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2獣の王


「……お嬢さん、大丈夫?」


 あの日、そう言って私を助けてくれたのが、レオンさまだった。

 大きな獅子の身体を小さくかがめてのぞき込んできた。

 今思うと、すごく気を遣ってくれてたんだと分かるけど、あの時は怖くて震えてしまった。


 レオンさまは、この魔物の森の王様だ。人と魔物は共存できないから、あいまみえる事がないようにと、魔物の森と人間の住処との境界をわけているのだと教えてもらった。

 境界において魔物は人間に攻撃をしたらダメで、知能の高い魔物は、場合によっては人間を守ってくれる。あの時、馬の魔物がそうしてくれたように。その統制を行っているのがレオンさまたち獣人だ。


 レオンさまのお城には、他にも八人の獣人達がいた。使用人だというけれど、家族のように皆さん仲がいい。

 彼らは怯える私を気遣って、そして話を聞いてくれて、ここにいることを許してくれた。

 森を管理するのが彼らの仕事だと言っていた。といっても、誰かからそれを命じられたわけではないという。

 私たちに命令できる者など誰もいないさ。と、当然のように笑い飛ばした。

 確かに、迷いの森を作り出し、魔物を支配するレオンさまに、誰が命令できるというのか。

 ではなぜこんな事をしてらっしゃるのかと問えば、他にやることがないからな、と、軽やかに笑っておっしゃった。


 彼らはなんでもない顔をして森の治安を守っている。それを誰かに見せつけるでもなく、なにかを要求するでもない。人が入ったら危険だから、魔物だけを罰するのはあまりにも理不尽だから。双方を守るために生活を賭している。にもかかわらず、それを傲ることはなかった。


 その謙虚な姿に私は衝撃を受けた。使う魔力も労力も相当な物のはずだ。信念がなければできることではない。

 我が国では、自分の手柄を吹聴し自分の力を誇示するのが一般的だった。人の手柄すら自分の物とする権力者の多さには、やりきれない物があった。

 母は隣国から嫁いできた貴族で、この国の在り方はおかしいと度々嘆いていた。私が殿下に気に入られなかったのも、そうした考え方の差が言葉の端々に出て疎ましかったせいかもしれない。人の労力を権力で奪う殿下を側で見続けていた私には、冗談めかして笑うレオンさまの姿が、あまりにも気高く美しく見えた。

 誇り高い獣人の王がそこにいた。


 だから私がレオンさまをお慕いするようになるのにも、そう時間はかからなかった。

 少しお茶目で気安く話す姿も、本当はたくさんのことを抱えているのに、大変な顔ひとつもせずに、気がついたら全て解決してしまうその頼もしい姿も、どれもが好ましく思えた。

 姿が違う事なんて些細なことだと気付いたのはすぐで、大事なのはその心根だと知った。どれだけ見目麗しくても、尊敬できるところなどひとつもなかった殿下を知っているから、なおのこと。


 そうやって二人を比べている内に気づいたこともある。

 じゃあ、自分はレオン様と比べてどうなのだろう。私は彼にふさわしい存在だろうか。

 比べていくことで見えてきたことがあった。

 自分は何もできなかったくせに、レオン様と比較して王子を見下す事で尊厳を保とうとしていた、そんな自分の傲慢さにも気付いた。

 心根が王子と変わらないと思うと恥ずかしかった。

 だから、せめて、変わりたいと思った。ここでは自分のできることをもっとやっていきたいと思った。

 王子の婚約者であった頃、逃げるため、そして自分を守るためにがんばっていただけだったと思うようになった。王子妃としてとか国のためなんて、言い訳でしかなかったのかもしれない。

 そう考えるようになって、今の自分を省みたとき、レオンさまに恥ずかしくない、誰かの力になれるような人になりたいと、初めて思ったような気がする。


 過ごす時間が長くなるに従って、その姿もまた、何よりも好ましいと思うようになっていた。

 顔のいい信頼できない人間の男の人なんて、こりごりだ。

 その点レオンさまは、何をしていてもかっこよかった。

 獅子の顔にも表情があり、キリッとした凜々しいお顔立ちも、楽しそうに大きな口を開けて笑いながらおひげがピクピクと震える様子も、使用人に怒られてはあうあう口を開いて大きな手を必死に動かして言い訳する姿も、困ったときのへにょんと目元が下がる様子も、やり場のなさそうにしっぽがぷらぷらと揺れる姿も、どれもがかっこよくて、可愛らしく見えた。

