day58 銀を喰らう者④
「「ライくん!」」
「シア、レヴ! それからリーノも!」
「沸いた瞬間こっちに向かってきた!」
「助かるよ」
佇むフォレストスラグに視線をやる。
フォレストスラグで厄介なのは粘液だけだ。シアとレヴに手伝ってもらってさくっと倒してしまおう。
「粘液だ! 避けろ!!!」
誰かの声と共にフォレストスラグが動き始めた。
「……!?」
フォレストスラグが大きな体を揺らし、粘液を出す……そこまでの動作は俺達が前に戦ったフォレストスラグと同じだった。
そのまま飛んできていた筈の粘液は、まるで雲のようにフォレストスラグの頭上に集まり始め、やがて周囲に無差別に降り注いだ。
バスケットボール程の大きさの粘液が、豪雨のように降り続き、地面へと落ちた粘液は弾けるように辺りへ広がった。
「何……?」
避け切れなかったプレイヤー達が次々と花びらになって消えていく。
あちこちから聞こえてくる怒号が反響してうねる。
姿形はあの時のフォレストスラグと変わらない。それなのに、まるで違う。
5体のフォレストスラグから降り注ぐ粘液の雨に、また1人、また1人と消えていく。
クラーケンに近づくどころか、フォレストスラグに近づくことも叶わないだろう。
「っ!? お、おい! シア!? レヴ!?」
リーノの焦った声に、フォレストスラグから目を離す。
視線を向ければ、憎しみと怒りに歪んだ顔で、フォレストスラグではなく、クラーケンを見上げるシアとレヴの姿があった。
目を見開き、剝きだした歯はぎりぎりと音が鳴りそうな程に噛み締めている。
「シア、レヴ?」
ゆらりとシアとレヴの周りに薄く、闇が揺らめいた。
「落ち着け!!」
『憎い、憎い、憎い、憎い、憎い』
『許さない、許さない、許さない、許さない、許さない』
重なり合うその声は、いつか聞いた声だ。
いつもの2人の声とは違う。低く濁り、がさがさとした嗄れた声が頭の中で響く。
「シア! レヴ! 大丈夫だから!!」
まさか、そんな。テイムした後にも堕ちるだなんて思わない。
2人の体に、ゆらりと闇が薄く漂う。
ガキンと大きな音が辺りに響いた。上から差す光が増えている。
「撤退よ! 一旦撤退して!!」
ロゼさんの声が聞こえてくる。
「落ち着け2人共! 一旦出るぞ!!」
「大丈夫です。大丈夫ですよ。こちらへ」
2人の腕を引こうとしたジオンとリーノの手が宙を舞った。
「シア! レヴ!!」
クラーケンの元へ、まるで獣のように飛び出した2人の後を追う。
周りの敵など見えていないように、いや、見えていないのだろう。攻撃を受けても気にも留めず、まっすぐに突き進む2人に粘液が襲い掛かる。
真上から2人に降り注いだ粘液は、じゅわりと音を立てて溶けた。
「待って! シア!! レヴ!!!」
手を伸ばす。
まだ、堕ちてない。まだ、大丈夫。
「シア! レヴ! 絶対倒すから!!
お願い!! 戻ってきて!!!」
俺の言葉にぴくりと反応し、振り向いた2人の手を取り引き寄せる。
目の前に迫る触腕を睨みつけながら、クイックスロットに登録していた《帰還石》を取り出し、砕いた。
その瞬間、辺りの色が全て消え、何もない真っ黒な空間へと変わった。
『復活まで残り0秒。
復帰場所を指定してください。
死亡箇所/復活箇所』
復活箇所を選択すると、一瞬、意識が遠のき、瞬きの間に辺りに色が溢れた。
帰還石が使えるかは賭けだった。
トーラス街ではなく亜空間の中、露店と作業場のある広場へと戻ってくることができた事にほっと息を吐く。
「シア、レヴ」
「「……ライくん」」
俺の顔を見た2人はぼろぼろと涙を流し始めた。
止めどなく流れる大粒の涙をそっと指で拭う。
「なに、も、ひっ……なにも、わからなくなったのっ」
「みんながっ……いなく、なって……!」
「わ、からないの、にっ……こわくてっ」
「あいつが、ひっ……あいつがいな、ければ……」
嗚咽を漏らしながら絞り出すように声を出す2人を抱き締める。
「大丈夫だよ。俺達は絶対に大丈夫だから」
「……んっ……うんっ……」
「……ここで待ってる?」
「待たないっ……」
「もう大丈夫って約束できる?」
「「できる……!」」
2人が堕ちた原因はクラーケンだ。違ったら良いと目を逸らし続けてきたけれど、もう逸らすことはできない。
