それは優しい時間の続き
僕が住んでいる町はとても小さな所で、観光の名所になるような場所も大きなショッピングモールなんてものも存在しない。もちろん有名な病院なんてものもありはしない。
僕を迎えに来たママと保健の先生は学校を後にする直前に2人でどこの病院が良いのか相談をしているようだった。僕としてはもう意識もしっかりしていたし足取りも悪くない。何ら問題なかったので病院なんて行かなくても大丈夫だと提案したが「頭の事だから今は大丈夫でもあとから不調になるかもしれないからねぇ~」と一蹴されてしまった。別に注射とかが怖いわけでは断じてないんだよ?ほんとだよ?
その結果隣町のはずれのはずれ、田んぼ道のど真ん中に移転してきた西総合病院という近隣では一番大きな病院に受診することになった。その病院の名前を出すとお年寄りは必ず「腕は良いが立地が悪い」と言うほど名の知れた微妙な病院だ。なぜそこに移転したのかは難しい話になりそうだから誰かに聞いたことはなかった。
車に乗って移動することだいたい30分程経っただろうか。ようやく病院の姿を見ることができた。移転してきてからまだ一年もたっていないであろうその病院は壁も白くきれいで清潔感のある外観をしていた。駐車場に来ると「狭くて腹立つ」と起こりがちのママも少しにこやかになるくらいには広い駐車場もある。車を駐車した後、無言のまま車を降りるママの後を追って大きな自動ドアをくぐって病院の中に入っていった。
ママとは先のやり取りを最後に口を開くことはなかった。今日はいつになく機嫌が悪いようでそれが僕のせいなのか、ほかに原因があるのか僕には理解できなかった。いつもイライラしてるから怖いんだよなぁ…
病院に入ってからもママは僕に話しかけることもなく受付へと行ってしまった。病院の独特な雰囲気に包まれたまま1人取り残された僕は手持無沙汰になり辺りを見渡すと中庭と思しき場所につながる扉を発見した。少し気分転換がしたくて僕はその場から逃げるように中庭へと飛び出した。扉を抜けた先には病院の中庭とは思えない光景が広がっていた。
色とりどりの花々が花壇に咲いていて、その花壇は迷路のように無数の道を作り出していた。その道は車いすでも楽に通れるような広さをしている。その迷路の終着点、中庭の中央には大きな噴水があって、絶え間なく水を湧き出させていた。六月のじめっとした空気を感じないその空間はそこはテレビで見たホテルの庭園を彷彿とさせるほどに美しかった。
「すっごぉ…」
溜息とともに心の声が漏れ出た。ここにプールでもあろうものならほんとに外国のホテルじゃないか…
綺麗な景色を眺めていると奥の方から女の子の楽しげに話す声が聞こえてきた。いつかどこかで聞いたことがあるような懐かしい声だった。その声につられるようにふらふらと花壇の道を進んでいくと、噴水の裏には2人の少女がいた。
亜麻色のロングヘアに赤いリボンを付けた優しげに笑う丸い眼鏡を付けた女の子と、ぼさぼさな髪に申し訳程度に付けられた白猫の髪留めが特徴的なピンクの院内着を着た女の子。
この2人を知っている気がする。僕はこの2人にあったことがあるはずだ。でも、思い出せない。今よりも、昨日よりももっとずっと昔、僕がうんと小さかった頃の記憶だ。2人の声を聴くたびに少しずつ景色が思い浮かんでいく。桜が咲いていて、公園で、僕は1人で…
あと少しで思い出せる。そう思った時に亜麻色の髪の女の子と目が合った。反射的に目を逸らした僕は急に恥ずかしくなってきてしまい来た道を急いで戻った。僕の背後から「ねぇ待って!!」と声が聞こえたが僕は聞こえないふりをした。
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「異常はありません」
年老いた医師がしゃがれた声で僕とママにそう告げた。
僕が中庭から戻るとすぐにアナウンスで名前が呼ばれた僕は、椅子に座っていたままと合流し、案内された診察室に行くと簡単な受け答えをしただけで診察が終わってしまったのだ。
レントゲンみたいなものをとるものだと思っていた僕は拍子抜けをしてしまった。その反面料金が予想以上に安かったことに機嫌を良くしたママは今日の夕飯は何が良いか聞いてきたり見るからにテンションがおかしかった。ぼくは適当に「ハンバーグ」とだけ答えてママの後をついていく。息子の頭より金かよ。なんというか寂しいな…
出口の自動ドアを抜けようとした時に、急に袖を引っ張られた。足を止めて振り返るとそこには中庭にいた亜麻色の髪の女の子が立っていた。何かを言うわけでもなくただただ袖を引っ張り続けるその子は顔を真っ赤にして今にも泣きだしそうだった。あ、まずい僕が泣かしたと思われる。何か言わなきゃ…何かしなきゃ…
「り、リンゴみたい…だね☆」
あ、終わった。どうしようもなくつまらない。☆じゃねぇよ。決め顔してんじゃないよ僕。これは泣かれる。まずい。ていうかなんで袖つかまれてるの????
