ロマンのないツッコミ
冷静に考えてみれば、磁石が浮いているというのは、ファンタジーやオカルト的な状況ではなく、どちらかと言うと、科学寄りの現象だ。磁力の働かせ方によっては、物を浮かせたり動かしたりすることができる。
そう自分の中で結論づけようとしたが、ひとつだけ不可解なものを、僕は目撃していた。
「これ、僕が入って来た時、ちょっと驚いたみたいな反応したんだよな」
扉を開けた時、少しビクッとして、U字の2つの先端部分をこちらに向けるように回転した。
磁石には目がついていないから「目があった」とは言えないけれど、もし相手が人間だったとしたら、振り返った相手と目があったような状況になっている。
「ドローンとかなのか。誰かのいたずらか?」
と言葉にしてみるが、ドローンにしては浮遊する動力の音が全く聞こえない。それにカメラのようなものが搭載されているようにも見えない。
巧妙なドッキリにかけられているのか、それとも本当に磁石が勝手に空中に浮いているのか。
どちらの可能性もかなり低い気がする。
ドッキリと言っても、僕は芸能人でもユーチューバーでもないし、こんな手の込んでいそうなドッキリを一般人がかけてくるとは考えにくいのだが――1人だけ思い当たる人物がいた。
というか、僕の最近の人間関係を考えると、十ノ木セイラの犯行以外に考えられない。
もう1度、改めてU字型の磁石を観察する。まだ少し不可解な気分だが、種があると確信してしまえば、このくらいの手品はそれなりに冷静に見ることができる。
やっと落ち着いて、状況に整理がついてついてきた時だった。
突然、家の玄関が外側から引かれ、ロックに引っかかってガンと大きな音を立てた。
「なんだ」
と驚いて振り向く。
気のせいかもしれないが、U字型の磁石も僕と一緒に驚いたようなリアクションを取っていた気がした。
「セイラか」
突然の音に驚いてしまったが、普段こんな風にヒトの家の玄関をインターホンも鳴らさずに開けようとするのは彼女くらいしかいなかった。
高校に入学してまだ2ヶ月ほど。セイラと知り合ったのも入学した後だが、僕が1人で暮らすこの部屋が、比較的高校から近いこともあって、彼女はよくこの家に遊びに来ていた。
仲良くしてくれるのはありがたいことだけれど、あとほんの少しでいいから遠慮してほしいと思う。
初めて彼女がこの部屋に来た時に、玄関のスペアキーを奪われているから、僕が寝ている間に勝手に上がり込んでいることさえある。
予想した通り、玄関のロックが、外側から開けられる音が聞こえた。
「よ、ジュキヤ。メンドイから鍵かけんなよな……」
扉が開き、僕がいるのを確認すると、ヒトの家の中と外の境界を知らない蚊のように、招いてもいないのにふらふらと入ってきた。
タオル1枚を腰に巻くだけの僕と、深緑色のスカートが特徴的な制服姿のセイラが対面した。
こういう時、「ちょ、あんたなんで裸なのよ!」と焦って顔を赤くでもしてくれれば可愛らしいと思うのだけど、
「……」
驚きと気まずさでセイラの顔は蒼白だった。
僕の方も気まずいのは同じだったけれど、大げさに驚いたり恥ずかしがったりするのは得意じゃない。だから、この気まずい空気をなかったことにして、自分が服を普通に来ている前提で話をすすめる。
「やっぱりおまえか、セイラ」
「え……ええと何が」
「とぼけんなよ。こんなことするのおまえ以外にいるわけ……」
と部屋の中で浮いているU字型の磁石について、タオル1枚腰に巻いただけの男が問いただそうとした時だった。
「ちょっとジュキヤ、なにそれ」
セイラは僕の言葉を遮って、僕の後ろのリビングの方を指差した。
「なにそれなにそれ」
と靴を脱ぎながら走って来る。
振り向くと、セイラに見つかって驚いたような反応をして、ものすごい勢いでリビングの奥の壁際まで後ずさりしていくU字型の磁石の姿があった。
セイラは、小さい子どもが大人の気を引く時のように、全身を使って飛び跳ねながら僕の腕を引っ張り、
「なんだよあれ、ジュキヤ。変なのいるじゃん」
と、素直そうな目で僕を見ながら言った。
「なんだよって、こっちが聞きたいんだけど。あれ、おまえがやったんじゃないのかよ」
「知らねえよ、どういうこと」
「本当に知らないの」
「知らない。逆にあんたも知らないの」
「知らない。なんか」
勝手に壁際に追い詰められたみたいになっているU字型の磁石を見る。それに釣られてセイラも同じようにそちらを見た。磁石がまた少しビクッと震えた気がした。
まるで臆病な生き物のように見える。
「なんか、風呂出たら……いた」
ここで初めて、その磁石のことを「いた」と、生物を表現するように言った。
「いたって、あれ生き物なの」
「わかんねえよ」
本当にセイラも知らないのだろうか。彼女の様子を伺ってみるが、嘘をついているようには思えなかった。これで演技だとしたら、女優でも目指したほうがいい。
「ねえ、触っていい」
とセイラが言う。
「僕に?」
「あんたに触るのに許可なんか必要ないだろ」
ひと欠片もロマンのないツッコミを返された。