謎の男
【1】
時間が停まった様に見えた。
男のサーベルはルクレッア目がけて振り下ろされようとしている。
唖然とするケインの目の前を何かが飛んで行った。そう、飛んで行ったとしか見えなかった。
それは先ほど見咎めていた例の修道女だった。
まるでスローモーションのようにサーベルを振り上げていた男のわき腹目がけて飛び蹴りが炸裂していた。
「フフーン、今日もゼッコーチョー!」
謎の男はサーベルを取り落として通りの群衆の方向に向かって飛ばされて行った。
「ベルナルダ! 常に警護対象の正面に立てと教えたはずだよね! ミアベッラもウルスラも全ての警備対象からは目を離すなと言たよね。何よりシャルロット! 君がついていながらこの失態はなんでなんだろうね!」
メイドたちへの叱責の声が響き渡った。
「「「「フィリピーナお姉様。お手を煩わせるような事をしてすみませんでした!」」」」
あのシャルロットが真っ青な顔で頭を下げた。
他の三人のメイドも震え上がっている。
フィリピーナと呼ばれた長身の女性は精悍な顔立ちとスラリとした体躯に加えて長い足とピンと立った小さな耳が特徴的な馬獣人のようだ。
栗毛の長い髪を後ろで束ね、額には前髪の中央に白い巻き毛が一筋たれている。
あの離れた距離を一瞬で走り抜けて蹴りを入れたと言う事はかなりの身体能力を持っているのだろう。
「さあ、怖かったでしょうがもう大丈夫ですよ。庁舎に入りましょう」
フィリピーナはルイージとカンナとルクレッアをその長い手で三人とも抱きしめて言った。
「待ってくれ。さっきの刺客は」
「僕が蹴った後そのまま群衆に紛れて逃げてしまったよ。この状況でなければ、僕のスピードなら捕まえる事が出来たと思うんだけれど、こんなに人が居ては仕方ないね」
フィリピーナはそう言うとカンナとルイージの手を引いて庁舎へ誘って言った。
その後からルクレッアとしおれたベルナルダが続く。
「あの人見知りのカンナが…」
「フィリピーナお姉様は誰とでもすぐに仲良くなれるんですよ。私たちの指導をして下さった大先輩です」
「でも、私はメリージャの最古参はシャルロットって聞いたわ」
戸惑いながらテレーズがシモネッタと共に後に続いて歩いて来るウルスラに問いかける。
「フィリピーナお姉様はセイラカフェの最古参の五人の幹部メイドのお一人ですよ」
「でも幹部メイドの方々は知ってるつもりだったのですが。家宰のグリンダさんの下にリーダー格のアドルフィーネさん。エマさんと一緒に居るリオニーさん。ナデタさんとお姉さんのナデテさん」
「えっ? ご存じなかったのですか? フィリピーナお姉様はメイドの間では帝王って呼ばれているセイラカフェ全体を仕切る凄腕ですよ。アドルフィーネお姉さまが市長様のお屋敷に行ってからはメリージャでシャルロットたちを、その後はリオニーお姉さまの後を受けてパルメザンで私も指導を受けました。この間まで王都でエヴェレット王女付きをしておられたはずです。全てのセイラカフェでは開店時の基礎指導を行っているのでカフェメイドでは知らないものは居りませんよ」
たぶんそうやってあちこちをまわっているので会う機会が無かったのだろう。
【2】
留学生たちを部屋に返すとカンナとルイージの面倒を見る為にベルナルダとテレーズを残して、ケインとシャルロットたちは別室に集まっていた。
室内の警護はフィリピーナが動員したセイラカフェメイドが、室外は警備騎士団が廊下に待機している。
「いったいあの男の正体は何だったんだろう。僕の蹴りをくらって直ぐに立ち直っただけじゃなく、逃走に転じるのはかなりの手練れだと言う事だよ」
「そうでしょうね。あの剣捌きも太刀筋もかなり実戦を経験している物だと思います。何よりラスカル王国の近衛騎士団につながるものである事は間違いありませんから」
フィリピーナの感想にケインが自分の推測を付け加える。
近衛騎士と断定するケインに対して他の全員が根拠を求める眼を向ける。
「第一城郭の襲撃の時に徽章を見せられたのですよ、近衛騎士団の」
「偽物と言う事は?」
「絶対は有りませんが、自分ももとは近衛騎士ですからまず間違いありません。まあ自分の物か誰かから奪った物かは分かりませんが、奪うとなればリスクが大きすぎる」
