2
「まさかそのレース、君が編んでいるのか」
最初にハルバートと会話したのは、
確かこんなきっかけだった気がする。
アメリアとハルバートは、魔術学校の同期だった。
魔術学校を卒業したとして、魔術師として生きていけるのは成績上位者のみ。
あまり競争心のないアメリアは、到底自分が魔術師になれるとは思っていなかった。
ハルバートはその膨大な魔力量で一目置かれ、
多くの課題を優秀な成績でクリアした。
優秀な魔術師候補生で、貴族令息で、
銀色の髪に紫の瞳を持つ容姿にも優れた期待の星。
かたや、育った孤児院でたまたま魔力が豊富なことを見出され、
国の慈善事業としての支援を受け魔術学校への入学を許可されたアメリア。
ふたりの世界は全く異なっていたはずだった。
…アメリアは自分の将来について、
在学中に何かしら職に繋がる技能を得たいと考えていた。
通常の魔術では魔術師には敵わない。
そこでアメリアが考えついたのが、光魔法を使ったレース編みである。
指先から細い細い光魔法を持続的に出し続け、それをレースのように編んでいく。
それを太めのリボンや生地に付与すると、魔力を通すと淡く輝くレース模様が浮かび上がるのだ。
幸いこの技術は他の者には真似できず、その希少性から、
街の布屋などが高く買い取ってくれたり、付与依頼をもらったりした。
学生が行うバイトとしては大成功であったのだ。
おかげでアメリアは他の学生と見劣りしない学用品を買うことができた。
普段は自室で行っていた編み物を、たまたま昼食時間に中庭のベンチに腰掛けて進めていた時。
ハルバートが偶然通りかかったのだ。
「まさかそのレース、君が編んでいるのか」
突然声をかけてきた高貴な男子学生に、アメリアはひるんだ。
同期にもかかわらず一度も接点はなかった貴族令息からの声掛けに、
どう返していいか分からなかった。
「え、ええ、これでしょうか」
「ああ、それは光魔法なのか?」
「ええそうです、ちょっとしたバイトで」
「君は凄いな、これだけ細い魔法が出せるのか。
しかも途切れず、一定の細さで」
いつの間にか作品を至近距離で見られ、アメリアはたじろいだ。
「いえ、私はあまり高火力の魔術は出せませんので」
「俺は逆だ。繊細なコントロールが大の苦手で」
「そうなのですね」
「これはこの後どうするんだ?」
「編みが終わりましたら、これはこの生地に付与するんです。
魔力を流すと模様が浮き上がる生地になります」
「へえ、君はこれを売っているのか」
「はい、そうです」
ハルバートはほう、と感嘆の声を出す。
「…凄いな。
君はもう、自分で生きる術を見つけているのか」
「大層なことではありません。
私は孤児で、国の支援金で学んでいる身なんです。
貧乏なので自分のものは自分で買わなくては」
「そうか、君が孤児院からの入学生だったのか。
俺は君が素晴らしいと思うよ」
ハルバートはやや躊躇うように口ごもった後、
小さな声で言った。
「お願いがある。
その技術を俺にも教えてくれないか」
アメリアは驚いた。
「ええっ、編み物を?」
「魔力コントロールの良い特訓になりそうだ。
基礎のところだけでもいい。
その代わり、俺は君に高火力の技のコツを伝授する。
どうだろうか」
アメリアは頭の片隅で何かの警鐘が鳴る音を聞いたが、
結局何が危険なのか分からず、
「ええ、私でよかったら」
と返事してしまっていた。
「ありがとう、俺はハルバート・イーヴランド」
「アメリア・ハーバーです」
握手したその手の大きさに、意外な暖かさに、
アメリアは心を掴まれたのだ。
それから、アメリアとハルバートは親しくなった。
放課後になると訓練室に向かい、それぞれの課題を教えあった。
元々物覚えの良いふたりはみるみる上達し、
ハルバートは細い光魔法を均一に10メートルほどは出せるようになったし、
アメリアは火の玉や氷の槍の強度を数倍にもすることができた。
「君といると、
心が穏やかになって魔法が安定するんだ」
「私も、あなたといると気持ちが開放されるようで、
魔法が生き生きとします」
訓練室でのひとときは、ふたりにとって大切な時間になった。
…想いが通じ合ったと感じたのは、いつだったろうか。
アメリアは他学生からの嫌がらせに遭っていた。
