリアのことは隠している。
この父にアメリアの存在が漏れれば、きっと彼女に害が及ぶ。
仕事も辞めさせられるだろうし、最悪は命を取ろうとする。
ハルバートは適当に見合いをこなしていたが、
乗り気でないことを悟った父は、では誰でも良かろうと、
ハルバートの花嫁を自分で選び始めた。
いよいよまずいと思い出した頃、
見合いで出会ったのがダフネだ。
「申し訳ないがダフネ嬢、俺は結婚する気がない」
ハルバートは初手でダフネを突っぱねた。
泣かれるか罵倒されるか、覚悟を決めたハルバートに対して、
「あら、奇遇ですわね」
とダフネは笑った。
「わたくしも結婚する気がないんですの。
今は、ですけれど」
「では何故見合いに?」
「あなたと同じ理由ですわ」
父がね、そう言って紅茶を飲むダフネは、
ほう、と一息ついてから語りだした。
「私、どうしても結婚したい方がいるの。
その方とは今はどうにもならないのよ。
だから時間稼ぎが必要で」
あなたは?
話が意外だったのと境遇が似ていることもあり、
ハルバートはつい口をすべらせてしまった。
「俺も同じだ、結婚したい人がいる」
「でも今は結婚できない、と」
「そうだ」
「では、こうするのはどうでしょう。
私とあなたで、婚約を内定させるのです。
あくまで内定よ、怖い顔をしないで。
そうすれば二人とも時間稼ぎができるわ」
「…なるほど」
「あなたのお父上も黙るし、私の父も黙る。
そして時期が来たら、然るべき者と結婚する」
「悪くない話だ」
「でしょう?」
それでは、と差し出されたダフネの手を握った。
「契約成立だ」
そしてハルバートとダフネは、契約上の婚約内定者となったのである。
その後すぐに勅命が下り、ハルバートは旅立った。
アメリアと連絡が取れなくなったハルバートは、ついにその関係性についてアメリアに説明することがなかった。
「ダフネ様、ハルバート様から手紙鳥です」
「…へえ。
『申し訳ないが、婚約内定についてはどうか内密に』ですって。
さては本命の女に知られたくないのね」
「どうされますか」
「捨て置きなさい。ここまで来たら私の勝ちよ。
運も味方したわ」
その後ダフネは、ハルバートの不在をいい事に、堂々と婚約者として振る舞うようになるのであった。
ーーーーーーーー
やられた。
ハルバートは己のうかつさを再度呪った。
あの後何を言おうがダフネには響かず、
婚約内定を白紙に戻そうとはしなかった。
家に戻って父に訴えようにも、
肝心の契約については口外できず、
ただひたすら「ダフネ嬢と信頼関係を築くのは無理だ」とだけ訴えた。
父は当然意に介さない。
「貴族の結婚に信頼関係はいらんだろう」と。
むしろ、
「3年も健気にお前を待っていたダフネ嬢を泣かせるんじゃない」
と諭されてしまった。
それではいよいよ貴族籍を抜けると切り出したものの、
「それではこれまでのダフネ嬢の献身にはどう報いる。
貴族籍を抜けることは許可しない」
と、離籍を許可しない口実を与えてしまった。
現状離籍は現当主の許可なしでは成立しない。
せめてダフネ嬢がいなければ、
魔術師として危険な依頼に当たるため、という名目で説得できたろうに。
ダフネとのやり取りを思い出す。
「あなたは結婚したい相手がいるんだろう!」
「ええ、おりますわ」
「然るべき者と結婚すると言ったではないか!」
「ええ、ですから。
私はどうしてもあなたと結婚したかったし、
あなたにとっての然るべき者とは私のことだわ。
あの時はどうにもならなかったけれど、
今は堂々とあなたの婚約者を名乗れる。
あなたが契約に乗ってくれたおかげで、ね」
「騙したのか!」
「いやあね、騙すだなんて。我々が何者かお忘れ?
