day56 侵攻の阻止④
クラーケンの頭上、そして体の上からプレイヤー達が浜辺へ移動したのを確認して、しゃがみ込む。
少しだけぬめりのあるクラーケンの頭に手を置いた。
「【黒炎弾】」
細く長く、薄く。ゆっくりとじわじわ行き渡らせるように。
黒炎属性を魔石に封印する時の感覚を思い出しながら、黒炎弾を調整して放っていけば、体に纏わりつくように広がる炎の速度や大きさはこれまでと変わらないが、その後燃え上がる炎が小さくなっていることがわかる。
威力が下がっているからか、クラーケンの動きもこれまでより少し大人しいようだ。それでも暴れ回っていることに変わりはないが。
「出来た……かな?」
「じゃない? もうちょい強くできる?」
「うん。やってみる」
じわじわともう少しだけ魔力を行き渡らせる様に力を籠めれば、炎が大きくなると同時にクラーケンの動きも大きくなった。
「いいねぇ。じゃ、僕の番だね。何が起きるかわかんないから気を付けて」
その言葉に俺と兄ちゃんは頷いて答える。
「【カーズ】」
秋夜さんがそう唱えると同時に、立ち眩みのような感覚が襲った。
体がぐらりと揺れて倒れそうになる。
「ライ君、堪えて。黒炎弾続けて」
「う、うん……!」
耐えられないようなきつさじゃない。
秋夜さんのデスサイズからクラーケンを包むように闇のような真っ黒な霧が広がり始める。
全体を覆ったかと思うと、その霧は幾本もの強固な真っ黒な鎖となって、クラーケンの体を締め上げ始めた。
がちゃりがちゃりと音を立てながら締め上げられたクラーケンは、それを引き千切ろうとしているのか、更に大きくもがく。
「もうちょっと、下げても大丈夫……かも」
「うん、わかった」
僅かではあるけれど体から力が抜けていくような、体が重くなっていくような感覚が続いている。
これが生命力が減少している感覚なのだろうか。
「……きっつ……これ無理かも」
「えぇ!? ちょっと! 頑張って!」
「はー……生命力が強い相手のほうが、効果が上がるんだって」
生命力……暴れまわっている時のほうが生命力が高いと言っていたし、なるべく長い時間暴れてもらったほうが良いのだろう。
普段の黒炎弾が広がって燃え上がり、全てが鎮火するまでの時間が大体2、3分だ。
今は恐らく3分の1くらいの威力だと思うから……3倍、5分以上はもつだろうか。
「MPより体がきつい……あー……眠くなってきた」
秋夜さんの様子を窺えば、眉間にしわを寄せて辛そうにしている。
兄ちゃんはどうだろうかと見てみれば、秋夜さん程ではないものの若干辛さが滲んでいた。
秋夜さんは元から生命力が減った状態だったこともあるだろうけど、俺達とは生命力の減少と体への負荷が違うのではないかと予想できる。
「……お兄ちゃん、MPどれくらい減ってる?」
「これまでで……80くらいかな。クールタイムに気を付けてないとMPが切れそうだね」
「そ……ライ君、黒炎弾終わったらさぁ、MPは次の黒炎弾に合わせて回復して。
こっちに回すMPより、黒炎弾のMP。優先して」
今持っているマナポーションは4種類。
それぞれにクールタイムがあるからと、何も考えずに飲んでいるとクールタイムが回復するよりも先にMPが尽きるかもしれない。
徐々に減るMPとの兼ね合いを考えて回復しないと、黒炎弾を打つMPが足りなくなってしまう。
「暴れているほうが、拘束が強くなるって考えで良いのかな?」
「……多分、ね」
これまですらすらと話していた秋夜さんの口調が、途切れるような口調へ変わっていることからも、やはり相当辛いのだろうとわかる。
体が徐々に重くなっているような感覚はあるけれど、俺や兄ちゃんは今のところ普通に話せている。
「ライの黒炎弾が消えたら、浜辺からも攻撃をしてもらおう」
「そうして……」
秋夜さんの答えを聞いた兄ちゃんは、ウィンドウを開いて操作を始めた。
恐らくロゼさん達にメッセージを送っているのだろう。
クラーケンがもがく度にがちゃりがちゃりと大きな金属音が鳴り響いている。
「……地味だねぇ……」
「地味じゃないよ! クラーケン、全然進めてないからね!」
