26
その日、王都から離れたとある街の夕暮れ。
真っ赤な夕日を背に、それは前触れなく現れた。
「竜だ!竜が出たぞ!」
巨大な黒い竜は街の上空に発見された。
住民たちは逃げ惑った。
家の中に閉じこもる者、岩山の中へ逃げ込む者。
その住民たちを横目に、竜は低く飛行し街を飲み込んだ。
竜が通ったあとには無数の魔虫が残り、街中の食糧を食い尽くす。
駆除しようとする人の手に噛みつき、酸で火傷を負わせる。
竜は大きな翼を広げ再び上空へ舞い上がった。
領主である貴族の屋敷をまっすぐに見据え、覆い被さるように滑空した。
・・・数刻のち日が暮れる頃、竜は闇に溶けて消えた。
屋敷の中では食糧はもちろん家財類も荒らされ、貴金属類も酸で腐食していたという。
特に領主のコレクションである猟銃は、執拗なまでに腐食が進んでいたという。
ーーーーーー
「何をやらかしたのだ、・・・『銀の隊』」
魔術師協会総帥の呆れたような問いに、
銀のローブを羽織った男は、間延びした声で繰り返した。
「結構大きめのやらかし」
「だから何をだって言ってんだ!
久々に出てきても何も変わんねえな、カイン!」
『紅の隊』が的を射ない回答に苛立つ。
『銀の隊』と呼ばれた、垂れ目の長髪の男。
普段は森で暮らし、神獣とも言うべき魔獣たちと心を通わせる者。その能力があまりに特殊であることから、魔術師試験を経ずに特例として単騎隊となった男、カイン。
へにゃりと人好きのする笑顔で『紅の隊』に「ジル君、久しぶり」と小さく手を振ると、
「魔獣たちの餌、盗まれちゃったんだよねえ」
と宣った。
「・・・それは、お前の魔力が乗った餌ということか」
魔術師総帥が厳しい顔で問う。
「そうです、総帥」
「お前の力を知った上で盗んだのか」
「そうです、総帥。
久しぶりのお客さんだったんで、
ついもてなしちゃって」
「お前の『友人』たちは盗みを見逃したのか?
黙ってはいなさそうだが」
「もちろん。
でも家の中で僕が溺れていたから、
家に入れる小さい子たちは僕を助けに来てくれたんです。
大きい子たちは餌を取り戻しに行ってくれましたよ。
あの子たち自分の餌だけ優先して取り返してきたので、
取られたのは小さい子たちが食べる穀物だけです」
「家で溺れた?
風呂に頭でも突っ込まれたのか」
「いいえ、水球の中に閉じ込められまして。
びっくりしました」
もー、おうちがびしょびしょですよ。
カインはまたヘラヘラと笑う。
「・・・それは、魔術師の仕業ということか」
「名乗られた気はしますが、忘れちゃいました。
魔術師かどうかは忘れましたが、
魔術は使えてましたよ」
「なんでその大事なところを忘れるんだ!!」
『紅の隊』がいきり立つが、まぁまぁ、と『金の隊』がなだめる。
「カイン爺が人の顔と名前を覚えないのはさ、
ずーっと昔から変わってないじゃない」
「おい、爺というな。
そやつが爺ということは儂も爺ということだぞ」
「総帥は別ですよ」
笑う『金の隊』に総帥が苦言を呈した。
「全く、同期だというのにこの見た目の違いは何だ。
アウズンブラの乳なんて霊薬をホイホイ飲みやがって」
「だって、街に買いに行くより楽なんだもの」
どう見ても20代前半にしか見えないカインは、現在の単騎隊で最も古株であり、現魔術師協会総帥と同期の実年齢推定70代の大ベテランなのであった。
「で、そいつはその穀物を悪用しそうなのか」
「どうだったかな、忘れちゃった」
「お前!」
「ごめんごめん、でも穀物だからね。
大きい子たちとは仲良くなれないよ」
「まぁそうだろうが、
何かあったら責任を取って協力しろよ」
スウェイン卿が苦笑いで言う。
「うん、分かった。何かあったら呼んで」
「まったく、
とりあえず各地のギルド長に異変があれば報告させよう」
「そうだな」
ごめんねー、と笑うカインの脳裏に盗人との会話がよぎる。
