17
「バート、悪いな。
港町まで急いでくれ」
魔虫にやられた絹織物を見るなり飛び出していったイアンが数刻して戻ってきた。
いつになく真剣な様子のイアンを見たハルバートは、何も聞かずに従い、荷車と絨毯に翼を付与し滑らかに空へ飛び上がる。
行きよりもスピードを上げた絨毯が空を滑る間、イアンがぽつりぽつりと話し出した。
「情報収集してきた。
予想通り、国中各地で魔虫が大量発生してる。
穀物がやられ始めてる」
先ほど買った穴の空いた絹織物を眺め、イアンは奥歯をぎり、と噛みしめた。ハルバートはは口出しせず飛行に徹した。
イアンはその後もしきりに何か紙に書き付けたり、絨毯の上でワックスを暖め、あのシグネットリングをいくつもの封筒に押しつけたり急がしそうにしている。
そうして南の港町に着くなり、イアンはひらりと絨毯から飛び降り、
「大仕事だ、バート。
一緒に来てくれ」
と駆けだした。
辿り着いたのは港に面した大きな建物だった。
「商人ギルドだ」
魔術師と同じように、商人たちにもギルドがある。
ここがこの街の商売の元締めということらしい。
「やあ、俺だ!
ギルド長はいるか!」
扉を開けるなり、イアンは声を張り上げた。
「なんだイアン、藪から棒に」
奥から出てきた大きな腹の男が怪訝な顔をする。
「ギルド長、虫の話は聞いてるか」
「ああ、各地から届き始めてる。
お前の目から見てどうだ」
「楽観視できん。魔虫災害とみるべきだ」
「・・・そうか」
イアンは先ほどから書き付けていた紙をギルド長に見せる。
ハルバートには、それが何であるか分からない。
だが目の前の二人には通じ合っているらしい。
それはまるで、魔術に疎いものの目の前で魔術の話をしているかのようだった。
「分かった、ラッキーだなイアン。
東の国の船の出航が遅れてる。
まだ停泊中だ」
ギルド長はさらさらと何かの書状を書き、イアンと同じようにシグネットリングを押し当ててそれを寄越した。
「よしきた!」
受け取ったイアンはまた走る。
走った先は港に停泊中の大型船だった。
イアンは見張りの男に声を掛けたが、聞いたことがない言語だった。
ギルド長からの書状を見せると見張り番は深く頷き、船の中へ案内される。
狭い船の中は、見たことのない装飾と独特の香りで満ちていた。
異国からの船であるらしく、聞こえてくる言葉は全く理解できない。しかしイアンはその中でも顔見知りに挨拶し、彼らの言葉で会話した。
通されたのは最奥の分厚い扉で守られた部屋だった。
中に長髪を編んだ髭の男がデスクに座っていて、イアンが来るなり立ち上がって握手を求めてきた。イアンも丁寧に頭を下げたため、ハルバートもそれに倣う。
そしてすぐさま懐からいくつかの書状を出すと、それをデスクに広げ何やら議論をしだす。
ものの数分でそれは片が付いたようで、二人は蝋燭の炎で暖めた針で親指を突き、書状に血判を押した。
「何だったんだ、さっぱり分からなかった」
無事船を降りたふたりはまた商人ギルドへ向かっている。ハルバートはついてきて、と言われたもののここまで出番ナシである。
「すまんすまん、蚊帳の外だったな。
いや、あの人はさすがだよ。
恐れ入った」
「あの人というのは船の御仁か?」
「いや、商人ギルド長さ。
各地からちらほら入る虫の情報から、
既に食糧の追加買い付けの下準備を終えてやがった」
実は、魔虫による飢饉というのは国外ではメジャーな大災害であるらしい。たまたまなのか、生態系によるものなのか、この国ではそれが怒ったことは過去ないらしいが。それが今年、我が国でもついに起こったと考えているとのことだった。
「だから商人としてはよ、
食糧を他国から買い付けておくのさ。
世話になった人に安く売るんだ」
「商売人なのであれば、
そこは高く売りつけるのではないのか」
「馬鹿言え。
それでも買ってはくれるだろうがな、
金がなくなって店や工場を畳まれてみろ。
今度は俺らが飯が食えなくなるのさ」