「これ……こんな時じゃないと使えないねぇ……」
「周りを巻き込むからね……でも、周りの人は結構動けるし、捕まえてる間に倒してもらうとか」
あとどれくらい持つだろう。防衛終了まで秋夜さんはこのスキルを使用し続けられるのだろうか。
「生命力が減ったらどうなるの?」
「……ステータスが減る。でも……装備とかは外れない。HPとMPは減らない」
デスペナルティでステータスが半減した時は装備が外れていた。それにHPとMPも減る。
疲労状態だとどうなるんだろう。なったことがないから分からない。
「MPは大丈夫?」
「まぁ……一応回復しとこうかな」
緩慢な動作で腕を上げてマナポーションを飲む姿を見て、燃え広がる黒炎弾に視線を戻す。
俺の両手から広がる黒炎弾が、少しずつ少しずつ小さくなっているのがわかる。
折り返し地点は超えてしまったようだ。
「兄ちゃん」
「うん」
俺の言葉に頷いた兄ちゃんは、ひらりと片手をあげて合図を送る。
ちらりと浜辺へ視線を向ければ、魔法職であろうプレイヤー達がこちらに向かって杖や手を掲げている姿が見えた。
もうちょっと、少しで良いから長く。
そんな俺の願いは叶わず、じわりじわりと黒炎は小さくなっていく。
「消える」
俺がそう口に出すよりも早く、兄ちゃんが再度合図を送った。
黒炎弾の炎が鎮火すると同時に、浜辺からたくさんの魔法弾がクラーケンへと飛んできた。
クラーケンの体に魔法弾が衝突するたくさんの音と、鎖の音がじゃらりと辺りに鳴り響く。
「……足りない」
秋夜さんがそう呟くと同時に、パキンと大きな音を立てて、触腕を締め上げていた鎖が一本崩れ落ちた。
同時に、ずしんとまるで重石でも乗せられたかのように体が重くなる。
「! 秋夜さん!!」
呪縛から逃れた触腕が秋夜さんを襲う。
慌てて立ち上がり、刀を抜いて、襲い掛かる触腕へと切りかかる。
体は重いけど、動けないわけではない。
「無事!?」
「なんとか」
パキン、パキンと更に2本の鎖が崩れた音が聞こえてきた。
更に重くなる体でぐっと刀を握る手に力を籠めて、呪縛から逃れた触腕の動きを捉える。
「MPの減る量増える。生命力も」
「これは……きついね。ライ、動ける?」
「うん……大丈夫」
黒炎弾が広がっていた時と比べ、鎖が体を締め上げる力が緩くなっているように感じる。
それでも動けないことには変わりはないようだが、先程のようにまた鎖が壊れてしまうかもしれない。
鎖が絡んでいない3本の触腕が秋夜さん目掛けて飛んでくる。
俺と兄ちゃんは秋夜さんを守るように立ち、次々と襲い来る触腕に攻撃を与えていく。
秋夜さんに聞くまではそこが弱点だなんて思っていなかったけど、弱点だからこそ怯んで離れていっているのだろう。
STRが低い俺や兄ちゃんが単純な力だけで弾き返せるわけがない。
「秋夜さん! 大丈夫!?」
「無理」
「うん! 頑張って!!」
浜辺の人達のクールタイムはいつ回復するだろう。
前衛の人にも何人か残ってもらって、クラーケンに攻撃を仕掛けていたほうが良かっただろうか。
いや、この鎖が全て崩れた後、動ける人がたくさんいたほうが良いに決まっている。
一番は、最後まで秋夜さんの鎖がこのままもつことだけれど。
兄ちゃんと俺で、秋夜さんを狙う触腕を次々と弾き返していく。
全身に襲い来る疲労感と体の重さから、触腕の動きを見逃してしまいそうだ。
「……なんか、話しててくんない? 寝そう」
「生命力が尽きたら眠くなるの?」
「さぁ……まー……死ぬんじゃない?」
「やめて! 寝たら死ぬよ!! 起きて!!」
「冗談だよ……モンスターなら死ぬんだろうけど……。
プレイヤーは、眠るんだと思う」
「今まで経験したことは?」
「ないねぇ……けど、このスキルが解けた時……強制的に眠らされるみたい」
スキル解除と共に眠るのか、それとも、眠ったことでスキルが解除されるのか。
そもそも眠ったら当然スキルは解除されるから、強制的に眠らされるのは別かな。
現状、疲労感はあれど、眠気は一切ない。
「それって俺達も?」
「それは、わかんない……」
兄ちゃんに襲い来る触腕を薙ぎ払う。
