福音派公爵家(1)
【1】
時は少し遡る。
南に位置するハウザー王国の王都では夏枯れと酷暑の時期を控えていりこの時期、夏至を祝う習慣はない。
どちらかというと平穏な日常が続いているようだが、エレノア王女周辺はきな臭い空気が立ち込めている。
ラスカル王国が夏至祭を迎える頃合いを以てエレノア王女たち留学生一行を帰国させると言う国王陛下の内示が出たいるからだ。
今回のエヴェレット王女の婚約を以て次期王太子擁立の趨勢はエヴァン王子に傾きつつある。
国民にも人気があり国王陛下の覚えもめでたい上、この度の婚約でラスカル王国の後ろ盾も得た形になっている。
特に次代を担う若い貴族たちの支持が大きいのだ。
第一王子を押すプラッドヴァレー公爵家一派はエレノア王女との婚約による失点回復を目指してかなり焦り始めている。
もちろんそれを阻むための国王の帰国要請であるが、第一王子派閥は少しでも長く留学生を足止めしようと躍起になっている。
第三王子派閥は瓦解を始めている。
洗礼式が終わったばかりの第三王子を担ぎ出したところでこれといった実績を詰める訳でも無い。
かと言って第二王子に手を出そうにも他国にいる相手には手が届かない。
何より留学生につけて送り込んだ刺客は早々に失敗して帰国させられている。
もともと農奴容認派の南部貴族が利害だけで寄り集まった派閥である。
最近では北部の綿花市の動向やラスカル王国南部との取引を見越して農奴解放に傾きつつある領地も多い。
特に第三王子の生母を出したヘブンヒル侯爵家は第一王子派以上に焦り始めている。
王太子の擁立争いに関してもだがルクレッア・ペスカトーレ侯爵令嬢の保有する農奴二人についてもなかなか進展が無い。
国王は特例でルクレッア嬢との同行を許す気配であるが、農奴容認派貴族からの反発もあり今のところ踏み切れていない。
農奴の移動制限法はかつて第二王子たちが行った農奴の集団脱走幇助に対する農奴容認派からの突き上げで施行されたこともあって国王としても強硬に押し切る事が出来にくい事もある。
この際手駒であるバトリー子爵家を使って二人の農奴を屠る事を考えるべきだろう。
あの二人の農奴についてはペスカトーレ侯爵令嬢のおかげで農奴解放の象徴のような扱いを受けており快く思っていない貴族も多い。
リバーシの賭場を扱っているバトリー子爵ならその辺りの荒事も上手くやるであろうし、何より農奴に対しての悪評の高いあの子爵家なら事が露見しても切り捨てる事も可能だ。
【2】
オーバーホルト公爵令嬢のもとに秘密裏にやって来たものが居た。
エレノア王女付きのメイドのシャルロット・コルデーである。
彼女の申し出は秘密裏にオーバーホルト公爵と面会したいと言う事だった。
「それは可能だけれども、テレーズ先生やエレノア王女殿下は承知に事なのかしら?」
「いえ、これは私一人の判断です。テレーズ様は多分エレノア王女殿下や他の留学生そしてルイージとカンナを含めた使用人全員を安全に帰国させるために身を売るつもりだと思います」
「いったいそれはどういう事? 誰に身を売ると」
「ヘブンヒル侯爵様は何故かルクレッア様とルイージとカンナにこだわっておられます。仔細は判りませんがあの三人を害してでも帰国を阻止しようと考えておられるご様子。テレーズ様はヘブンヒル侯爵家に専属治癒術士として身を差し出してそれを防ごうと思っていらっしゃると推察いたしております」
「それで私の父上に繋ぎをつけて協力を得ようと言う事ね。解ったわ。すぐに段取りはつけてあげるけれど手札はあるのかしら。父上は現役の公爵よ。情で動くよなことは断じてないのだから」
「私の父は元法務局の役人です。メイドの身で苗字があるのはお気づきでしょう。農奴の母を連れて出奔した元貴族です」
「コルデー…、まさかコルデー伯爵家の!」
「多くは申しませんが、父からも手札を貰っております。ライトスミス商会からも同様に手札の切りどころは任されております」
「良いでしょう。テレーズ先生に身を切るような真似をさせたくありません。明後日には会えるように段取りをつけましょう」
【3】