だから、助け合いってやつよ。
イアンはそう笑った。
ハルバートには快活な笑顔がまぶしく見えた。
貴族社会の中で、魔術師として出世を急ぐ中で、
このような助け合いの精神を自分は持っていただろうか。
ハルバートは自分本位な生き様を恥じた。
赤く短く変化させた髪をくしゃりとかきむしる。
「分かった。
俺もできる限り力になろう」
「ああ、頼むぜ。
空飛ぶ商人の大仕事だ」
先ほどの船から伝令の手紙鳥が飛び立つのが見えた。
あれが先ほどのイアンの要請による食糧追加仕入れを伝えてくれるという。
「次の便に間に合えば5日に食糧が来る。
うちの在庫と併せて、優先地域を決めないとな。
明日から忙しいぞ」
そこで一旦解散となり、ハルバートはひとりになった。
ひとりになって分かったことだが、ハルバートはイアンの、いや商人たちの仕事に感動を覚えていた。迅速で、仁義に溢れ、そして優しい。食糧の助け合いなど、政治のやることだと思っていた。実際はこうして、生活している人々皆が出来ることを探しているのだと知った。
自分にも。
自分にも何かできないだろうか。
ハルバートは逸る気持ちのまま、早足で魔術師ギルドへ向かう。
「あっら、いらっしゃい!
初めましてかしら?魔術師への依頼?」
受付嬢のキキにそう問いかけられ、自分が変化しているのを忘れていたハルバートは少々焦って言った。
「い、いや、ちょっとロッチ卿に会いたいんだが」
「お約束は?」
「いやあの、珈琲豆の売り込みで」
とっさについた嘘があまりに浅はかで、ハルバートは頭を抱えたくなった。
「なるほどね!
それならロッチ卿はお会いになると思うわ。
ちょっと待ってね」
かくして簡単にギルド長室に通されてしまった。
「いらっしゃい」と出迎えてくれたロッチ卿の部屋の扉が閉じてすぐ、ハルバートは変化を解いた。
「なんだ、君か」
「どうなっているんですか、このギルドのセキュリティは」
「すまんすまん。
敵襲だったらこの部屋の魔道具たちが火を噴いたさ。
ここには『紅の隊』謹製のものが多くある」
「それは怖い」
座るよう促され、ハルバートは商人ギルドで見聞きしたものについて話した。魔術師側も何かできることはないだろうか、と。
「そうさな。君はその空飛ぶ商人とやらで、
食糧の運搬を手伝ってやるといい」
ロッチ卿は軽く襟を触ると、
「実はな、魔道具開発部が頑張ってる。
虫の侵入を防ぐ道具を開発中だ」
「そうだったのですね」
「ただ難航していてな。
サンプルはあるんだが、再現できる魔術師が少ないらしい」
「あぁ、『紅の隊』の仕業ですか」
「いや、作成したのは別の、匿名の魔術師らしい」
『紅の隊』は元々は魔道具開発部の職員だった。
その発明品があまりに破天荒で、扱いが当人にしかできないようなものを数多作った結果、単騎隊の称号を得てしまったのである。
主に魔獣討伐にひとり自作の飛行機で殴り込みに来ては、とんでもない火力の魔導バズーカをぶっ放して帰って行く。
また悪辣なほどの強力な罠を作っては、大きな海獣を仕留めたりしていた。
本人が派手好きなだけで、その魔道具自体は非常に精巧なものである。彼が設計したはいいものの、誰も作れないという代物が多くあった。
「開発部もなるべく『紅の隊』にバレないように再現を試みたらしいが、お手上げだったらしい。最近『紅の隊』に招集がかかった」
「なぜバレないようにする必要が?」
「決まってる。魔改造されるからだよ」
「ああ・・・」
遠い目をしたハルバートに向き直り、ロッチ卿は声を低くした。
「ところで、少し良いか」
「何でしょう」
「ここ最近、アメリア・ハーバーを出せという来客が何組か来てる」
「は?」
「表向きはこの街に赴任したことになってるからな。
服装を見るに、恐らく貴族の使いだと思う」
「なぜ・・・」
「分からんが、彼女が探されていることは確かだ。
守りたいなら急げ」
なぜ、彼女が、今。
ハルバートは目を見開いた。




