レイラ・ライトスミス(2)
【3】
レイラの言葉と同時に男が抜き放ったサーベルの切っ先がレイラの喉元に突き立てられた。
「立て、レイラ・カマンベール。まさかこんな所で巡り合えるとは思ってもいなかったぞ」
「フーリー・シュレッド男爵令息…」
シュレッドと呼ばれた男はサーベルを突き立てたままレイラの襟首を掴み事務カウンター越しに強引に押し倒すと無理やりカウンターからこちらに引き摺りだした。
「「「「レイラ奥様!」」」」
「「「「レイラ様!」」」」
「ハハハ、さすが王立学校主席だけあるな。この街でも慕われている様だな」
「あなたこそ近衛騎士団はどうしたの? クビになって身でも持ち崩したのかしら」
「黙れ! 俺はあの時の屈辱を糧に踏みとどまって来たんだ。今は近衛騎士団の第十二中隊の隊員だ! 俺を土下座させたことを今ここで後悔するんだな!」
カウンターから派手に床に落とされたレイラはそれでも痛む体を我慢してカウンターに寄りかかりながら立ち上がる。
「それで気が済むならわたくしをお刺しなさい。それでこの街の脅威が一つ減るのならわたくしは構いませんよ」
平然とそう言い放つレイラを憎々し気に睨むとシュレッドは左手でレイラを抱き寄せるとその心臓付近にサーベルの刃を当てている。
「その四人を解放しろ。今の話を聞いただろう。この女には遺恨が有るから刺し殺す事に躊躇いなど無いぞ。レイラ・カマンベール、貴様には人質になって貰う」
人質がレイラと分かった群衆はシュレッドを取り巻く衛士の後ろに集まって怒声を上げ始めた。
「卑怯者!」
「レイラ様を放せ!」
「レイラ様に少しでも怪我をさせたならこの町を生きて出られると思うな!」
「レイラ様に無礼を! 殺してやる!」
市民は殺気立っている。
衛士や事務員姿のメイドたちも冷静さを欠くほどに怒り狂っている。
「おい、貴様の仲間たちの縄はといたぞ。しかし一人は脳震盪で意識が無いがどうする? こちらの男も意識はあるが腕が折れてるぞ。五体満足なのはこいつだけだ。この足手まといどもを連れて逃げ切れると思っているのか?」
「くっ、意識のある二人はこっちに来い。それから馬車を用意しろ」
無抵抗で捕まった男がメイドに蹴られて腕を折れた男を助け起こし、苦痛にうめく男を立ち上がらせる。
腕だけでなく足も捻挫している様でびっこを引いている。
「シュレッド卿、どうにかしろ。治療を要請しろ。ここの治癒術士は…」
「黙れ! この状況が分からないのか。今更ハウザー王国の貴族の地位をひけらかしてもそれも剥奪されている筈なんだからな」
「貴様、準男爵の分際で。俺は本来大公国の大公になるはずの」
「今は逃亡貴族だ! 俺の言う事が聞けなければここに置いて行く。司直に捕まるなり市民のリンチに遭うなり勝手にすればいい」
その会話で状況を知るレイラは理解できた。
この腕を折った男がバトリー子爵なのだ。
子爵が持ちかけたのかペスカトーレ枢機卿が引き込んだのかは知らないが、近衛騎士団の教皇派の連中が手引きしてルクレッア侯爵令嬢暗殺の手駒にされたのだろう。
さすがに近衛騎士団のことまではレイラには判らないが、シュレッドと言う男は王立学校当時は一年上の騎士団寮に住む近衛騎士であった。
暗愚で凡庸な俗物であったことは記憶している。
騎士団寮の騎士など殆んど記憶にないのだが、この男は平民寮の女子数人に暴行や強姦を働いた為レイラが講義室に乗り込んで教室の(実際はそれを見に集まった非常に多数の)生徒の前で被害に遭った女子に土下座で謝らせたことが有り記憶していた。
思うに中身は変わっていないのではないかと感じる。
平民出身のウィキンズがすでに小隊長となっている事を思えばその親と言ってもおかしくない年で一般騎士で燻ぶっていること自体がその証左のように思える。
【4】
「誰か! 直ぐに馬車を用意して。市庁舎の玄関は人が多くて馬車が進めなくなるから左手の十字路に留めさせてちょうだい」
「何を勝手な事を!」
「ここの玄関では馬車に乗ったとたんに市民が殺到するわよ! この先の十字路から乗って城門迄衛士隊に道を開けさせる方が得策じゃなくて?」
「分かった。この女の言う通りにしろ」
「治癒術士も、治癒術士も呼んでで欲しい」
「うるさい! 分かったから治癒術士も」
「これ以上人を増やしてあなた達逃げ切れるとおもうの? 一人増えれば馬車の速度はそれだけ落ちるのよ。フーリー・シュレッド男爵令息様、足手まといを三人も連れて逃げ切れると仰るのかしら」
