27
「ああ、気分がいいこと」
ダフネは平民用のアパルトメントの一室で、窓を開け放ち大きく背伸びをした。
家を出て、いつもの侍女はもういない。
学園時代の寮生活の経験を生かし、ダフネは一人暮らしを始めていた。
侍女は家に留まり、状況をダフネに手紙で伝えてくれた。
「領の街と屋敷が正体不明の魔獣にやられ、
食糧事情が壊滅的です。
そして領主ご自慢の猟銃は酸に食われ見る影もなく。
お父上はひどく落胆しておいでです。
残念ながらお嬢様が出奔されたことにではなく、
国王から及びお嬢様の嫁ぎ先からの支援金が消えたことに対してですが」
『やはり父は変わらない。娘より金なのだ』という心の痛みはあるが、それは分かっていたことだ。今はそれより痛快だった。
『あの領民どもはどうしたかしら。
彼ら領主を打ち出の小槌だと思っているから、
きっと食糧やら金を出せと父に迫ったわね。
喜捨をしない強欲令嬢は消えたことだし、
きっと大挙して押し寄せるわよ。
さあお父様、ダフネはもういないわ。
今度は何を差し出すのかしら』
清々しい朝の空気を吸い込む。
キースは言った。
『まずいくつかの街を襲います。
そうして危険性が周知されれば、
単騎隊の招集もかかりやすい。
そしたら仕上げに王都です』
ダフネとしては復讐心を満たせて大変満足であるが、キースはなぜここまでするのだろう、と不思議に思う。彼としては所属する組織に弓引く行為であるし、もし彼の仕業とバレたら国中から誹りを受けるのは必定だ。
『僕にもメリットがある』
キースはそう言っていた。
『よっぽどうまくやる自信があるのかしら』
王都での顛末を聞いたら、ダフネは平民として仕事を探そうと思っている。もう少しだけ憂さ晴らしすることを許してほしいと、誰に対してかは分からない懺悔をした。
ーーーーーー
「竜か」
「いや・・・竜なんだろうか」
初めの被害があった街では、魔術師たちが派遣され調査に当たっていた。
「住民たちの証言では、
確かに黒い竜だったという話だろう」
「だが妙だ。
残っているのは魔虫ばかり。
被害の内容も変わっている。
ブレスでもなく家を崩されることもなく、
ただ虫を無数に連れてきたということだけ。
こんな竜など、これまで報告があっただろうか?」
「確かにそうだ」
「それに、まだ不可解なことがある。
竜が闇に消えたように見えた、という証言だ。
あれほどの巨体を見失うことなどあるだろうか」
「それほど黒いのではないか?
夕方から夜に変わる時間だったのが悪かった」
「そうかもしれんが・・・。
どうにも妙だ。一応報告しておこう」
その街の魔術師が抱いた違和感は徐々に形を為していく。
黒い竜はその後も度々現れるようになる。
はじめの街からまっすぐ、王都を目指して。
ーーーーーー
『順調だ』
キースはほくそ笑んだ。
相変わらず除隊は解除されず、書類仕事三昧の日々ではあるが、未だ続く火事の現場では重宝され、評判は上手く勝ち得ていると思っている。
魔虫たちは順調に繁殖し、その数を増やしている。
ダフネからは自分の領都を襲ってくれた御礼の手紙が来ていた。
彼女は美しい。
理不尽な搾取にあってなお、萎れぬ矜持の持ち主。
不遇に遭って泣くだけではなく、
不遇を脱するための死に物狂いの計略を練ることのできる女。
『単騎隊の称号を得たら、彼女を迎えよう』
キースの作戦はこうだ。
王都までのいくつかの街を竜に襲わせる。
時期をたっぷり取ることで、幾度となく新聞に取り上げさせ、王都中の不安を煽る。
魔術師たちも馬鹿ではないため、恐らく竜の本体が魔虫であることに気づくだろう。そうなれば同時に気づくはずだ、対策が難しいことに。
街や田畑の近くに顕現されると、下手な攻撃魔法は使えなくなる。
だが王都は貴族が多く住む街だ。大きな被害は許されない。
そうなればきっと単騎隊が招集される。
あの『紅の隊』と開発部の殺虫網は避ければいい。あれが投入されると分かった時点で対策が取れる。『金の隊』と『蒼の隊』は厄介だが、こちらが彼らの動きを把握していれば怖くはない。『銀の隊』に至っては見たこともない。
そうして単騎隊の困り果てた顔を堪能したあと、満を持してキースは動くのだ。
『僕が囮になります』
と。
周囲の反対を押し切り、魔虫の好きそうな穀物か何かを持って飛び出し、虫の竜の前に立ち塞がる。するとどうだろう、それまで何にも興味を示さず進行していた竜が反応するのだ。キースはそのまま何もない荒野へ飛ぶ。
そうしてキースが水魔法を放つのと同時に竜を霧散させ、討伐したことにするのだ。
若く血気溢れる下働きの若者魔術師が、身を挺して王都を守り英雄に躍り出る。
素晴らしい筋書きじゃないか。
以前のちょっとしたお咎めはすぐに立ち消えになるだろう。
すぐには難しくとも、世間の評判が高まれば単騎隊へ推挙する声もあるだろう。貴族から養子の話だって来るかもしれない。
そうしたら、ダフネの手を取るのだ。
かつて『蒼の隊』が無情にも切り捨てた令嬢。
手を取り合うふたりの姿はきっと美談となるだろう。
『やはりこうでなくてはいけない。
穀物しか奪えなかったのには焦ったが、
案外うまく行くものだ。
選ばれた者とはこうでないと』
キースは満足したように、くるくるとペンを指で回した。