化かし化かされるのが貴族の常。
これくらいで目くじら立てないでもらいたいわ」
ハルバートは渦巻く怒りを抑えきれず、
魔力を溢れさせながらギルドへ戻った。
自分に与えられた個室へ向かう途中、
「おおい、ハルバート」
とギルド長に声を掛けられる。
「お呼びですか」
「お前、なんだその魔力。
少し抑えろ。暴走するぞ」
「あいにく虫の居所が悪いのです」
「こいつを紹介する。お前は知らないだろうが、
去年入職した魔術師だ。キース」
「はじめまして、『蒼の隊』!キースといいます。
あなたに憧れてこのギルドに入ったんです。
どうかよろしくご指導ください」
人懐っこく挨拶するキースを、ハルバートは初めて見かけた気がした。
「ああ、今更って顔だな。
こいつは今色々あって謹慎中でな。
今日はその反省具合を確認しに呼び出したんだ」
「早速何かやらかしましたか」
若いとは愚かなことだ、とハルバートは呆れる。
「俺は何も悪いことはしてません!
ただちょっと足を引っ張る先輩にお灸を据えただけで。
ようやく退職してくれましたがね」
「キース、お前反省していないようだな」
足を引っ張る?そんな魔術師がいただろうか。
ハルバートから見ても、このギルドの魔術師の質は高い。
たかが新人に侮られるような実力の者は思い当たらない。
「だって、産後魔力減退なんて神からの戦力外通告でしょ。
さっさと席を空けないから悪いんだ」
「産後魔力減退?それは病と同じだろう。
君は病人に石を投げられる人間性なのか」
「だ、だって、危険じゃないですか!
お荷物がいたらギルド全体が危なくなる!」
「だからアメリアは前線を退いていただろう!…あ」
ギルド長はあからさまにまずい、という顔をした。
「アメリア…?今なんと言いました?」
ハルバートは耳を疑った。
今、聞き間違いでなければ、アメリアと。
「いや、それはだな、えっと」
「アメリア・ハーバー。
ハルバート様の同期なんでしょう?
その人ですよ、産後魔力減退で遠くに追いやられた人」
「キース!!!」
次の瞬間、
ギルド長室に炎の嵐が吹き荒れた。
咄嗟にギルド長が結界を張り炎を外に押し出したが、
今度は廊下が業火の海だ。
「何事だ!」
「ハルバートが魔力暴走だ!全員で消火しろ!」
駆け込んできた魔術師たちが総力で火消しにあたるも、
ハルバートの炎は消えずますます勢いを持って舞い上がる。
アメリアが、出産した。
『3年あったら、私にだって色々あるかもしれない』
色々ある、とはこういうことか。
アメリア、君は誰かと恋をしたのか。
そいつと家族になったのか。
そいつの子を、産んだのか。
炎の中でハルバートは慟哭した。
怒りと、哀しみと、後悔の炎が、ハルバートの身を灼いた。
ーーーーーー
ハルバートの魔力暴走は、幸い罪には問われなかった。
過酷な長期間の任務の後に、更に至る所に引っ張り出されろくに休ませなかったのが原因として、強制的に長期休暇を取ることとなった。
先日までのハルバートであれば、
己のキャリアにブランクが出ることを嫌い、何が何でも出勤しただろう。
しかしもう、ハルバートには仕事を頑張る目的がなかった。
アメリアは別の男と家庭を持ってしまった。
自分はダフネに絡め取られ、身動きが取れない。
すべては自分が撒いた種。
そう分かっているのに、やりきれない気持ちで眠れなかった。
「ハルバート」
父が自室を訪れた。
「これからしばらく休暇なんだろう」
「ええ、そうですが」
「丁度いい。この間にダフネ嬢との結婚の準備をしよう」
「…お言葉ですが、まずは婚約からでは?」
「この3年間、すでに婚約していたようなものだろう。
少なくとも社交界ではそうだ」
「僕の許諾もなしに?」
「お前が一言、うんと言えば済む話だ」
「決して言いません」
「何が不服なのだ。ダフネ嬢は賢く器量もいい。
悪くないだろう」
「父上が何と言おうと、僕は婚姻届にはサインしませんので」
「ハルバート!」
ハルバートは自身の周りに風を起こし、父を脅した。
慌てて部屋から出ていった父は、それでも廊下から、
「考えておけ!ダフネ嬢にはそう伝える!」
と勝手なことを言っている。
寝台に大の字に寝そべり、天井を眺める。
このまま自分は望まぬ結婚をして、貴族として生きていくのだろうか。
アメリアといるときに感じていたあの幸福感を、自分はもう二度と味わえないのだろうか。
両手で顔を覆い、大きく息を吐く。
「…くそくらえだ」
言葉を口にした瞬間、ハルバートの心は決まった。
腕を振って跳ねるように上体を起こし、つい先日荷解きしたばかりの大きなボストンバッグに身の回りの物を詰めていく。
それに魔術で翼を付与すると、勝手にふわふわついてくる自走式旅行鞄のできあがりである。
『家出してしまえ』
ハルバートは元来豪快で、派手好きな性格である。
魔術も派手ならやることも派手。
ならば、抗議も派手でなければ。
ハルバートはまずギルドへ向かった。
ギルド長室にアポなしで押しかけると、
「俺はこれから出奔しますので。後始末お願いします」
と用意した紙片をデスク投げた。
「なんだと?
