13
夏が近づいていた。
「今年はやっぱりちょっとおかしいわ。
アメリアさんのカーテンには感謝してる」
語るのはマダム・カリファである。
今年はやけに魔虫が多い。
しかも丸々太って大きく、飛行距離も長い。
この服飾の街では先に虫除けカーテンを導入していたおかげもあり、例年並みもしくは例年より少ない被害で抑えられている。
「お役に立てて良かったです」
「でね、今日のお話なのだけれど」
「はい」
マダムは浮かない顔をしている。
「実は、魔虫の被害は今年国中で広がっているわ。
我が街は主に綿や絹を食べられての被害だけど、
農村部では穀物がやられている」
魔虫は雑食である。
マダムの言うとおり、主に穀物などの植物もかじられている。
「そこら中の食物庫に魔虫が湧いて、
穀物がだめになっているそうよ」
「それは酷い話ですね。
食料品店用にも新調しましょうか」
「いいえ、待って。
・・・私はね、今とても恐ろしいのよ」
マダムは眼を閉じた。
「我が街は服飾への被害を守るため、
あなたの技術を独占している状況よ。
これがバレたらどうなるかしら。
着飾ることより食べるほうが皆大事よ。
この街全体が恨みを買うかもしれない」
飢えとは恐ろしい。
魔虫を退治できる技術を持っていながら、
門外不出としてその益を独り占めしたならば・・・。
「焼き討ちに遭うかもしれないわね」
マダムは眼を閉じたまま呟く。
「あの、私、もっと作ります」
「いいえ、それじゃ間に合わないわ。
あなたの時間をすべて使っても、
カーテンを求める人には行き渡らない。
そうなったら理不尽な責めを受けるのはあなたよ」
もっと作れ。早く作れ。
困っている人がいるのだ、何を休んでいる。
お前が作らないせいで被害が出た。
お前のせいだ。
アメリアにも空耳の罵倒が聞こえる。
「下手したら、貴族に誘拐されて幽閉されるかも。
マテオを人質に取られるかもしれないのよ」
「そ、それは困ります!」
想像してアメリアは震えた。
以前なら、世界が自分を必要としてくれるならば、喜んで魔力の限り作っただろう。
でも今は違う。
マテオが、マテオだけが自分の守りたいものだ。
彼に被害が及ぶならば、世界の求めなどどうでもいい。
「ギルドの魔術師たちも、
この技術は再現できないっていうし」
マダムはまだ眼を閉じている。
アメリアは考えを巡らせる。
何か。解決法はないか。
自分ですべて作ることが難しいならば。
「あ、あの、マダム」
「なあに?」
薄く片目を開けたマダムがアメリアを見る。
「お願いが、あるんです」
ーーーーーーー
「で?婚姻は撤回できないと」
「その通りです、スウェイン卿」
ようやく出た結論がこれか。
内心で大きなため息をつくと、
目の前で苦虫を噛みつぶしたような顔をしているイーヴランド侯爵を眺めた。
「ダフネがしくじりましてね。
社交界を使って丸め込めれば良かったものを」
「ほう。
貴殿としては不本意であるようですな」
「ええ、まあ、そうですとも。
奴を引きずり出す他の手を考えねばなりませんからな」
スウェイン卿は好奇心のまま訪ねた。
「しかし貴殿、
どうしてそこまでハルバートの意思を無碍にするのか。
あいつは屈指の魔術師で、成人男性ですよ。
本人に任せてやったらどうです」
「スウェイン卿、あなたこそお分かりでない。
奴は魔術師である前に貴族です。
魔術師としての誉れも、家のために捧げるべきだ。
であればこそ、
奴がイーヴランド家の意向に従うことが重要なのです」
誉れ高い『蒼の隊』が、貴族社会に膝を付く構図を見せることが大事なのですよ。
イーヴランド侯爵は鼻を膨らませて言った。
「そうすれば、魔術師協会より貴族が偉いと示しがつく?」
「そういうことですな。
ですからな、婚姻は撤回できません」
魔術師などという労働身分の訴えなぞ、貴族が飲んだら沽券に関わるのでね。
その得意げな顔を見て、スウェイン卿はうんざりした。
自分たちで何かできるという訳でもないくせに、威張りたがり人を物のように従えたがる。ああ、こいつはハルバートにとって害になる。
「はっは、なるほどな。
イーヴランド侯爵、私は今決めましたよ。
今日の夕刊、いや明日の朝刊かな。
楽しみにしておられると良い」
「な、なに・・・?」