クラーケンがいる限り、倒さない限り、2人は不安定なのだろう。
そんな2人をクラーケンの元へ連れて行くことに不安はあるが、こんな不安定な2人を置いて行くほうが怖い。
もし、また同じ事になった時、止められるのは俺だけだろう。いや、俺が止めなければならない。
ごしごしと涙を拭いたシアとレヴが、真っ直ぐに俺を見上げる。
そんな2人に笑顔を返せば、2人もにこりと笑った。
離脱してしまったプレイヤー達の数はどれくらいだろうか。生き残ったプレイヤーを数えるほうが早そうだ。
フォレストスラグから離れた場所にいたプレイヤーは恐らく無事だろうが。
先程表示されていたウィンドウを思い出すに、この亜空間で死んだ場合、リスポーン地点を選べるのだろう。
俺は仮死状態だったけれど、表示されていた文章は死んだ場合と一緒のものではないかと思う。
恐らくみんな、こちらのリスポーン地点を選択するだろうから、30分後に仕切り直しだ。
「しかし……あのフォレストスラグは……」
「やばかったなー……地獄か?」
「うーん……俺、心当たりがあるんだけど……」
俺の言葉に視線を向けたジオンが、頭を傾けた後、得心が行ったという顔をした。
「レンさんですかね……」
「多分……」
「あー……種族特性かぁ~」
実際に兄ちゃんの種族特性で強くなったヌシと対峙したことがあるのは俺とジオンだけだ。
ヴァイオレントラビットの攻撃で地面が抉れていたことを思い出す。
これは恐らく、作戦会議が行われるだろうと予想を立てる。
30分後にゲートの近くに行っておこう。
「一旦トーラス街に戻ることは可能ですか?」
「うん。大丈夫みたいだよ」
時間の関係で、途中で抜けなければならないプレイヤーもいるので、出入りは自由らしい。
亜空間が壊れてしまうので、のんびり出たり入ったりする時間はあまりなさそうだけれど。
「でしたら、刀の手入れをしましょう。
30分もあれば私とライさんの刀の手入れができます」
「うん! 一旦帰ろう!」
「レンさんが死に戻った後も強さは変わりませんでしたね」
「亜空間から出ても変わらなかったねぇ。
なぁんもかわんない。一回対峙したらもうあのままでしょ」
既に確認済なのかと驚きながら、皆の話を聞く。
「HPと粘液の攻撃力が高くはなってるけど、本体はほとんど動かないし、粘液に気を付けていれば倒せるよ」
「塩は効くんだよな? つっても塩なんて持ち歩いてねぇんだよなぁ」
「塩なら持ってきた」
聞きなれた声に顔を向ければカヴォロが立っていた。
「カヴォロさん、ありがとうございます!
問題は近付けるかですよね。あの勢いの中、近づいて塩を撒きながら戦うのは無理なのでは……」
「塩を撒くだけなら俺達……生産職でもできる。粘液に当たれば即死だろうが」
「生産職の人達にお塩を撒いてもらってー……私達で守りながらフォレストスラグと戦う?
でもぉ……あんな広い範囲でくる粘液をどうこうできますかねぇ」
「俺達が倒した時はまだ塩が効くって話はなかったからなぁ。
そん時は粘液を避けつつ、後は遠距離に任せてただけだったし」
普段のフォレストスラグであれば塩を撒きながら近づくことは可能だけど、あれだけ広範囲に雨を降らすように粘液を撒き散らされたら、塩で消した傍から降ってくることになる。
「今ここで話してるやつらは、塩の情報なかった時に倒したやつらがほとんどじゃねぇの?」
「レンさんはどっちですか?」
「俺は塩の話を聞いた後だよ。ただ、遠距離攻撃だからね。
近くの粘液は塩で対処したけど、中心付近のは無視だよ」
「フォレストスラグは遠距離の人達に任せる……つっても5体もいたらどこから狙えば良いかわからんか……」
「時間もかかりますよねぇ」
兄ちゃんは困ったように笑っている。
自分のせいでヌシが強くなったことを気にしているのだろう。
誰もヌシが沸いて出るなんて思っていなかったし、気にしなくて良いと俺は思うけれど。
一緒にレイドに参加できて嬉しいし、この先またこういうレイドがあった時、ヌシを懸念して兄ちゃんが参加できなくなるのは嫌だなと思う。
もしかして……夜になっても駄目なのではないだろうか。
狩猟祭の時は大丈夫だったけれど、この亜空間はどうだろう。
なんとしても夜になるまでにクラーケンを倒したいところだ。
「降ってくる前の、上に集まってる粘液に塩を掛けてみるのはどうかな?」