『ハルバート・イーヴランドは望まぬ婚姻に抗議するため出奔する』
だって?!
俺にこれを魔術師協会に提出しろというのか!」
「お願いします、ギルド長。
置き手紙だけで既に出立していたことにして構いません」
「一体何を狙ってるんだ?」
「もし協会が『蒼の隊』を必要な魔術師と考えてくださるならば、
俺に望まぬ婚姻を強いる家に抗議してくれるでしょう。
家の権力に屈して黙殺するならば、それは俺の実力不足」
「後者だった場合は?」
「二度と戻りません」
はあー、と長いため息をついたギルド長は、
「で、どこへ行く気だ」
と一言聞いた。
「…特に考えていません」
「嘘つけ」
「嘘ではありません」
「アメリアを探す気じゃないだろうな」
ハルバートはぐっと喉を鳴らした。
「…なぜ」
「知らん、お前らのことは全く知らんが、
お前がアメリアと親しい男を殺しそうな目で見てたのは知ってる」
黙り込んでしまったハルバートを眺め、
ギルド長は勢いよく椅子の背もたれに身を委ねた。
「やめておけ、悪いことは言わん」
「それで、アメリアはどこに追いやられたのです?」
「追いやった訳じゃない。…まあ同じことかもしれんが」
「ご丁寧に遠方に遣ってから退職させたんでしょう」
「知らん」
「どこです」
「俺は口を割らない。聞くなら他を当たれ」
…ハルバートは頑ななギルド長からの聴取を諦め、
他の魔術師へ聞くことにした。
アメリアを探すことを、考えていたわけではなかった。
だがギルド長に指摘された時、自分がどこに行きたいか、という問いの答えにぼんやりとアメリアの姿が浮かんでいた事実を否定できなかった。
向かい合って会えなくてもいい。
どんな残酷な姿でもいい。
彼女の顔を一目見たかった。
「ルーナ」
ハルバートは同期である魔術師ルーナを訪ねた。
「『蒼の隊』、どうしたの?休暇でしょう」
彼女は書類仕事の手を止めて、ハルバートにひとつ茶菓子をくれた。
「ああ、休暇を利用して旅に出ることにした。
アメリアの顔を見に行きたいんだが、彼女はどこへ出張に?」
「あれ、あなた達親しかった?国の最南の港町よ。
でも出張の後にはすぐ引っ越すって言ってたわ。
引っ越し先が落ち着いたら手紙鳥をもらう予定なの」
「そうか…任期はもう終わっているのか?」
「長期任務って言ってたから、わからないわ」
「長期任務か、ありがとう。
ところで…ルーナは知っているか?アメリアの家族のこと」
ルーナは弾けるような笑顔になり、指を組んで自身の頬にうっとり当てる。
「ああ、マテオのことかしら?
とっても綺麗な顔をしているのよ。利発で礼儀正しくて」
「そ、そうか」
それだけ聞くと、ハルバートはよろめきながらその場を離れた。
アメリアの夫はマテオというらしい。
器量よしで利発な男…恋人の伴侶の話を笑って聞けるほど、
ハルバートの傷はまだ癒えていなかった。
「だめだ、ダメージが大きすぎる」
それでもハルバートの行き先は決まった。
「とりあえず、南へ」
鞄から一反ほどの巻いた布を取り出し床に広げると、風魔法を付与しタン、と一度踏む。
すると布はふわりと浮かび上がり、ハルバートはそこへどっかり座った。
余った布が背もたれ状に変化し、ついでに鞄も乗っかる。
「翼を付与」
ばさりと生えてきた翼によりゆっくりと離陸し、
あっという間にギルドから遠ざかっていく。
ハルバート・イーヴランド、アメリアを探す旅の始まりであった。