「なら国王陛下からの刺客と言う事でしょうか」
テレーズが不安げにそう言った。
「そうとも言い切れないんです。近衛騎士団の北大隊は王宮警備専属なのですが、構成員の名前も顔もほとんど知られていない。特に十二中隊は非合法活動を行っていると噂されています。なにより教皇派の王太后殿下が影響力を持っていた中隊で今でも教導派、教皇家の勢力が強い部署なのです」
「王太后と言えば先々代王を暗殺したとか言う」
同行していたサンペドロ辺境伯が眉を顰める。
「あくまで噂ですよ。でも事実なら実際に手を下したのは十二中隊でしょう。その王太后は教皇の実の妹。それにシェブリ伯爵は近衛騎士団の北大隊に所属していたとか聞いた事が有ります」
「ヤバイねえ。王太后、ペスカトーレ枢機卿あたりが怪しいのかな。今のこの時期じゃあ国王陛下はハウザー王国と諍いは起こしたくないだろうからね」
「シェブリ伯爵家も一枚噛んでいるとなると間違いなく近衛騎士団の十二中隊でしょうね」
「ペスカトーレ枢機卿の指示でそのシェブリ伯爵家が近衛第十二中隊から暗殺者を派遣させた? あの暗殺者の男が近衛騎士なのだろうな」
やはり同行していたコンラッド・ダルモン市長がそう言うと何やら考え出した。
「あの男は王都からついて来ていたそうだな。国境での戦闘でも市庁舎での襲撃でもここの襲撃でも刺客を全て切捨てている。当然ケイン殿の信用を得る為にでは有るのだが…」
「何か不審な点でもあるのか。コンラッド」
「あっ、いえ刺客を差し向けたのはバトリー大司祭でしょう。あの女はあの市庁舎でのセレモニーの席から途中退席した後行方をくらましておりますし」
「なら予想通りあの近衛騎士とバトリー大司祭が繋がっていたのだろう」
「それはそうなのですが…」
ダルモン市長の言う事にはメリージャ市庁舎でもヴェローニャでも最終的に襲ったのはテレーズ聖導女で、それはケインの意識をルクレッアからテレーズに誘導する為だろうとの推測は正しい。
しかしバトリー大司祭があっさりと失敗する事が解ってような襲撃を試みたのか。
このまま聖教会に籠って知らぬ存ぜぬを貫き通していれば少なくとも大司祭の地位は守れたはずだ。
幾ら愚か者の彼女でも大司祭の地位を失えば後がない事は理解している筈である。
それでもこんな暴挙に出たと言うならば何か隠れた理由が有るのではないかと言う事だ。
「あの司祭なら何か知っているのではないか? 最側近であろう」
「それが、ドミンゴ司祭もあまり情報は持っておらぬようなのです。6×6リバーシの棋譜の件依頼、溝が出来ておる様で」
「待って下さい。その司祭は信用が出来るのですか」
「ああ、それなら問題はない。ペスカトーレ枢機卿との書簡をグレンフォードに運んでいる男だ。何よりカンボゾーラ子爵領に人質を取られているのでな」
「惚れた女の為なら命も惜しまんだろう。知らんかカンボゾーラ領のニワンゴ司祭はケイン殿にとってのテレーズ殿以上だぞ」
真っ赤になるテレーズとケインを尻目にフィリピーナが話を進める。
「僕もドミンゴ司祭とは面識があるけど少なくともバトリー大司祭につくような事は、あの恋愛脳の司祭様に限って絶対ないね。そうなるとバトリー大司祭に接触している奴がいるって事だよね。あの婆の性格的に獣人属はあり得ない」
「そうなると相手は絞られるな」
「当然ペスカトーレ侯爵家が教導派の地位をエサに協力を取り付けた」
「ならば今あの女はどこに潜んでいる? バトリー大司祭を受け入れる事の出来る様な場所はラスカル王国の教導派は持っていないぞ。ラスカル王国人が出入りする場所は宿屋か綿花紡績関係の施設、後は河船くらいだろう。全部清貧派の息のかかった場所だ。バトリー大司祭ほど顔の知られている我儘女が静かにひそめる場所じゃあない」
ダルモン市長の否定の言葉には説得力があった。
「なら福音派の聖教会じゃないの。そこしかないよ。総主教の方針転換が気に入らないヤカラがいるんじゃないかな」
フィリピーナがそう言い捨てた。
第一章のハウザー王国編から登場してるのに誰も知らないフィリピーナ
最期まで出さないのもかわいそうかなっと思って登場させました
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