イーヴランド侯爵の腰が浮く。
足も浮いて、地面から遠ざかる。
以前よりちょっと高さをサービスだ。
「ま、またか、やめろ、」
「イーヴランド侯爵」
スウェイン卿は無様にひっくり返りそうなイーヴランド侯爵を睨み付けて言った。
「魔術師を、労働者をなめるのもいい加減にしろ」
そして風に乗せ、屋敷の外に吐き出した。
引き出しの中から通信箱を取り出し、
「魔術師協会本部へ告ぐ。
総帥ならびに幹部を招集願う。
緊急会議だ」
と告げた。
箱の向こうからは短く『応』と帰ってきた。
その日、新聞社は大騒ぎとなった。
魔術師協会総帥直々の掲載依頼があったのだ。
添えられた短い文章は、長期休暇ともストライキとも言われている『蒼の隊』ハルバート・イーヴランドの書簡であった。
「望まぬ婚姻の強要に抗議するため、出奔する」
そして魔術師協会は全面的にそれを支持した。
ハルバート・イーヴランドの尊厳を支持し、
それを踏みにじる貴族社会への叛旗を揚げたのだった。
ーーーーーーーーー
「・・・お嬢様」
新聞を手渡した侍女は、ダフネの握りしめた手を見てそっと声をかける。
「・・・何なのよ」
ダフネは小さく叫ぶ。
バサッ!と新聞を後ろ手に投げ捨て、ベッドへ飛び込んだ。
枕に顔を埋め、力の限り叫ぶ。
「何なのよ!なんで上手くいかないのよ!」
「お嬢様・・・」
「外堀埋めてやったんだから、
観念して結婚すればいいじゃない!
何で抵抗すんのよ!」
「これで勝ったと、思ったのに!」
ダフネは伯爵家の令嬢である。
貴族としては高位にあたるが、家は没落寸前だった。
理由は大変悲しいことに、先代と今代の当主があまりにも愚かであったせいである。
貴族でありながら平民との距離が近く、
助けを請われれば抑揚に頷いて金を出してやり、
幾人もの孤児を連れてきては使用人として養った。
身の丈に合った出資なら良かったものの、
愚かなことに無計画に垂れ流したその金は戻ってくることはなく、そのせいでダフネに使えたはずの教育資金や食費、服飾費が削られることになった。
「ダフネ、ごめんな」
口癖のように父はそう言い、ダフネの持ちものを売りに持って行った。
自分のコレクションの猟銃は売らないくせに、
ダフネのものは簡単に売りに出す。
学園に入学できた時には心底ほっとしたものだった。
これで少しは自分自身に箔が付けられる。
ダフネは学園の寮に入り、朝に夕に勉学に励んだ。
成績も優秀な部類だった。
でも、周りの貴族令嬢たちはいつも馬鹿にした。
『ダフネ嬢は頑張っておいでですけど、
結婚相手を探すのはきっと大変よ。
あの家と縁続きになるのはねぇ』
『あっという間に自分の家も喰い潰されそうですものねえ』
『お家に帰ってお父様のお手伝いをなさるのがよろしいのでは?
お金の計算あたりされた方が賢明ですわね』
ダフネは悔しかった。
悔しくて悔しくて、
どうにか見返してやりたかった。
それなのに。
「ダフネ、ごめんな」
久しぶりに目の前に現れた父親は、
ダフネの退学届を持っていた。
平民の商人に騙され、巨額の金を失ったのだ。
「ダフネ、ごめんな。
もうお前の学費がないんだ」
そう言って連れ戻された実家で、
ひとつも減っていない父の猟銃コレクションを見た時、
ダフネは心の中で父を葬った。
私は自分でのし上がる。
騙しても誠実でなくても何でもいい。
執事と協力して財布の紐を握り、
また父が無計画な投資話や慈善寄付の話を持ち帰った時は、
決死の覚悟で自ら出向き断りを入れた。
そのせいで、領民からダフネはひどく嫌われている。
「強欲な、喜捨をしない令嬢だ」と。
そして最低限の服飾品を揃え、社交をした。
伯爵令嬢として、慎ましやかに、しかし強かに。
家のためではなく、自分のために。
そうして巡ってきたハルバート・イーヴランドとの縁を、死に物狂いでたぐり寄せた。
愛なぞどうでも良かった。
騙されたと生涯恨まれても良かった。
金と、地位と、誉れを、
すべて手に入れたかった。
見返してやりたかった。
父を、あの日笑った令嬢を、詐欺商人を、
ダフネを踏みつけたすべての人間を。
それなのに。
「どうして、上手くいかないのよぉッ・・・!」
何の装飾もない粗末な部屋に、ダフネの慟哭が響いた。