 なにより、誇り高き獅子の姿に、いつも見惚れていた。

 その崇高な心根が姿に表れていると、しみじみと思うのだ。

 尊敬の念からはじまった気持ちは、いつの間にか、恋心へと変わっていた。


 とはいっても、こんな素晴らしい方に国を追われた私などふさわしくない。だからその恋心は隠した。おそばにいられるだけで良いと思っていた。

 でも、それさえも、いつまでも許されることではないと、気付いてしまった。

 蛇の獣人である執事に言われて、自分が甘えすぎていることに気付いてしまった。


「リリーさまは、このままでよろしいのですか?」

「このまま、とは……?」


 突然言われた言葉の意味がわからず執事を見れば、表情のわからない蛇のまんまるとしたその瞳が、私を見透かすようにとらえていた。

 そして、ほんの少し困ったように首をかしげ、諭すような声色で私に告げた。


「我らが主に心を砕いて頂いているのは、存じ上げております。しかしながら我らは所詮は獣。あなたのような若く美しい方がいつまでも気にかける必要はございますまい。使用人一同、皆あなた様のことを案じております。こんな山奥で獣に囲まれて暮らすより、人の世で幸せを見つけるのも、ひとつの道かと。我らの主への恩に縛られ、人生を棒に振る必要は、ないのですよ」

「……え?」

「帝国での生活でしたら、私どもが整えることができます故、心配は無用でございます。決心がつきましたら、いつでも申し出て下さいませ」


 優しい声色で、執事はそう言って礼をとった。

 頭から水をかぶせられたような気がした。

 いつまでもいていいと言われて、真に受けていた自分が恥ずかしくなった。

 帝国とは、我が国から森を挟んだ向こう側の隣国だ。獣人の彼らが自国とし、僅かながらも交流があるのが隣国。

 これは遠回しに、隣国に逃してやるから出て行くように言われているのだとわかった。

 当然だ。私のようなひ弱な人間など、この森を統べる雄々しきレオンさまにふさわしくない。

 図々しくもここに居座ろうとする私は、彼らの足手まといでしかないと、私も本心では分かっていた。獣人の彼らの能力は桁違いだ。詳しくは知らされていないが、全員何かしらの魔法が使えるのだという事も聞き及んでいる。彼らと比べたとき、いくらがんばっても人間の力など及びもしない。

 執事の気遣う言い回しが、申し訳なかった。自ら申し出るべきことだったのに、優しい彼らに言わせてしまった。

 泣きそうで引きつってしまいそうな顔を、必死で抑えて笑顔を作る。


「……わかり、ました……」


 恥ずかしくて、申し訳なくて、逃げるように部屋へと戻った。

 私のために整えられた部屋は、自国の自分の部屋よりも立派だった。それだけレオンさまが私に心を砕いて下さっていたということでもある。

 この待遇に甘えてはいけなかったのに、なぜずっと一緒にいられると思ってしまったのだろう。

 皆様優しくて、だからきっと今まで言えなかったのだ。捨てられた憐れな令嬢を、再び放り出すことができずにいたのだ。

 執事だってそうだ。最後まで言葉の端々から、私を気遣ってくれているのが分かった。はっきりと、出て行けと言えない彼らの優しさに、甘えすぎていた。

 あまつさえ、生活の基盤まで整えてくれるというのは、過分すぎる申し出と言って良い。

 それに感謝こそすれ、嘆くなど、身の程知らずという物だ。

 でも、誰にも言わないのなら、一人、泣くことぐらいは許されるだろうか。ずっと一緒にいたかったと、思うだけなら許されるだろうか。


 けれど、身の程はわきまえなければいけない。だから彼らの邪魔にならないように、私はこの森を、出て行くことを決めた。

 でも、その前にひとつだけ我が儘を通したいと思った。


 思い出をひとつ、できればレオンさまの心に小さな傷痕を。


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