「効く効かない以前に届くか? それ」
「ぱらぱらぱら~って落ちてきそうだよね」
「全身に塩振って飛び込むとか?」
「……満遍なく塩が塗りこめるんなら……まぁ……大丈夫だろうけど……」
フォレストスラグの上に乗れたら、届かないことはなさそうだけど……フォレストスラグの体はびっくりするくらいに滑る。
「塩使って倒した人いる?」
「……というか、塩に気付いたのって……確か……」
その言葉と共に、俺に視線が集まる。
シルトさんの友人なのだろうか。教えていいかって言っていたし。
結構な人に広まっていたようで、少しだけ驚く。
「塩はほとんど使ってない、かな。
確認の為に少しだけ撒いてみただけだよ」
ちらりとカヴォロに視線を向ける。
「フォレストスラグの体は……どうやら凄く滑るみたいだ。
上から集まった粘液を狙うつもりならやめたほうが良いだろう」
「ってことはー……粘液にそのまま塩持ってジャンプできる人いるー? 粘液を避けながら!」
「無茶言いますね……跳ぶだけなら誰かに手伝って貰えばいけるかもしれませんが……避けるのは無理ですよ」
そもそも、あの上に集まった粘液……粘液雲は、塩で対処できるのだろうか。
降ってきている粘液と、下に落ちた粘液に効果があるのは、シアとレヴのお陰で分かっているけれど。
「フォレストスラグ、無視したら?」
そう発言した秋夜さんに注目が集まる。
「クラーケンを倒したらいなくなるんじゃないの?
召致系? だっけ? それって、クラーケンが召致してるってことだよねぇ。
それとも、クラーケンを倒したところで、違うモンスターがまた召致し始めるの?」
秋夜さんは俺を見てそう続けた。
エルムさんが話していた内容を思い出しながら、口を開く。
「秋夜さんの言う通り、クラーケンを倒したらいなくなるはずだって言ってたよ。
召致するのは最初にいた魔物だけ……他の魔物が新たに召致することはないだろうって」
「じゃ、放置でいいんじゃない? 粘液は生産職のやつらに任せてさぁ」
「道を作れと言うことか? だとしても、中心まで道を作るのは厳しい」
「まーそれは、戦闘に自信ある生産職のやつらが前に出てくれたら助かるけどねぇ」
粘液を片付けるためには塩を撒けば良いだけだけど、ひっきりなしに降ってくる粘液への対処は難しい。
ましてや普段戦闘をあまりしないプレイヤーだと、フォレストスラグが阻むクラーケンの元までの道を作る事は厳しいだろう。
「クラーケンに向かう道を作るのはシアとレヴ……俺のテイムモンスターが出来るよ。
2人に粘液は効かないし、粘液も消える。海に住む種族だからなのか、理由はわからないけど」
シアとレヴに降ってくる粘液は対処してもらう必要はない。
2人に先陣を切ってもらい、粘液の処理をしながらクラーケンへの道を作る。
クラーケンへ向かうプレイヤーに降りかかる粘液、それから遠距離のプレイヤーの人に降りかかる粘液は生産職の皆に対処してもらう。
生産職の人達を粘液以外の敵の攻撃から守るためのプレイヤーも必要だろう。
緊張しながら、それでも弱々しくならないように、言葉を紡いでいく。
心臓がどくどくと飛び跳ねてはいたけれど、なんとかつかえることなく、また、真っ直ぐと前を見て話す事ができた。
「いいんじゃない? クラーケンの体にはさすがに粘液飛んでこなかったし、辿り着けさえすれば問題ないでしょ」
「クラーケンに辿り着いても触腕で攻撃されますけどね」
「そんなのなんとでもなるでしょ。
まー、前回と同じく、戦場がクラーケンの体の上になるだけだよ」
確かに、防衛戦の時と同じだ。下が海ではなく、粘液ではあるけど、どちらにしても落ちたら死ぬことに変わりない。
「それでは、チーム分けしますか。まずはクラーケンチーム」
「当然、ライさん達には先陣を切ってもらうことになるね。
後はやっぱ攻撃力高い人かなぁ」
俺の攻撃力は高くはないけど、シアとレヴだけ向かわせるのも心配だ。
ジオンとリーノがいれば大丈夫そうだけど、リーノの盾は粘液と相性が悪い。
生産職の人達を粘液以外の攻撃から守って貰っても良いけれど。
なんてことを考えてたらどんどん話は進んでいて、俺達は全員先陣を切ってクラーケンに向かうことになっていた。
そうと決まったのなら、被害が大きくならないように、頑張ってクラーケンを倒さなければ。