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何ががおかしい。
その違和感は帰還してからのあらゆる忙しさの波に飲まれてしまった。
ハルバート・イーヴランドは砂の国での任務を終え、3年ぶりに母国の土を踏んだ。
正確には3年の任期を、数ヶ月早く終わらせさっさと帰ってきたのであるが。
急に帰還の連絡をしたせいで、ギルド内は出迎えの準備や国への報告で上から下への大騒ぎとなっている。
しかも連絡した日付より2日も早く帰ってきたため、ギルドメンバーは驚くやら戸惑うやら、色んなリアクションで迎えてくれた。
「お前なあ、早く帰りたいのはわかるけど、
こっちの都合も考えてくれよ」
ギルド長にはそう叱られたが、ハルバートは気にしなかった。
「いいから、お前は今日は一旦帰れ。
明日朝イチで王宮だ。
それからは忙しいぞ、報告三昧だ」
ギルド長にそう詰め寄られ、ハルバートはギルドを追い出されてしまった。
この時間ならばアメリアはまだギルド内にいるはずなのに、姿を見ることもできなかった。
…アメリア。
ハルバートが今もなお追いかけ続ける恋人。
1日でも早く彼女に会いたくて、砂の国では自分に与えられた以上の仕事をして任期を縮めた。
砂の国の灌漑施設はその中枢が壊滅状態にあり、この短期間で全範囲の復興が完了したのは奇跡的ですらあった。
ハルバートは出国前の無体を後悔していた。
いくらアメリアに別れ話をされ激昂したとて、彼女に自分がどれだけ夢中であるか知らしめたかったとて、初めて体を重ねるのはもっと幸福な気持ちの中で、が良かったはずだ。
砂の国での生活が落ち着いてすぐ、詫びの気持ちを手紙鳥に書いて飛ばしたが、宛先不明で戻ってきてしまった。
手紙鳥はアパルトメントには誰も住んでいなかったという。
引っ越してしまったのだろうか。
隠した関係であったためギルドに手紙を送るわけにもいかず、ハルバートはそれから3年、アメリアの動向を知ることができなかった。
ギルドを追い出されたハルバートはその足で、アメリアのアパルトメントへ向かった。
鍵を持っているため、彼女が住んでいるかだけでも確かめたかったのだ。
…結果として、鍵は変更されていて回らなかった。
本当に引っ越してしまったようだ。
ハルバートは仕方なく自宅へ帰った。
こちらも出迎えの準備が間に合っておらず、使用人からも家族からも複雑そうな目で見られてしまった。
翌日からは本当に報告三昧だった。
王宮の謁見室にはじまり、
執務室で砂の国の予算や公共事業について、
学者の研究室で灌漑施設や砂の国の文化について、
各部門の砂の国の情報を欲しがる者にそれぞれ必要なものを、
しまいには退屈している王子王女や貴族のサロンに至るまで、
砂の国での生活を根掘り葉掘り聞かれることとなった。
そのうち通常業務も始まり、
依頼に合わせてそれらの報告もこなしていると、
全く自分の時間が取れなくなった。
あいにくアメリアは長期出張中のようで顔を合わせることもできず、
焦燥だけが募っていった。
ほとほとうんざりしてしまったハルバートだったが、
予想外のことが起きた。
ある貴族のサロンで砂の国の話を披露していたところ、
「ハルバート・イーヴランド殿、婚約者様がお越しです」
と使用人が言付けにやって来た。
婚約者だと?
まさか、アメリアか?
しかし彼女はこのような場所に来たことがあっただろうか。
別室にいると言うので会いに行くと、
「…ダフネ嬢」
「婚約者にお戻りを教えてくださらないんで、
酷いんじゃありませんこと?」
そうだった。
ハルバートは己のうかつさを呪った。
ーーーーーー
「マテオ、ここが新しいおうちよ」
「すごい、広いね!」
「おうちとママの仕事場を兼ねてるからね」
アメリアは無事引っ越しを終え、
マテオと2人で新しい生活を始めていた。
初日はカーテンを掛け、リネンを整え、
最低限の調理器具を出した。
後の荷解きはゆっくりやればいいと、
アメリアはマテオと街へ買い出しに出かけた。
まずは街の魔術師ギルドへ向かう。
「ごめんください」
王都のギルドがビルだとすれば、この街のギルドは小売店ほどの規模の建物だ。
大きく重厚な木の扉を開けると、そこにはまるでパンでも買いに来るように依頼人が訪れ、受付の向こうに直接魔術師たちのデスクがあった。
王都のギルドでは依頼人は専門の用紙を記入の上で受付の前で並び、魔術師たちのフロアは上階のため、普段依頼人とは直接顔を合わせることはない。
在室中の魔術師たちは書類仕事か休憩中のため、のんびりとした雰囲気でアメリアはホッとした。
『地域に近い感じがして、とてもいいわ』
手近な窓口に声をかけ、
「こちらの街に越してきました、
魔術師のアメリア・ハーバーです。
ギルド長のラスタ卿にご挨拶を」
「ああ、お聞きしてます!」
受付の女性がくるりと後ろを向き、
「ギルド長ー!」
と呼び付ける。
最奥のデスクからぬっと現れたこの街の魔術師ギルド長ラスタ卿は、大柄な体格、得意魔術は大輪の花火という『花火師』、エンターテイメント系魔術師である。
この街に居を移すと決めてから、スウェイン卿を通じて主に手続き関係で手紙鳥のやりとりをしていた。
「ああ、アメリアさん、無事に引っ越したのか」
「おかげさまで」
「魔術師事務所の開設許可書、できてるよ」
「助かります」
「手が足りない時はギルドも手伝ってくれよ」
「あはは、お役に立てましたら」
そのやりとりを聞きつけ、周りの魔術師たちもわらわら寄ってくる。
「産後魔力減退ですよね?