亜麻色の髪の女の子は顔を僕からそらしてプルプル震えている。完全に混乱した僕は助けを乞うように周りを見渡した。異変に気付いたのかママと目が合った。この際ママでもいい!何とかして!
「あら友達??じゃあママ先に帰っとくね!!トランクに入れっぱなしだった自転車は駐輪場に置いとくから!!」
ママはそう言い残してホントに出て行ってしまった。そうじゃない。違う違うよ…そうじゃない…
「うぅぅ…」
大人の無慈悲さに絶望していると背後から声がした。絞り出したかのような弱々しいものだった
「こ、ここ、こっちに来てくれませんか…」
顔を真っ赤にしたままの少女は眼鏡越しに大きな目で僕と目を合わせながらそう声をかけてきた。
「な、なんで?」
彼女からの返答はない
「困ったことでもあった?」
彼女からの返答はない
ただその無益なやり取りをする間も、ものすごい強い力で半ば引きずられるように中庭まで連れてこられた。男女の力の差逆じゃない?抵抗しても勝てないのだけれど…!!
「ねぇ!!」
彼女からの返答はない
「うんとかすんとか言ったらどう?」
「すん…」
あ、答えるんだ。意外とノリが良い子なのかな?
少女はまた顔をそむけてプルプル震え始めた。なんで?このタイミングで泣くのなんで??
「な、泣かないで!」
ありきたりの言葉しか出なかった。情けない…
「だ、大丈夫…だから…プフッ」
これ泣くんじゃなくて笑いこらえてんだ…こいつ。心配して損した。
その後もクククと笑う少女が落ち着くのを待ってから気になっていた質問を投げかけてみる。
「ねぇ…もしかして僕と君はあったことある??」
その問いにも彼女の口から返答はない。その代わり僕の方へ振り返りにこっと笑みを浮かべてくれた。
案内された場所は中庭を抜けた先の、入院棟と呼ばれる区画の3階、一番奥の大部屋だった。辿り着くまでにちらっと覗いた他の病室には一部屋に6台のベッドが並べられていて、そこにお見舞いに来ている人や、読書をする人、隣のベッドの人間と話をしているなど、様子は人それっぞれ違ったものだった。
目当ての部屋も同じように様々な人がいるのだろうと想像していたが、扉の脇の壁には『神代真愛美』と書かれたネームプレートが一つだけ掛かっていた。
コンッコッンコンッ
刻み良いノックをすると、部屋の中から「はーい!!」と返事があった。その声を聞いた目の前の少女は静かに扉を開けた。
室内は確かに6台のベッドが置いてあったが、カーテンで仕切られている窓際のベッドを除いてすべてがもぬけの殻状態だった。声の主はベッドから起き上がるとカーテンを勢いよく開けた。
「こんにちは!!突然来てもらってごめんね!!ウチの名前はかみしろまなみ!!君はもしかしてナオタカくんだったりするかナ??」
女の子にしては短すぎる黒髪を白猫のヘアピンで留め、くりくりのお目目を輝かせ、満面の笑みからこぼれる両側の八重歯をきらりと輝かせているその少女の、突拍子もないその言葉に僕は幼かった頃のの記憶がよみがえってきた。
雲一つない晴れた日に公園で出会った女の子の名前だ。
寂しい気持ちを吹き飛ばしてくれた女の子の名前だ。
夕暮れまで遊んでくれた女の子の名前だ
また遊ぼうと約束した女の子の名前だ。
一つを思い出すと芋づる式のようにするするとたくさんの思い出がよみがえってくる。
「うん。久しぶり真愛美ちゃん、アータン」
そう答えた僕の頬に一筋の涙が流れた。
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