表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/11

1陥れられた令嬢


「処刑されなかったことを、ありがたく思え」


 殿下の嘲笑が背中に刺さる。乱暴に連れ去られながら、私は振り返ることなく唇を噛んだ。

 もう、刃向かう気力さえ失っていた。

 身の潔白を訴えても意味がない。聞いてもらえるはずがない。相手がそれを分かっていて陥れているのだから。この場にいる誰も、殿下には逆らえない。友人と思っていた誰も彼もが目をそらしていた。


 私はこれから無実の罪を着せられ、国から追放される。正しくは、城の背後を守る国境の森へと捨てられる。そこは魔物の森と呼ばれ、入ったら生きて帰れないという、魔物が闊歩する曰く付きの森だ。処刑されなかったというが、むしろ処刑する方がよほど慈悲がある。魔物に食われて死ねと言われたも同然なのだから。


「憐れなものだな。伯爵家の令嬢ともあろう者が。跪いて命乞いすれば、俺が助けてやろうか。地下牢で首輪をつけてな」


 森の入口まで私を連行してきた男は、騎士らしからぬ下卑た笑いを浮かべて私を蔑む。肩に掛かった手が気持ち悪く、反射的に身体を引いてしまった。

 それが癇に障ったのか騎士の表情が醜く歪むのを見た。しまったと思ったときにはその手が振りかぶられ、避ける間もなく顔を張り飛ばされていた。

 倒れ込み逃げようとすれば、薄ら笑いで剣を向けられる。


「貴様のような女には慈悲などいらぬようだな。森へ入れ。入らねば、切る」


 何も持たぬまま森の中へと追いやられるしかなかった。

 なぜか騎士は深くは追ってこず、このまま茂みに隠れて夜に森を出て逃げようと考えていた。

 その考えが甘かったと知ったのはすぐだ。騎士がなぜ追ってこなかったのかも同時に知ることになる。


 木の上から、向こうの茂みから、すぐ側の枯れ枝の隙間から……見える。見られている。辺り一帯を魔物が闊歩していた。

 そんなに奥深くには入っていないのに。どうして。

 来た場所を振り返れば、そこにも魔物がいた。

 ……違う。だって、さっき歩いてきたところは草むらじゃなかったのに。私が通ったはずの場所に、なぜなかったはずの草むらができているの? じゃあ私はどこから入ってきたの……?

 入ったら二度と帰って来れないと噂のこの魔物の森は、興味半分に足を踏み入れた者が、そのまま行方不明になるというのは有名な話だ。昔、魔物討伐に向かった討伐隊は、そのまま帰ってこなかったという話もある。それらの話をいままでは、それだけ危ないから入ってはいけない、という意味ぐらいにしか受け取っていなかったけれど。


 もしかしてこの森は、迷いの森……? 

 おとぎ話にある、人を知らないうちに別の場所へと運び迷わせる森は、この魔物の森のことだったのだろうか? そんな物が実在するだなんて、考えたこともなかった。

 身体がガタガタと震え出す。元来た道はもうない。森の外へもう出られないかもしれない。辺りは魔物に囲まれていた。

 逃げ出したくても魔物の動きの方が早いだろう。すり抜けていくことなんて、絶対無理だ。

 逃げたくても、一歩を踏み出すのすら恐くなっていた。


 がんばったのに。認めてもらいたくて、必死でがんばってきたのに。

 政略的に決まった婚約だった。王子妃となっても恥ずかしくないようにがんばったつもりだった。

 事故で両親を亡くし、叔父が父の爵位を継いでから、家の中ではまるで召使いのような扱いを受けるようになった。でも王子妃に選ばれ、家から逃れたい気持ちもあって、なおのことがんばり続けてきた。

 でもその頑張りは、一人の少女の愛らしい笑顔や無邪気な愛情の前には、なんの役にも立たなかったみたいだ。彼女との未来を望む殿下にとって、私の存在は邪魔になったのだろう。だから、あらぬ罪を着せられて婚約を破棄され、罰を科せられた。