『うーん、やっぱりどこかの魔術師って言ってたような。
どこだったっけ』
ーーーーー
「えーい」
マテオが一息魔力を練り、畑に放出する。
ぼこりと畑が盛り上がり、土が大人の足ひとつぶん、ふわふわと耕された。
土の中から掘り起こされた魔虫がうぞうぞと逃げ出していく。
「できた!」
「すごいぞ、マテオ」
マテオが振り返って誇らしげな顔を向ける先にはハルバートがいた。
今日は赤髪の姿で、モーリーの保育所に一緒に来ている。
「助かるわぁ、マテオ。
その調子でどんどん耕してちょうだい」
「うん!」
ハルバートは意外とすんなりと街に受け入れられた。
魔術師ギルドでは「あれが裕福な旦那・・・」「子供を盗られちゃうかもしれないんだろ・・・」と後ろ指を指されたが、ラスタ卿の「アメリアさんが受け入れたんだ」の鶴の一声で収束した。
ハルバート自身も幼少期から膨大な魔力を持て余していたクチだったため、マテオのための簡単な魔力エクササイズを考案し、こうして試しているのである。
「私も色々勉強したけど、
やっぱり実体験に伴う感覚って大事よねえ」
と、モーリーも興味深そうに見ている。
「バートさんは魔力暴走を起こしたことはある?」
「何度もあります。
なんなら大人になってからもありますよ」
「そうなのね!
ここの子たちも時々暴走するのよ。
うまいガス抜きの方法を模索中なの」
「僕が暴走した時は、
母が抱きかかえながら僕の魔力を魔術に変換してくれました。
母は光魔法が得意だったので、
部屋を暗くして光魔法のオーロラを出してくれて。
綺麗だったなあ」
「それは素敵な話ね。
アメリアさんもよくそうしてるわね、
彼女の場合製品作りにもなって一石二鳥」
モーリーはいたずらっ子のようにウィンクする。
「ええ。僕の母は早逝したので、
アメリアがそうしているのを見て、
久々に母を思い出して懐かしい気持ちになりましたよ」
「そうだったのね。
きっとマテオも大人になっても覚えているわ」
「そうですね」
ひとしきり雑談をしている間、もくもくと魔力を土に放っていたマテオがいない。
「マテオ?」
と振り返ると、
「もう畑ぜんぶできたよ!」
と一面耕しきった得意げなマテオが畑の向こうに立っていた。
「これは将来有望だ」
と、ハルバートは破顔せずにはいられなかった。
ーーーーーー
「これはよく考えましたね」
その日の夜半。
マダム・カリファの店でブランデー入りの紅茶を頂きながら、アメリアは『紅の隊』はじめ開発部が作成した量産型防虫カーテンを眺めていた。
「漁師さんの網が調達できれば、後は付与するだけだものね。
むしろ先にこっちのアイデアが浮かびそうだけど、
みんなあなたの神業に踊らされたわね。
網の製造所は大忙しだそうよ」
「面目ないとは思ってるんですよ、これでも」
本日はマテオの子守をハルバートが請け負ってくれている。
慣れないながらも、新人パパとして奮闘するハルバートをアメリアは好ましく思っている。
黒髪の助手が出してくれたフィナンシェを食み、ずいぶん久しぶりのひとりの夜の休息を味わっていた。
「さて、
防虫カーテンの普及に目処がついたことだし、
今度は服飾品に力を入れて貰うわよ」
マダム・カリファは前のめりになって言う。
「いよいよドレスよ。
どんなデザインにしようか血が疼いちゃう」
「私、これまで生地を先に卸すだけだったから、
デザインに合わせて刺繍を考えるのって実は初めてなんです。
楽しみだわ」
「頼りにしてるわよ、
魔術師クロシェ・サンドイッチ」
「実は、熱が下がってから試したんですが、
どうやら魔力が戻ってきているようなの。
納期は少し早めで頑張れるかもしれません」
「素晴らしいわね!腕が鳴るわ!」
女性たち(一部不明瞭)の笑い声が響く夜。
街外れの穴の中では、今日も魔虫の遺骸が燃える。
パチ、パチと炎の上で弾ける花火よりさらに高く、
黒い煙が空高く伸びていた。