大丈夫、うちのギルドはそういう経験者もいますから」
「そうそう、気になることがあったら何でも聞いて!」
そう言って握手を求めてきた年嵩の女性魔術師はヤクモ、と名乗った。
「私はふたり子供がいるんだけど、ふたり目ん時にね」
「え、減退された方ってヤクモさんのことですか」
「そう、私だよ」
かかっと上を向いて笑い、
「まあ、色々あったけど、何とかなってるから。私でよければ力になるからね」
そして膝を折ってマテオに目線を合わせ、
「こんにちは、私はヤクモ。
坊ちゃん今いくつ?」
「にさい」
「おお、賢いねえ!
そうか2歳か、じゃもう少しだねえ」
「もう少し?何がですか?」
「ん?知らないの?
母親からの魔力が定着するのがだいたい3歳すぎって話。
そしたら徐々にアメリアさんの魔力も回復するよ」
「えっ、回復するんですか?!」
「ああ、ある程度まではね。
取られた量に比例して定着も遅くなるし、
回復もゆっくりだけどね」
「そうなんだ…」
知らなかった。
そうか、また魔力は回復するのか…。
「じゃあちょっと難しい依頼も受けられるようになるかな」
アメリアは思わず声に出す。
「アメリアさんは新しい事務所で何やるの?」
「はい、色々やりたいですが、まずはこれが売れないかと思って」
サンプルで持ってきていた、
あの光のレースを見せる。
「わ、すごい」
「へえ、生地に付与するのか。
これは考えついても実行できない技術だな」
やって来た魔術師たちは、
なんだこの細さ、とか、なんでこんな複雑な模様が作れるんだ、とか口々に驚いてくれた。
「生活が落ち着いたら、これを持って街の生地屋さんに売り込みに行こうかと」
「じゃあ、生地屋じゃなくてマダム・カリファの店に持ち込むのを勧めるぜ」
レースを見ていたひとりの男性魔術師が言うと、周りの者も口々にああ、とか確かに、とか同意している。
「マダム・カリファはこの街に拠点を置く服飾デザイナーだ。
王都の貴族にも引っ張りだこの売れっ子よ」
「この街はだから生地屋が多いんだ。
アメリアさんの事業には丁度いい街さ。
彼らは『マダムに使ってもらえるかどうか』で売り物を決めるから、
先に顔合わせしておくといい」
「マダムはこのギルドの常連さんだから、ギルド長の名前を出せばすぐ会えるさ」
「なんなら、今行くかい?街の案内も兼ねて」
ギルド長はちょうど今暇なんだ、と進み出てくれる。
「いいんですか?マテオ、一緒に来れる?」
「うん、ママと一緒にいく」
「賢い子だ。では行こう」
ラスタ卿は鮮やかな新緑色のローブを羽織り、
マテオに手を出すように言った。
「手のひらを上に向けて。そう」
「なあに?」
「こうだ」
その瞬間、マテオの手のひらに小さな花火が弾けた。
「わあ!」
「綺麗だろう、おじさんはこれが得意なんだ」
「凄いね!」
一瞬にして幼子の心を掴んだラスタ卿は、
「少し歩くぞ、おじさんが抱っこしてやろう」
とマテオを抱っこして颯爽と歩き出した。
ラスタ卿は歩きながら、
食材を買うならこの市場、金物屋はこっち、
あの定食屋は子供用のメニューが豊富、などと、
本当にガイド顔負けの案内をしてくれる。
「あと、大切なことだから聞いてくれ」
「はい」
「ひとりで子育てするってのは大変なことだ。
アメリアさんが根を詰めたら、マテオが苦しむ。
魔術師がギルドを組むのは、ひとりで背負いきらないためだ。
足りないところは手を貸し合い、助け合う。
これがいい組織、いい仕事のコツだ。
アメリアさんもこの街に来たなら、覚えておいてくれ」
「は、はい」
「うちの受付嬢は子供好きだし、奥には休憩室もある。
ヤクモんとこの子もよく入り浸ってる。
いつでもマテオを連れてきてくれ」
「ありがとう、ございます」
「そうしてアメリアさんが余裕を持っていい仕事をすれば、
マテオも元気に育つさ」
歩きながら、目頭が熱くなってしまった。
