10
ハルバートは失意の中、雑踏に紛れていた。
『あっという間に潰されるぞ』
『アメリアを探すなよ』
『奪っちまえば良い』
ふたりのギルド長の言葉が去来する。
どうすればいい。どうするべきだ。
ふらふら歩くうち、気がついたら結構な路地裏に迷い込んでいた。
湿った地面、壁の落書き、
そこかしこに落ちているゴミ、排水溝のネズミと虫。
ハルバートは勿論屈指の魔術師であるため、
多少の治安の悪さは問題にならないが単純に気分は良くない。
離れよう、と踵を返すと、
「魔術師様!魔術師様じゃないか」
路地の奥からひょろりとした長身の男、イアンが現れた。
「イアンか。君、こんな場所で何を?」
「まぁ野暮用よ。
しかしまた会えて嬉しいぜ、魔術師様。
『リボンと道』に行ったがまだ来てないと聞いて、
もう会えないかと思ったぜ」
「実は今日街についたところでな。
色々寄り道したもんだから。
今から宿へ行こうと思っていたところだ」
「じゃあ一緒に行こう、そして飲もう」
勢いよく肩を抱かれて路地を出る。
表通りに面した大きな宿が『リボンと道』だった。
赤い大きな三角屋根がいくつか連なり、木枠の窓には色とりどりの花のプランターがぶらさがった美しい宿だ。
「どうだ?南国らしい華やかな宿だろう」
「ああ、女性が好みそうな店だな」
「おうとも、飯もうまいぞ」
そう言って大きな木の扉を開け、
勝手知ったるようにカウンターに呼びかける。
「おおい、リサ!いるか!」
すると奥から、
「ええ?イアン、またなの?」
と若い女性がエプロンで手を拭きながら顔を出した。
「俺の恩人だよ。
とっておきのもてなしを頼むぜ」
「あぁ、来られたの?
ようこそ、この街は初めて?」
「あぁ、初めてだ」
「じゃあ一番街がよく見えるお部屋にするわね。
日当たりが良くて過ごしやすいわよ。
滞在はどれくらい?」
「すまないが、決まっていないんだ」
「どんと来いよ!
長期になりそうなら言ってね、割引するわ」
リサと呼ばれた女性は手際よく鍵を準備し、
「はい、お腹が空いたら1階のレストランに来てね。
もうすぐ夕暮れ、ビールが美味しい時間よ」
パチン、とウィンクをひとつされ、
ハルバートはたじろぐ。
「まぁた、お前客に酒飲ませてもらおって魂胆か」
イアンが笑う。
「やぁね、気が向いたらお酒のお相手しますよってことよ」
「あいにくだな、この御仁は今日俺と飲むんだ」
「じゃあ乱入しても構いやしないわね」
「おいおい、勘弁してくれよ!」
きゃはは、と笑って去って行くリサを横目に、
イアンは肩をすくめた。
「すまない、魔術師様。
リサはいい奴なんだが無類の酒好きでな」
「いいさ、俺は気にしない」
「ひとまず荷を降ろしなよ。
そしたら少し早いが夕食にしよう」
「ああ、わかった」
ーーーーーー
「・・・魔術師様、あんた・・・
ほんとに、難儀な・・・」
「笑ってくれ」
酒が入ったハルバートは喋った。
恋人の左遷は嘘で、この街には不在なこと。
自分が貴族の子息で、望まない婚姻をなかば詐欺のように強いられようとしていること。
恋人の嘘の辞令は、自分や自分の周りの貴族から平民である彼女を逃がすためだったこと。
それなら諦めればいいものを、
追いかけてきた恋人の夫がろくな奴じゃないようで、
どうしても彼女が幸せなのか、確かめたくて諦めがつかないこと。
南風の気持ちいいテラス席でビールとイアンとリサに囲まれ、ハルバートはくだを巻いていた。
「あなたねェ、私からちょっと言って良い?」
「・・・お手柔らかに頼む」
「もし私がその恋人だったら、
あなたがのこのこ自分の前に現れたら悲鳴をあげるわね」
「おいおい、優しくしてやんなよ」
「だってそうでしょ?
この目立つお綺麗な顔が訪ねてきたら、
多分ろくでもない夫は浮気を疑うでしょ。
それも迷惑だし、その上貴族から狙われるって?