約束通り翌々日の午前に神学校の授業中の時間を見計らったようにオーバーホルト公爵から呼び出しが有りシャルロット一人だけが館に招かれた。
個室に通されるなり公爵はいきなり話を切り出した。
「俺に用と言うのは其方なのか。娘から聞いたがコルデー伯爵の孫にあたるそうだな」
「別に認知されている訳でも無く、父は出奔して継承権も剥奪されております。私はただの農奴上がりの平民の娘です」
「そう言う事なのだろうな。そこまで腹が座っておるなら聞く価値も有るだろう。俺に何を望む」
「はい、私達が仕える留学生と同行しておられる聖導女様と騎士様それに何よりルクレッツア様の連れておられる農奴二人の速やかなラスカル王国への帰還のご助力をお願い致します」
「その中に其方は入らぬのか?」
「私どもはメイドで御座います。メイドの使命は主人をお守りし安全を確保する事。国境を、せめて北部派閥への州境を越える事を見届けられればと考えておりますので」
「メイドのくせに忠義な事だ。まあ噂に聞くセイラカフェメイドの矜持なのだろうが、それで俺に何のメリットを提示できるのだ?」
「これをご提示いたします」
シャルロットが取り出したのは一枚の紙にマス目と数字が書かれた紙だった。
「なんだこれは? 意味が解らぬ」
「これはバトリー子爵家の賭場で行われている6×6リバーシの棋譜で御座います」
「俺も行った事が有るがそれが何なのだ」
「あのゲームはイカサマで御座います。この6×6リバーシは後手必勝、最善手を打てば先手は十六:後手は二十で絶対勝つのです。この棋譜は両者が最善手を打ち続けた結果。この勝ち筋を間違えなければ必ず後手が勝ちます」
「それで我々から金を搾り取っていたと言う事か。忌々しい、二度ほどあ奴のサロンに招かれて賭場に行ったが、大金が飛び交っておったぞ」
「高位貴族や高位聖職者専用のサロンで御座いますね。でもそれだけでは御座いません。そもそも聖教会の名を隠れ蓑にして王都内の至る所で秘密の賭場を開いておるのです」
「8×8リバーシは清貧派の聖教会工房の大切な仕事。つまらぬ事でなくしたく御座いません。特に賭博などに使われたくはないのです。ですから問題の有る6×6番には手を出さなかったのです」
「フム、そう言えば6×6リバーシは富裕層専用のゲーム盤であったな。そう言う事か、まあバトリー子爵家を叩いて聖教会に恩を売る程度にはなるが…。それだけでは無かろう」
「はい、バトリー子爵家の後ろにいるのはヘブンヒル侯爵家なのです。あの賭場の収益はヘブンヒル侯爵の資金源の大きな一部ですから」
「それで資金源を握って第三王子派の派閥の優位に立てると。その見返りに農奴二人を出国させろと言うのか。それは少々甘いのではないか?」
「いえ、私がお勧めするのはヘブンヒル侯爵を叩いて派閥の鞍替えをする事です。今の状態でオーバーホルト公爵様のお立場は良くなるとお思いですか?」
一瞬驚いた顔をしたオーバーホルト公爵はまじまじとシャルロットの顔を見た。
「其方、正気で申しておるのか? 俺にヘブンヒル侯爵を裏切れと申しておるのだぞ」
「そもそも公爵様はそこまでヘブンヒル侯爵を信頼されておられるのですか? ヘブンヒル侯爵がそこまで信用に値する方だと考えておられるのですか?」
「そこ迄申すか。さすがにバトリー大公家を後ろから刺したコルデー伯爵家の血筋だな。しかし高位貴族ほど外聞というものがあるのだ。裏切りは後々とついて回るのだぞ」
「コルデー家の血筋云々を言われるのは心外ですが、公に腹に据えかねる様な事が有れば袂を分かつのは必定では御座いませんか?」
「面白い。話を聞いてやろう。納得できれば乗ってやるから話してみろ。其方の度胸に免じて気に入らない内容であれば今日の邂逅は一切なかった事にしてやる」
「分かりました。そのお約束でお話いたしましょう」
シャルロットが館を引き上げた後、オーバーホルト公爵の機嫌の良い高笑いが屋敷中に響き渡った。
しばらくはハウザー王国に移ります
さあここからはシャルロットのターン
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