day58 銀を喰らう者⑤
「塩撒け塩!!」
「上からきてるぞ! 塩撒け!」
クラーケンまで一直線……といきたいところだったけれど、降り注ぐ粘液や地面の粘液はともかく、クラーケンや他の魔物の攻撃も同時に迫ってくるため一直線とはいかなかった。
先陣のシアとレヴの後ろを走る兄ちゃんが、2人を襲う触腕を魔力銃で怯ませてくれているけれど、直接斬りつけて跳ねのけているわけではない。
怯んだ隙に進路を変えつつ、他の魔物も倒したり避けたりして、ばたばたとあちこちへ走り回りながらクラーケンの元へと進む。
後ろに続く生産職の人達があちこちに塩を撒き散らし、そこかしこで塩が舞っている。
たまにクラーケンに飛んでいく魔法弾以外は、とにかく塩だ。一生分の塩を見ている気がする。
降ってくる粘液に投げつけるように振り撒かれた塩が、俺達の頭上にぱらぱらと降り注いだ。
なんだろうこれは。俺達は今、何と戦っているんだろうか。
幽霊相手にもここまで塩を撒くことはない気がする。
「触腕の攻撃が激しくなってきた! 中心は近いぞ!」
「双子ちゃんの前に出るよ!」
中心に近付くにつれ、秋夜さんが言っていたように粘液の攻撃は少なくなってきた。
全くないというわけではないけど、ここまでの道のりに比べると動きやすい。
代わりに触腕の攻撃は激しくなるが、粘液をあまり気にしなくても良い分、避けるにしろ弾き返すにしろ、随分と楽になる。
「シア、レヴ、粘液をよろしく」
「「任せて!」」
「リーノ、2人をよろしくね」
「おう!」
3人が生産職の人達と来た道を戻る後ろ姿を眺めた後、ジオンへと視線を向ける。
俺の視線に頷いたジオンが、刀を横に構えた。
リーノの盾と違い面積が酷く少ない刀に、踏み外さないかと少しだけ緊張する。
前回フォレストスラグを倒した時に、一発で成功したし大丈夫だろう。
「すぐに私も行きますので」
「うん。待ってるよ」
ジオンの構えた刀に助走を付けて跳び乗り、飛び上がる。
邪魔な触腕を刀で弾き返しながら、無事にクラーケンの頭上へと降り立つことができた。
頭上からクラーケンの下にいる皆へと視線を向け、皆が頷く姿を確認して、つるりとした白い肌に手を置く。
「【黒炎弾】」
ぶわりと辺りに広がる黒炎と共に辺りの温度が急激に上がる。
突然サウナに放り込まれたような気分だ。
これだけ広範囲に広がっているのに単体攻撃だというのだから、なんとも不思議な気持ちになる。
黒炎属性の全体攻撃の魔法はどんなことになるのだろうか。
暴れ回るクラーケンの触腕を伝って、プレイヤー達が次々と頭の上へ降り立つ。
ここからは防衛戦の時と同じだ。斬って斬って、黒炎弾を打って、触腕を弾き飛ばす。
クラーケンの頭上にやってきたプレイヤー達の役目はこれだ。
「ライさん! 黒炎弾、気にせず打っていいからね!」
「おう! 確認しなくても大丈夫だからな!」
皆の言葉に頷いて応えて、刀を振るう。
クラーケンの周りでは近接攻撃の人達と生産職の人達が共に戦っている。
生産職のプレイヤーを触腕から近接攻撃のプレイヤーが守り、近接攻撃のプレイヤーを粘液から生産職のプレイヤーが守る。
「君とまたここに立つことになるなんてねぇ」
「今回は眠らないでしょ?」
「まぁねぇ。長く続くとわかんないけど」
遠距離攻撃が届くぎりぎりの場所では近接攻撃と遠距離攻撃の人達、それから生産職の人達が共に戦っている。
この辺りになると粘液が激しく飛んでくる。おまけに触腕もまだまだ届く範囲だ。
シアとレヴ、リーノもここに行ってもらおうかと思っていたが、フォレストスラグの相手をするチームへ行ってもらった。
基本的には放置でという話ではあったが、ほとんど動かないとは言え、ゆっくりとした速度ではあるがうごうごと移動するので、被害を拡大しないようにする為だ。
それに、1体でも倒せるのなら倒してしまったほうが楽になる。経験値も貰えるし。
この場所はフォレストスラグだけでなく、それ以外の魔物もおり、更には触腕がぎりぎり届く範囲なので、それはもう乱戦だ。一番大変な場所なのではないかと思う。
「ライ君のお陰で問題なく辿り着けたわね」
「ううん。シアとレヴのお陰だよ。それに皆のお陰」
「ふふ。私もいいところ見せなくちゃね」