私なら速攻で引っ越しね」
「・・・やはりそうか」
リサはふん、ごめんね、
と鼻を鳴らし、
「ちょっと待ってて、おつまみサービスするわ」
と言って席を立った。
「うーん。
俺としては解決法がなくはないなぁ」
「そうなのか?」
「ああ」
イアンはビールを置き、座り直す。
「変身魔法ってあるだろう」
「ああ」
「ありゃ難しいらしいな。
普通の魔術師は顔の1パーツくらいしか変えられんが、優れた魔術師は姿ごと変えられるという」
「ああ、そうだ」
イアンはハルバートの耳元に口を寄せ、
「あんたならできるだろう、『蒼の隊』」
「!」
ハルバートは瞬時に警戒した。
周りの空気がぴりぴりと張り詰める。
「あのなぁ、俺たち商人は情報通だ。
あの『蒼の隊』だぜ?
スターのホットな話題を逃すわけねぇだろ。
実家と喧嘩して出奔中、
婚約者がいるが、どうやら他に女がいるらしい。
この辺の情報は商人ならみんな知ってる」
しかもあんたのその髪と瞳の色ときた。
その情報をつなげるには十分だろう。
イアンはまたビールをあおる。
「・・・婚約者では、ない」
「そこから違うのか?」
ハルバートは観念し、イアンという男を信用して喋った。
正直に言うと、酒の力もあったが。
「俺が『蒼の隊』の称号を得たのは、
彼女・・・アメリアのためだ。
魔術師として換えがきかない存在になれば、
貴族籍を抜けて彼女と一緒になれると」
「なるほどな」
「だがそのことは父には言えなかった。
きっとアメリアを害するだろうから。
父は山ほど縁談を持ってきて、
あまつさえ勝手に妻を決めようとした。
そこで出会ったのがダフネだ」
「例の婚約者か」
「ああ。
利害が一致した、と思っていた。
お互い別の望む相手がいて、
結婚できるようになるまで時間稼ぎが必要だと。
だから婚約内定として、時間をかせごうと」
「ほう。それが翻意されちまったのか」
「どうやら最初から嘘だったようだ。
その後は俺は砂の国に旅立ち、
彼女は俺の婚約者として社交界で地位を得た」
「やるねぇ!そのご令嬢は!
きっとあんたが国にいたならば、
時間稼ぎの間に本命の彼女を探して消すつもりだったんだな」
「そうかもしれない」
イアンはひとつ机を叩き、
「じゃあやっぱりこの案だ。
あんた、自分の姿を捨てるべきだ」
「姿を?」
「ああ、姿を変えて彼女を探せば良い。
それなら誰に見られても平気だ。
見つけたらそっと、彼女にだけ分かるように手紙鳥を出せば良い」
試しに見せてくれよ。
イアンが前のめりで目をキラキラさせる。
ハルバートは軽く息を吐くと、
学生時代にアメリアとの逢瀬で使っていた赤髪の男の姿に変化した。
『私はもう、あなたに姿を偽らせたくない』
アメリアの涙声が頭に響く。
アメリアは望むだろうか。自分がまたこの姿で目の前に現れることを。
「すげえな、まるで別人だ」
イアンが感嘆しているところに、
「あれ?魔術師様、お部屋に戻っちゃったの?」
リサがハムとチーズとウィンナーを携えて戻ってきた。
「ちょっと言い過ぎたかしらね。
彼、とっても素直な良い人ね。
幸せになれるといいけど、
悪い人に利用されないか心配だわ」
「まあ、そう言ってやるなよ」
イアンは種明かしをするつもりはないらしい。
「あんたも含んでるのよ、イアン!
私給仕の手伝いしてくるわ、楽しんでいって!」
「ああ、またな、リサ」
リサはそう言って立ち去っていった。
「全くバレないもんだな」
「幸い見抜かれたことはないな」
気づいたのはただ一人。
アメリアだけだった。
「で、どうだ?この案」
ハルバートは逡巡する。
アメリアを危険にさらしたくない。
ただ、幸せであるかどうかをこの目で確かめたい。
誰の目も介さず、歪められた情報でなく、
ありのままの彼女に会いたい。
「・・・やろう」
「よしきた!それでだな、提案なんだが」
イアンが揉み手ですり寄ってくる。
「男ひとりより、
商人ふたりのほうが怪しまれないと思わないか?」
「・・・なんだと?」
リサの言葉が反響する。
『悪い人に利用されないか心配』と。




