U子と棘子とパン子と変化
セイラと僕とで、ひとまずU字型の磁石――U子と名付けた――を他のヒトには秘密にして飼うことにしてから、1週間ほどが経った。「飼う」という表現が、この場合適しているのかわからないが、僕たちの間ではもう、生き物として扱うことになっていた。
はじめは怯えたような様子だったU子だけれど、今ではもう朝起きて「おはよう」と言えば、それに反応してそばにすり寄って来てくれるようになった。
「ジジジジ」
U子は言葉の代わりなのか、電気的な音を立てて現れた。どうやって音を出しているのかはわからないし、わからないといえばそもそもどうやって浮いているのかも、何に反応してどんな意思を持って行動しているのかも、何もわかっていない。
しかし、こうリアクションを取ってくれるようになると少し可愛げが出てくる。
「よしよし」
とU子を撫でてから、全身の伸びをしてカーテンを開き、ベッドを出る。
「おはよう」
とセイラがU子に遅れて、キッチンの方から現れる。
「なんでおまえ、僕が起きるより先に部屋に上がってんだよ」
とセイラの頭をはたきながら洗面所へ向かった。
「見て見てジュキヤ」
「なに」
「じゃーん、棘子」
セイラが僕に突然見せてきたのは、大量の画鋲を貼り付けられたU子だった。持ち手が平らな円形の画鋲で綺麗に埋め尽くされ、手足がないタイプの虫にも見えた。
「なに馬鹿なことしてんだ――って、やめろU子近づいて来るな!」
普段のようにじゃれついてくるU子を手で制する。磁力で画鋲をまとったU子が手に触れて痛みが走る。
「やめろって痛いから!」
「おい、あんまキツく言うなよ棘子がしょげちゃうだろ」
「おまえは棘子とか言ってないで早く元通りにしてやれ!」
「もう、せっかくかっこよくしてあげたのに。なあ棘子」
「ジジ、ジジ」
「ねー、残念だね」
「ジジジ」
いつの間にか、ペットに話しかける飼い主と同じように、セイラは磁石に話しかけるようになっていた。自分も同じようなことをしているが、改めて第三者の視点で見ると、磁石に喋りかける姿は少しシュールだ。
いつものように僕の部屋のリビングでセイラと雑談をしていた。
気づくと、僕の部屋でセイラと雑談することを「いつものように」と思うようになってしまっていた。U子を飼い始めてからは特に、彼女は僕の部屋に入り浸っている。僕の自由気ままな一人暮らし生活はこのままもう返ってこないのだろうか。
そんなことを思いながらセイラと話していると、キッチンの方からガランガランとうるさい音を立てて何かが床を転がってきた。
「なになに」
とセイラが僕より先に反応する。
二人同時に視線を向けると、そこにはフライパンがあった。
そしてそのフライパンが、ガランガランと床の上を這って、僕たちの方へ近づいてきた。
「今度はフライパン……ジュキヤの家どうなってんだよ」
「僕が聞きたいよ」
初めてU子に会ったときほどは、ふたりとも驚いていなかった。
フライパンはカーペットに座っていた僕の脚に、ガランガラン音を立てながら体当たりして来た。どこかすがりついて来ているようにも見える。
どうすればいいのかわからず、取っ手を掴んで持ち上げた。すると、フライパンの裏面に、何かが張り付いていた。
「って、おまえU子か」
「どういうこと」
と聞くセイラに、僕はフライパンの裏側を見せた。
「あ、くっついてる」
フライパンの裏側には、底にくっついてジタバタとするU子がいた。
「もしかして、くっついて自分で取れなくなっちゃったの」
「そうみたいだな」
「なんかかわいい。フライパンのパン子じゃん!」
そう言われている間も、U子は必死にバタついてフライパンから離れようとしている。
U子とフライパンをそれぞれ掴んで引き剥がす。U子はフライパンを警戒するようにセイラの背中側に隠れて距離をとった。
「そうとうテンパってたみたいだな」
「U子、鉄製品多いから、キッチンで遊んだら駄目だよ」
セイラにそう言われたU子は、全身を上下に大きく動かした。おそらくうなずいているのだと思う。
「ねえジュキヤ」
誰かに体を揺すられ、起こされる。
普段、朝起きる時間を決めているわけではないが、今日はもう少し寝ていたい気分だった。
目を開くと、制服姿のセイラがいた。
最近はもう、彼女が勝手に僕の家にいても、なにも言う気にもならなくなってきていた。
何事にも慣れてしまうものだなと思う。
「なに、どうかした」
「最近なんか、U子の元気なくない」
胸の前まで伸びた髪を不安そうに撫でながら、セイラは深刻そうに話を切り出した。
その変化は、徐々にやってきていた。