「ロゼさんのいいところ、たくさん見たし、知ってるよ。
笑顔が素敵で、話しやすくて、両手剣で戦う姿は凛々しくて凄く綺麗で……」
「うん! わかった! ありがとう!!」
当然と言えば当然なのだけど、湧き出た魔物達はプレイヤーのいる場所へ集まる。
クラーケンの周りにプレイヤーが集中すると、それだけ魔物の数も多くなってしまうので、フォレストスラグがいなかったとしても、全員でクラーケンの元へ集まるのは得策じゃない。
部屋いっぱいに広がって、魔物達を分散してくれているプレイヤー達には凄く助けられている。
本人達はクラーケンと戦える程のレベルじゃないと言っていたけれど、俺達がこうしてクラーケンの頭上で戦えてるのは、このレイドに参加している全てのプレイヤーのお陰だ。
「楽しいね、ロゼさん」
「そうね。凄く楽しいわ」
「案外戦闘狂なんだなぁ~レンと同じ血が流れてんだからそりゃそうか」
「あはは。戦うのも楽しいけど、総力戦なのが楽しいんだよ」
「そうよ、朝陽。私も別に戦闘狂じゃないもの」
「あー……まぁ、露店にいる時間も多いけど……いや、お前も戦闘狂だろ。
レン程ではないってだけでよ」
「兄ちゃんも別に、戦闘狂ってわけじゃ……狩りが好きなのは、そうだけど」
クラーケンの周辺にいるのは防衛の時のプレイヤーだけではない。
フォレストスラグを倒していないというだけで、強いプレイヤーはたくさんいる。
これまであまりプレイヤー達の近くで狩りをしていなかったから、様々な武器で、様々な戦い方をするプレイヤー達を見ることが出来て、凄く勉強になる。
新たな発見もたくさんだ。楽しい。
のんびり見ていたいところだけど、さすがにそうも言ってられない。
「ライさん、無事のようで」
「早かったね。ジオンなら大丈夫だって思ってたけど、無事で安心したよ」
隣に並ぶジオンの姿を見て、仲間がここにいること、そして久しぶりにジオンと2人で戦場に並んでいることに、自然と口角が上がる。
もちろん、リーノやシア、レヴだって俺の大切な仲間で、ここでみんな一緒に戦えるのが一番嬉しいけど。
そんなに時間が経っているわけではないのに、リーノと出会うまでの冒険を思い出して懐かしさが胸を満たす。
「ジオン、どうする?」
「普段通り、気負わずに頑張りましょう」
「了解。頑張ろうね」
斬って斬って、とにかく斬る。
出来れば目を狙えたらよかったが、頭上から目を狙うにはカーブを描く前頭部で戦うことになる。
当然足場は悪く、また、暴れ回る度に揺れるこの頭上では、滑り落ちるだけだろう。
目でなくとも頭はどこでも大体弱点だと言っていたし、足元を狙って斬るのはやり難くはあるが、目を狙うよりも確実に頭を狙えるここで攻撃をしていたほうが良い。
秋夜さんのようにあちこちに飛び回りながら戦う技術があれば良かったけど、あの人はあの人で時間が経てば経つほど同じ動きができなくなってしまうのだから難儀なものだ。
フォレストスラグが出現するまでと比べて、クラーケンに攻撃を与えるプレイヤーの数が減ってしまったことで、HPの減りが遅い。
少しずつ少しずつ、じわじわとしか減っていかないHPバーに、少しだけじれったさは感じるけれど、焦りはない。
天井から差す光もまた、少しずつ増えている。とは言え、このペースならクラーケンを倒すより先に亜空間が壊れてしまう心配はしなくても良さそうだ。
今のところは。これ以上何もなければ、だけど。
兄ちゃんの種族特性によって強くなっているフォレストスラグが5体出現する以上の出来事なんて、これ以上はさすがに起きないはずだと信じたい。
「あ、レベル上がった。35だ」
「おめでとうございます。私も先程レベルが上がりましたよ」
レイドだと他の誰かが倒した経験値も分配されるのだろうか。
倒し切るまでは経験値は入らないし、クラーケンだけを相手している俺達に経験値が入っているということは恐らくそうなのだろう。
シアとレヴ、リーノもこのペースでレベルが上がる程の数はさすがに倒していないはずだ。
「新しい刀用意して貰ったほうがよかったかなぁ」
「これだけの敵が出現するとは予想できていませんでしたね。
……ちなみに、STRは……」
「……34の時に8になったよ」
「なるほど……25の時よりも2増えましたね!」