 ここに至るまでに起こった出来事が、脳裏をよぎってゆく。

 挙げ句、私はここで死ぬのだろう。




 急に誰かから腕を引かれた。

 驚いて振り返った瞬間、頭の中が真っ白になった。


「きゃぁぁぁぁぁ!!!」


 馬に似た魔物が私の袖を噛んで引っ張っていた。必死で振り払いながら尻餅をついたところで、私のさっきまでいた場所に、大型の魔物が飛び込んできた。

 黒い毛並みは禍々しく、肉食獣を思わせる牙に爪、グルグルと唸る声はまさに猛獣の威嚇だ。猪のような狼のような、よくわからない見た目をしている。

 黒い魔物は牙の隙間から涎を垂らしながらこちらを振り向いた。皺の寄ったその顔つきは攻撃的で、私を睨みつけたまま苛立ったように唸っている。

 私の服を噛んだままの馬の魔物が、再びぐっと引っ張って、身体がブンと放り投げられる。転がされた先で、元いた場所にまたその猛獣の魔物が飛びかかっていたのを見た。

 馬の魔物に何度も転がされながら猛獣の魔物から逃れていたが、ついには捕まり、上からのしかかるように押さえつけられた。

 まるでいたぶるかのように魔物が見下ろしてくる。だらりと流れた唾液がぴちょんと首筋に落ちてきた。

 混乱していた意識がプツンと飛んだ。

 悲鳴が響く。

 この声は、私の、だ。

 何も分からないのに、なぜか冷静な頭の一部が、ただそれを聞いていた。


 そのとき、突然金色の影が目の前に飛び込んできた。同時に黒い魔物が目の前から消える。

 何が起こったかわからないまま金色の影を視線で追えば、その正体はすぐに知れた。少し離れたところに金色の獣がいたのだ。

 獅子だ。ソレは黒い獣を押さえつけるように首に噛みついている。

 そして黒い魔物の首筋を口から離すと、今度は前足でその首を押さえつけた。

 違う、つかんでいる?

 四つ足だと思っていた金色の獣がゆっくりと立ち上がった。黒い魔物の首元を締め付けるようにつかんで、つるし上げていた。人の身体よりずっと大きい魔物を、片手で。


 獣と思ったけど、おかしい。服を、着ている。

 魔物? 獣? 顔は獅子のようだけれど、人間のような二本足で立っている。獣の骨格じゃない。どちらかといえば人に近い骨格だけど、身体全身は獣のようだ。

 この世には「獣人」なる、獣と人の中間の生き物がいると聞いたことがある。けれどそれは与太話だと思っていた。

 でも獣人が本当にいるのだとしたら、この獅子がそれなのだろうか。

 手の形も不思議だ。人の手の形にも似ているけれど、やたらと大きくて、指の長さに気付かなければ、獣の手に見えただろう。

 足もそうだ。靴を履いてないその足は剥き出しで、やはり大きい。こちらは人の足の形というには躊躇うような形をしていた。猫と同じように膝の下にかかとらしき関節がもう一つある。かといって足は猫のように丸くはなく、足の甲があるのだが、人間よりは甲の長さが短い。そして凶暴な爪が見える。


 初めて見る獣人の姿に、私は今までとは違う恐怖で震えていた。けれど動くことすらできない恐怖の中、それを見ていることしかできなかった。

 獅子の獣人に掴み上げられて、黒い魔物は息も絶え絶えに暴れている。


「……誰が、人間を害していいと言った。ここは人間と魔の森の境。ここでの殺生は、この私、レオンの名の下に、けして許さぬ」


 黒い魔物を地面に叩き付けて、獅子の獣人は低く恐ろしい声を響かせた。

 人間の言葉が、喋れるの……?

 少し古めかしい言葉遣いだが、私たちが使う言葉と同じ物だった。

 獣人が魔物に何かを言っている。聞き取ることはできないまま、自分の運命がその獅子に握られたことを感じていた。明らかな強者がそこにいた。

 魔の森を統べる獣の王がいるという噂がある。この金の獅子がそうであるというのなら、私はどうなるのだろう。

 魔物を吊し上げていた手が離れる。地面に落ちると同時に、魔物はさっきまでの凶暴さが嘘のように、しっぽを巻いて森の奥へと逃げていった。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