ハルバートと親しくなる前から、
親しくなった後はもっと酷く。
貴族身分の学生が多いこの学園では、
孤児院からの入学生というものは異端である。
ふさわしくない、と思う者も少なくなかった。
課題や試験を知らされなかったり、
実技披露中妨害にあったり。
おかげでアメリアの成績はいつも過小評価されていた。
ハルバートと親しくなってからは、
より恨みのこもった嫌がらせを受けるようになった。
私物を壊されたり、依頼のあったレースをずたずたに裂かれたりも。
「ハルバート様に近づくなど、
孤児風情が図々しい」
と、全身を泥だらけに汚されることもあった。
ハルバートはそんなアメリアを見て激昂し、
教員へ訴えるよう勧めたが、その度アメリアは首を横に振った。
「いいのです、気にしないで」
ある時、アメリアは納品と買い出しに街へ出ていた。
この頃はどこで学生に捕まって生地を裂かれるか分からないため、
バスケットの一番奥に作品を隠し、こっそりと行動していた。
すると、前から見知らぬ男がこちらへ歩いてくる。
痩せた簡素な身なりの、短い赤髪の男だ。
アメリアの前まで近づいたその瞳を見た時、感づいた。
『ハルバートだわ』
声に出さずとも伝わった。
姿を変えてアメリアと並んで歩き出したハルバートは、
何も語らない。
賑やかな街に入り、人通りの多い大通りに差し掛かった時、
アメリアの左手に、遠慮がちにハルバートの指が触れる。
アメリアが気負わぬよう姿を変え、
人ごみに紛れ隠れるように、そっと手を繋いだ。
『ああ、私、この方が好きなのだわ』
アメリアは報われぬ恋の始まりを自覚し、
頭の中の警鐘がまた鳴るのを感じた。
鼻の奥がつんとしたが、涙にはならなかった。
それからの学生生活は、アメリアが想像しなかった景色の連続となった。
ハルバートの手配もあり、
試験や課題は妨害なく受けられるようになり、
苦手だった派手な魔法もハルバート直伝で上手くなった。
もうアメリアを劣等生と見る者はいない。
成績優秀者の中に名前が載るようになり、見くびられることもなくなった。
相変わらず貧乏人との誹りは受けるが、
レース編みでも変わらず稼ぐことができ、生活は苦しくなかった。
一方、アメリアの平穏な生活を守るため、
ハルバートはアメリアと公には距離を取った。
だが姿を赤髪の男に変え、堂々と会うようになっていた。
「アメリア、
俺と一緒に魔術師にならないか」
「そんな、私は無理よ」
「無理じゃない。俺が保証する。
魔術師になれば、高収入だし生活も安定する。
何より俺が君といたい」
「…ありがとう、ハルバート」
無理だと分かっていた。
アメリアとハルバートは、いずれ世界が分かれる身。
それでも、アメリアはハルバートの言葉が嬉しかった。
少しでも、一日でも長く、一緒にいられるならば。
厳しい魔術師試験も、何も辛くはなかった。
そして学園の卒業パーティ。
ふたりはそれぞれ、エスコートの相手なしで入場した。
ハルバートは首席を取り、アメリアも名誉ある魔術師合格生として表彰された。
ハルバートに意中の相手がいないことに女子たちはざわめき、
アメリアが一人であることに赤髪の男にも振られたと嘲笑った。
ダンスの時間となった。
ふたりはこっそりホールを抜け出し、
明かりのない裏庭に出る。
何の装飾もない、背の高い生け垣がふたりを隠してくれた。
ハルバートは今日、ハルバートのままだ。
ホールから漏れ聞こえるワルツのはじまりに合わせ、
ふたりは向かい合って礼をした。
自然に手を取り合い、頬を寄せ、身体を揺らして踊った。
「アメリア、俺は君に恋してしまった」
「…私もよ、ハルバート」
この日、ふたりは恋人となった。
魔術師ギルドに入ってからも、関係性は公にはならなかった。
晴れて学園を卒業し、成人も迎えたハルバートには、
多くの貴族女性からの求婚が舞い込んだのである。
彼女らはハルバートの身辺調査を怠らない。
アメリアに危険が及ぶとして、ハルバートはアメリアと堂々と会うことはできなかった。
ハルバートは出世を急いでいた。
期待に応えようと、躍起になっているようにも見えた。
時に危険な依頼にも無謀な突っ込み方をし、
功績と上げると同時にギルド長の雷も食らっていた。