「うん……そうだね……」
筋トレの効果はあったのか、なかったのか……いや、まだわからない。継続は力なりと言うし。
どのような計算なのかはわからないが、STRの高さよりも武器の攻撃力のほうが直接攻撃力に関係するらしい。
もちろんSTRが高ければ高い程攻撃力は高くなるけれど、STRの1よりも武器の攻撃力1のほうが攻撃力が高いそうだ。
とは言え、STRがないと攻撃力の高い武器が装備できないので、両方高いのが一番だけれど。
STRが2変わったくらいでは攻撃力はほとんど変わらないだろうが、新しい刀があったのなら別だ。
ジオン曰く、そもそも25と35の刀では、攻撃力の上限が違うらしい。
さすがはジオンと言うべきか、カンストとほぼ同じらしい『尤』を持つジオンが打つ刀は、そのレベル帯のほぼ最上限の数値だそうだ。
これに関しては、トーラス街一の鍛冶屋で責任者をしているグラーダさんに言われて知ったそうで、聞いた時には驚いたと言っていた。
生活の為に鍛冶をしていただけで、強い武器を打つために熱心に鍛冶をしていたわけではないと語るジオンは、数値の上限がどれ程なのかは知らなかったそうだ。
残念ながら、俺のSTRでは最上限の数値の刀は装備できないのだけれど。
頭上にいる敵を巻き取ろうと蠢く触腕を薙ぎ払う。
パキリと先程聞いた小さな音が聞こえた。
欠けた刃が地に落ちるより先にふわりと消えたことを横目に見ながら、倒し切るまでに折れてしまわないことを祈る。
折れてしまっては修理はできず、前にアルダガさんに貰ったつるはしのように消えてなくなってしまう。
いつか購入する家に、これまでジオンが俺の為に作ってくれた刀を飾りたいからだ。
「ジオン、ポーション大丈夫?」
「マナポーションがなくなりました」
ジオンの言葉に頷いて、クイックスロットに登録しているマナポーションを1本ずつ取り出し、3本手渡す。
先程聞いた時もマナポーションだけを渡したが、ポーションは使っていないのだろうか。
まさか一度も攻撃を受けてないなんてことは、さすがのジオンでも……いや、身近にほぼ攻撃を受けたことがない兄ちゃんという例があることだし、ありえるかもしれない。
「ジオン、もしかしてHP減ってない?」
「さすがに無傷ではありませんよ。直撃は避けていますが……やはりレンさんのようにはいきませんね。
ですが、自然回復で間に合わせることができています」
「充分凄いよ。俺なんて何回も攻撃受けちゃったし」
「直撃はしていないのでしょう?」
「それはそうだけど……精進しなきゃなぁ」
今までそれで危機に陥ったことはないけど、ポーションを飲んでいる時は隙が出来る。
マナポーションは仕方ないとしても、ポーションは攻撃に当たらなければ飲む必要はなく、それだけ隙を減らせるということだ。
今回のレイドで色んな人の戦う姿を見て、俺ももっと頑張らなきゃと再認識した。
何度目かの黒炎弾を打った頃、この部屋の至る所で戦闘の声や音が鳴り響く中、少し離れた場所から一層大きな歓声が聞こえてきた。
ちらりと視線を向ければ、フォレストスラグが1体、エフェクトと共に消えていく姿が見えた。
リーノとシア、レヴの姿がそこにあることを確認して、笑みが零れる。
「よし!」
柄をぐっと握りしめ、気合を入れ直す。
「俺達も頑張らなきゃね」
「ええ、頑張りましょう」
もう一度、シアとレヴの姿を目に映す。
どうかこのまま何事もなく終わって欲しいと願う。
「銀を喰らう者……か」
ネーレーイス。海に棲む妖精達。彼等は海底にある『銀の洞窟』で暮らしているそうだ。
クラーケン……銀を喰らう者と呼ばれるこの魔物が巻き起こした惨事なんて、想像したくもない。
銀を喰らう者の出現と共に見なくなったネーレーイス、銀や金を参ノ国から仕入れるしかない現状、憎い寂しいと叫ぶシアとレヴの声、この街に訪れてからの異変。
プレイヤー達が次々と倒れる姿に、2人は何を思ったのだろう。
例え過去を忘れてしまっていたとしても、脆くなった心は戻らない。
全てを喰らわないと気が済まないとでもいうのだろうか。
溢れ出す怒りを抑えるように息を吐く。
単なる設定だろうが、単なるイベントだろうが、知ってしまったら、ましてや大切な仲間達に関わる事を割り切る事は俺には出来そうにない。