「うるさい! 男爵令息と言うな! 近衛騎士として独立して準男爵位を賜っている」
やはり凡庸なようだ。男爵家の三男だったか次男だったか忘れたが、男爵令息で騎士になれば準男爵位は王立学校卒業時に与えられる。卒業から二十余年かかってまだ昇爵すら出来ていないのだ。
「それで準男爵様、治癒術士は如何致しましょう」
「クッ、治癒術士はいらんからさっさと馬車の用意をしろ」
この間にすでに誰かが捕縛の準備に走っている筈だ。
少なくとも御者は州都騎士団か衛士隊の精鋭がつく準備が進んでいるだろう。
なによりこの男はレイラをかかえて役に立たない二人の男を連れて周囲を警戒しながら市庁舎の玄関から十字路の馬車迄百メートル余りの道を歩かねばならないのだ。
それも道に両脇には殺気をまき散らす市民の集団の中を通り抜けてだ。
殺気に紛れて捕縛の為の人員も見つかり難いはずである。
シュレッドはレイラを抱えてカウンターを背にして周りを警戒しながらゆっくりと進む。
レイラは先ほどのカウンターからの転落で足を痛めたふりで右足の力を抜いてシュレッドの腕に体重をかけて寄りかかっている。
「貴様、さっさと歩け!」
「仕方が無いですわ。足を挫いてしまいましたもの。気に入らぬならわたくしをお刺しになってお逃げになれば良いではないですか」
「何年たっても口の減らぬ女狐め!」
シュレッドは苛立たしそうに無理やりレイラを引っ張ると玄関に向かって進んだ。
「奥様に乱暴をするな!」
「レイラ様に無礼をはたくと容赦しないぞ!」
ホールのあちこちから怒声が飛び憎悪の視線が注がれる。
「色々と街の人間を誑かしているようだな。女狐め」
シュレッドは悪態をつくと玄関から外に出た。
通りはレイラの言ったように広場に街の人間が集まり馬車など乗り入れる事が出来ない。
十字路までの道は通路に群衆がこぶしを上げて怒鳴り、それを衛士が押しとどめている。
シュレッドたち四人はその花道の様になった通りの中央を進む事になるのだ。
その観客から飛ぶのは罵声と怒号ばかりだが。
「お前ら! 見世物では無いぞ! さっさとどこかへ失せろ!」
まるで三下のチンピラが吐くような定型句を吐きながらサーベルを振り回した。
「それでも衛士か! レイラ様を助けろ!」
「レイラ様をどうするつもりだ!」
「レイラ様を守れ!」
そう言って棒を持った男が馬車に向かって走り出した。
それを衛士が押しとどめ、後に続こうとした市民を押さえ付けて叫ぶ。
「バカ者! レイラ様にもしもの事があるとどうするのだ!」
「誰も馬車の側に近づけさせるな!」
骨折して捻挫もしているバトリー卿が必死で馬車に駆け寄り馬車のドアを開こうと足搔くが、折れた右腕と捻挫の足では一緒に居る男の手助けを受けても扉の開いた馬車に上がる事が出来ない。
「手伝え! いや、手伝ってくれシュレッド卿」
「くそう。この足手纏いめ。俺は人質を捕まえているんだ」
「なら衛士に手伝わせればよいのですわ。バトリー様は足手纏いの様ですし」
シュレッドはしばらく考えた。
よしんば衛士があの二人をとらえてところで人質は自分の手元にある。
最悪でも自分は逃げ延びる事は出来る。
シュレッドは通りの真ん中でレイラを羽交い絞めにしてサーベルを衛士たちに向けている。
その衛士たちが二人バトリー卿たちを馬車に乗せる為手を貸している。
「レイラ様、お足もとに気を付けて転ばぬ様に!」
衛士の中から声がかかった。
それを聞いたレイラはいきなり両足の力を抜いて崩れ落ちるように倒れ込んだ。
慌てたシュレッドが両手で抱え起こそうとした途端その眉間目がけてこぶし大の石が飛んできた。
シュレッドが気付いた時には口の中に血の味が広がりそして意識を失い崩れ落ちて行った。
素早く倒れてくるシュレッドを避けて立ち上がったレイラは群衆の方を向いて服の土を払いながらにっこりと笑った。
「さすがはウィキンズですね。近衛騎士団の小隊長だけの事は有りますわ。皆様、あのウィキンズがこんなに立派になって帰ってまいりましたわよ」
もう群衆は地面に転がるシュレッドや衛士に拘束されているバトリーたちは眼中になく、ウィキンズとレイラに向かって大歓声を上げている。
レイラお母様が大活躍
久々に地元の英雄、ウィキンズが大活躍です
↓の☆☆☆☆☆評価欄↓を
もし気に入っていただけたなら★★★★★にしていただけると執筆の励みになります。
 