「また怪我したの?」
アメリアのアパルトメントに、あの赤髪の姿でハルバートが訪れる。
「ああ、ちょっとな」
「結構酷かったと聞いたけど」
「腕一本魔物に噛ませて、油断させて仕留めた」
「なんて無茶を!」
回復魔法で何事もないように過ごしているが、
一歩間違えば命に関わる大怪我だ。
「ギルド長が怒るのも分かるわ」
「それでもまた実績を積めた」
「実績もいいけど、私はあなたの身体が心配よ」
「…アメリア、俺が何のために功を急ぐか知ってるか?」
「お家の関係だと思っていたけど、
何か理由があるの?」
「…いや、また言える時になったら言うさ」
ついにハルバートはその実績を買われ、
『蒼の隊』の称号を得ることとなった。
単騎でのハルバートはこれまでに増して自由自在に魔術を繰り、
あらゆる依頼を瞬く間に片付ける剛腕として名を馳せた。
「『蒼の隊』ハルバート・イーヴランド。
国からお前に依頼が来ている」
ある日ギルド長が言った。
「砂の国を知っているか」
「ええ、もちろん」
「あの国が魔術師の助けを求めている。
先日の大嵐で、国に貴重な水をひく灌漑設備が致命的なダメージを負った。
その復旧作業が終了するまで、水を引く手助けをせよ。
…任期は3年だ」
アメリアは心がざわめいた。
3年も、ハルバートに会えなくなる。
「この依頼に成功すれば、
お前の魔術師としての地位はさらに上がるだろう」
「ええ、行きます」
ハルバートは即答した。
即答した彼を見て、アメリアは少し傷ついた。
依頼はすぐに動く必要があった。
水不足は人命に直結する。
ハルバートは王宮で勅令を受け、すぐさま出立の準備がなされた。
勅令の翌朝に出発と決まり、その日ハルバートは残った仕事の引き継ぎに忙殺された。
アメリアはとぼとぼと家に帰る。
何も、ためらってくれなかった。
私と会えなくなることに、寂しさはないのだろうか。
魔術師としての功績を積めば積むほど、
ハルバートとアメリアの距離は遠ざかる。
別れの日が、近くなる。
これから3年、私は耐えられるだろうか。
アメリアは深く暗い思考の渦に飲まれ、
早くにベッドに入った。
人の気配に気づいたのは夜半過ぎだ。
「…アメリア」
ハルバートがベッドの脇に立っている。
「ハルバート…もう準備はいいの?」
「ああ、急な依頼で困るが仕方がない」
「これから3年、会えないのね」
「たった3年だ。すぐ帰って来る」
「…私には、たった3年とは思えない」
「どうした?アメリア」
「あなたがいない3年、私にも色々あるかもしれない。
それに帰ってきたら、あなたはもっと高みへ行く。
今ですら隣に立てないのに、
これから先もっと隠れて会うことになるの?」
「アメリア」
「あなたはどうして、私を置いていってしまうの?」
アメリアは涙が止まらなくなった。
情けなかった。
彼の隣に立てないのは自分のせいなのに、
自分は何の努力もしないで彼を責めている。
でも、責める気持ちを、言葉を止められない。
「私たち、もう無理だと思うの」
「アメリア!」
「土台無理な話だったのよ、
私のような者とあなたが一緒にいるなんて。
私はもう、あなたに姿を偽らせたくない」
アメリアはベッドに潜り込み、布団を被った。
もう帰ってくれ、これで終わりだと強く祈った。
…ハルバートはしばらく黙り込んだかと思うと、
凄い力でアメリアの布団を剥ぎ取る。
「な、なに」
ハルバートは何も言わない。
ただ無言でアメリアにのしかかり、
乱暴に腕を拘束した。
器用に光魔法のナイフを出してアメリアの衣服を切り裂き、
膝を割って入り込んでくる。
「や、やめて、やめてハルバート」
「うるさい」
アメリアの唇に噛みついたハルバートは、
それから無言でアメリアを抱いた。
…明け方、
気を失ったアメリアに布団を掛け、
ハルバートは出ていった。
「 」
出ていく直前、ハルバートはアメリアに何か声を掛けたが、
気を失ったアメリアには聞こえているはずもなかった。
翌朝、ハルバートは国を発った。
そのひと月後、アメリアは自分が身籠っていることを知った。
それと同時に、
「『蒼の隊』が貴族の姫と婚約を決めた」という情報が出回った。
…そして魔力の減退が始まるのである。
続きはまた次回。