私、この街に越してきて良かった。
アメリアは鼻声になったのを気付かれないよう下を向いた。
「ああ、ギルド長、いらっしゃい」
「マダム、邪魔するよ」
大きな大きな服飾店の前にたどり着くと、
アメリアはびっくりしてしまった。
街の規模に比してあまりにも大きな店構え。
魔術師ギルドより明らかに大きい建物だった。
エントランスの装飾も豪奢で華があり、
ステンドグラスがきらきらと光を反射する。
王都でもちょっと見ないくらいの大店である。
「うちの街一番の商人さ」
そう言ってギルド長に紹介されたのは、
思ったよりずっと若い、30代くらいだろうかという美しい金の髪の女性だった。
「カリファです、よろしく」
「あ、あの、
こちらに越してきた魔術師のアメリアです。
こちらこそよろしくお願い致します」
「マダム、このアメリアさんの生地を見てくれないか」
「生地?魔術師さんが?」
「はい、私が魔術を付与した生地なのですが」
そう言ってサンプル品を渡し、
「魔術を流してみてください」と使用法を説明する。
浮かび上がった美しい模様にカリファは特に驚いた様子もなく、
「あら、お久しぶりね、この生地」
と言い放った。
「え、ご存知ですか」
「ええ、数年前に王都で一時だけ出回った稀少な技術ね。
最近は誰も扱ってないから、残念に思ってたの」
「すみません、学生時代にバイトとして作っていたもので」
「学生時代?!バイト?!」
マダムは美しい瞳を見開き、
その後あはははは、と大笑いし始めた。
「あのね、あまりにそのレースが繊細で稀少だから、
きっと老いた職人が手仕事で作ってるんだろうって噂してたのよ」
あははは、学生のバイトだって!!
また更に笑い、
「ごめんね、少し作ってる様子を見せてくれる?」
アメリアは細い糸の光魔法を指先から出し、
指先で模様を書き込むように編んでいく。
「なるほど、これは本物だわ」
マダムは納得したように頷き、
「素晴らしい技術よ。
アメリアさん、この技術を街で売るの?」
「はい、魔術師事務所を新しく構えまして、
そこで子どもを見ながら作業しようかと」
「なるほどね。
私が最初のお客さんになってもいいかしら」
「も、もちろんです」
「では決定ね。仕事はすぐにでも?」
「いえ、実は今日家のカーテンを掛けたところでして」
「それはいけないわね。
では2週間後。朝が来たらなるべく早く、
この店にきてちょうだい」
「承知しました」
あまりにも早い商談成立に、アメリアは面食らってしまった。
「い、いいんでしょうか、
こんなにすぐお仕事を頂いてしまって」
「あら、もちろんよ。
昔、私があなたの生地を、何に仕立てたか聞きたい?」
「え、ええ」
にやりと笑ったマダムは言った。
「末の王女様のベビードレスよ」
あれが光ると、魔力が可視化できるから国王夫妻がいたくお喜びでね。
まさか、孤児が生活費稼ぎに編んでいたものが、
王女の服になっているなんて!
アメリアは予想だにしなかった恐れ多い事実に、気が遠くなった。
ーーーーーーーーー
「…ダフネ嬢、長い間すまなかった」
ハルバートは一人の貴族女性と対峙している。
「いいえちっとも。お勤めご苦労さまでした」
よく手入れされたそのアッシュグリーンの髪が揺れ、
紅で色濃く縁取られた唇が弧を描く。
「早速で申し訳ないが、
約束通り仔細進めさせていただいてもいいだろうか」
ダフネ、と呼ばれた女性はその首を小さく傾げ、
「約束、さて何のことでしょう」
と笑った。
「ダフネ嬢、約束したはずだ。
俺とあなたは単な」
「何のことでしょう」
同じ言葉を重ね、ダフネはハルバートの言葉を拒絶する。
「ハルバート・イーヴランド様。
このダフネとこのまま婚約、結婚して頂きます」
すでにこのことは周知してあります。
無駄なあがきはおやめくださいませ。
そう言って静かに笑うダフネを、ハルバートは魔獣を見る目で見つめた。