多少わかりにくい場所から現れたとは言え、普段の兄ちゃんなら気づいて対応出来ていたはずだ。
「……拘束に巻き込まれる可能性あったけど、巻き込まれなくてよかったねぇ」
「やっぱり俺生贄!? ひどくない!?」
「やー……ライ君ならなんとかするかなって」
「鎖に締め上げられて抜け出せる力はないよ!?」
パキンとまた1つ鎖が崩れる音がした。
一番動きが激しい部分だからか、触腕から壊れていっている。
また少し、ずしりと体が重くなる。
「あー……結構限界かも。今、暴れてるのって、ほとんどこの鎖のせいだから……」
「どんどん拘束が弱まってきてるってこと?」
「そ……で、鎖が壊れる度に負荷が増える」
「MPは?」
「まー……MPは大丈夫そうだけど。お兄ちゃんのおかげかねぇ」
生命力が尽きるほうが早いってことか。
これまで生命力なんて聞いたことなかったけど、そこはやっぱり職業が死神だからなのだろうか。
疲労度とはまた違う死神ならではの隠しステータスなのかもしれない。
疲労が溜まって疲労状態になるか、生命力が減って疲労状態になるか。似ているようで違う。
後者の場合、疲労状態というより危篤状態って感じではあるけれど。
「生贄を増やしたらなんとかなる?」
「言い方……どうだろうねぇ。多分、これ耐えられんの、種族による」
「☆4種族だからってこと?」
「そ。……☆4種族だからって、別に強いとかないけどさぁ……。
まー強いスキルあったりするけど……ステータスは変わんない」
ステータス自体はどの種族でも振り分けは違うけど数値は同じだ。
レベルが上がった時のステータスの上昇値も同じ。
違うのは、とんでもないメリットとデメリットがあることだろう。
「☆4種族のプレイヤーって生命力が高いんだよねぇ」
「生命力って見えるんだ……」
「まー、死神だからねぇ……多分、死神がいなければ生命力なんて、ないんだよ」
生命力を感知、または使用できる種族がいなければないのと同じだ。
死神以外にもそれができる種族はいるかもしれないけど、その種族がいなければ、生命力が使われることはなかったのだろう。
俺と兄ちゃんは死神に巻き込まれているだけだ。
「めんどくさいの引いたなぁ……大人しく違う種族にしときゃ良かった」
「わかる。俺も普通に鬼人が良かった。
でも、そうだったらテイマーじゃなかっただろうからなぁ」
みんなに出会えてなかっただろうと考えると、鬼神で良かったと思う。
筋肉よりジオンとリーノ、シアとレヴのほうが大事だ。筋肉は後からどうとでもなる……と、思う。絶対なる。
「☆3種族だと生命力少ない?」
「いや……少なくはないけど、☆4が高すぎる」
「なるほど……俺達も結構きついし、動けるかわかんないね」
「そーそー……遠距離から攻撃続けてもらってたが、まし」
遠距離か……魔法以外にも遠距離攻撃はあるはずだ。銃とか弓とか。
多くはないのかもしれないけど、空さんも品評会で弓を作っていたしいないわけではないだろう。
「兄ちゃん、弓のプレイヤーっていないの?」
「いるよ。今日きてるプレイヤーの中にもいるんじゃない?
最前線プレイヤーで弓使う人は、剣も使う人が多いから、今日は剣使ってるんじゃないかな。
空も一応使える。連絡取って攻撃してもらいたいけど、さすがに今ウィンドウ開けないな」
「俺頑張る!」
「りょーかい」
兄ちゃんが連絡をとっている間、秋夜さんと兄ちゃん両方を守るために動く。
どんどん体が重くなっているのを感じる。正直、動きたくないくらいだ。
それでも動かなければ、少しだけ見えた希望の光を逃すことになる。
また1本、鎖が壊れた音が響いた。
「秋夜さん!!! 大丈夫!? 起きて!!!」
「……無理」
「大丈夫だね!」
パキリと音が鳴ると同時に、秋夜さんが膝をついた。
負荷が増えて立っていられなくなってしまったのだろう。それでも、鎖が全て壊れたわけではない。
残り防衛時間は35分。クールタイム回復まであと18分。
3人になってからまだ20分程しか経っていない。
せめてあともう1度黒炎弾を打つまで。そして、その後少しの間もってくれたら。
残り15分くらいなら全員でなんとか押し返せるかもしれない。