day97 精霊の集落
「見つけた……白い花」
花弁も茎も葉も真っ白な小さな花を前に、大きく息を吐く。
ここまでの道のりは凄く険しかった。
落ちた葉に足を滑らせ、岩や蔦に足を取られ、木々の間を抜けて道なき道を登り続け、そして降り続け。
おまけに魔物も出てくる。幸い多くはなかったので、魔力感知で避けつつ、《魔除けの短剣》を使いつつ、こそこそと進んでいれば出会わないで進むこともできた。
とは言え、全く出会わず進むなんてことはできず、適正レベルの高い場所を進んでいる為、1体相手でもなかなか苦労した。
漸くなだらかな森へ出ると、今度は魔物の数が増えた。
避けて通ることも叶わず、倒しては次、倒しては次となかなか前に進めない。
綺麗だと感じる方へ進んではみたが、途中から自分の綺麗だと思う感覚に自信がなくなり、何度も引き返してもう一度確認しようかと思った。
早い時間にログインして、呪いと上書きについて頭に詰め込んでから、早めに家を出たと言うのに、すっかり夕方になってしまった。
これ以上時間が掛かっていたら、日を改めて再挑戦することになっていた。
「見つけました。次はあちらです」
「ありがとう、ジオン」
呪いの手順や上書きの手順を話してみろなんて言われないかもしれないけど、言われた時に困る。
本を見せるだけじゃ駄目だろうかと思ったけど、ネーレーイスの呪いはともかく、上書きの術は頭に入っていない状態で本を見ながら進める事は出来ない事がわかった。
ほとんど一夜漬けのそれは、移動の間にも何度も反芻したけれど、明日になれば忘れてそうだ。
「お、この辺たくさん咲いてんなー!」
「いくつか採取しておこうか。みきさんが調薬で使えるかもしれないから」
「種出たら良いね。また来るのはきついし」
「うん、この道をもう一回はすぐには来れないよね。
レベルが上がったらもう少し楽になるだろうけど」
ぷちりと抜いて鑑定してみると、《白銀草》という名前の植物だと分かった。
説明文を見ても何に使う植物なのかさっぱりわからない。植物図鑑を見たら何に使うのか分かるだろうか。
1本2本と道標としてなくならない程度に抜いて進んでいれば、運良く種を手に入れる事が出来た。
育ててみたいという気持ちが少しだけ湧いてくる。
植木鉢で育たないかな。育ちそうではあるけれど。植木鉢よりも先に農業スキルが必要なので保留だ。
「あら? あらあら? お客さんだわ!」
「まあ! 本当! お客さんなんていつぶりかしら!」
きゃらきゃらと楽しそうな声が聞こえてくる。
頭を上げて視線を向ければ、凄く綺麗なお姉さんが2人、木の上からこちらを見ていた。
「ねえ見て? 凄く綺麗な赤色!」
「素敵! とっても素敵だわ!」
その瞬間、目も開けていられない程の強い風が辺りに吹き荒れた。
周囲を伺おうにも風の音で何も聞こえない。
腕で顔を庇い、目を閉じていると、俺達の周りで吹き荒れていた激しい風がぴたりと止んだ。
目を開けて辺りを見渡せば、景色ががらりと変わっていた。
自然豊かな場所であることに変わりはないが、存在感を放つ建物がぽつりぽつりと建っている。
その建物はまるでエメラルドで作られているかのようで、透き通った少し青みがかった濃い緑色に、光が反射してきらきらと光っている。
更に奥へ視線を向ければ、神殿のような建物も見えた。
「連れてきてしまったの? 怒られても知らないよ」
ここが精霊の集落だと分かり、どくりどくりと鼓動が高鳴る。
どうやら、集落の中心にあちらから招待してくれたらしい。
「だって、見てちょうだい。凄く綺麗な赤色なのよ」
「おやおや、本当だ。女王様もお喜びになる」
「ええ、ええ! 女王様は一等赤が好きだもの!」
クスクスと辺りからたくさんの笑い声が聞こえてくる。
その声はとても無邪気で、なんの悪意も感じられない。
だからこそ、ぞわりと冷たい何かが背筋を走った。
「ねぇ、そこの貴方、その綺麗な赤色をくださいな」
「女王様がきっと喜ぶわ」
精霊達は真っ直ぐに俺の目へと視線を向けている。
その視線で赤色が何かを察することが出来た。
この世界で自分の顔をまじまじと見ることもなかったし、気にすることもなかったけれど、俺の瞳は赤色だ。
「俺の瞳?」
「そう。貴方の瞳、すっごく綺麗よ。
たくさんの血を集めた宝石のようだわ!」
「女王様がいらないと仰るなら僕が欲しいな」
「あ、あげないよ……! 瞳なんて貰って……どうするの……?」
「さて、どうなるのかしら? 飾られちゃう? 食べられちゃう?」
「けれど君がそれを知ることはない」
「だって見えないんだもの!」
楽しそうに、一切の翳りも見せることなく精霊達は笑う。
この短い時間でなんとなく分かってきた。天真爛漫で、そして残酷だ。
まるで、ちょっと悪戯をするだけだとでも思っているのだろう。精霊達は無邪気に笑う。
正直、物凄く帰りたい。
「……瞳もそれ以外も、あげられるものはないよ」
「まあ! でも、貴方はもう、女王様のモノよ。
だってほら、女王様が見つけた」
コンッと何かが地面を叩く音が聞こえた。
その瞬間、俺達の周りをまた激しい風が包んだ。
ぎゅっと目を閉じて、風が止むのを待つ。
この間に俺の瞳は取られてしまうのだろうかと、頭の中が恐怖で染まる。
「ふふ、可哀想に。小鹿のように震えてしまって。
怖がらなくて良い。さあ、顔をよく見せておくれ」
凛としたよく通る声が耳に届く。
恐る恐る目を開ければ、繊細で華美な装飾がされた調度品が飾られる豪華な部屋にいた。
そのどれもが色鮮やかな宝石のような材質で作られていて、まるで宝石箱の中にいるような気持ちになる。
その中でも一等豪華な玉座に座る精霊の女王は、ガラス玉のような瞳を真っ直ぐに俺へ向けていた。
淡く浅緑色の光が体全体を包むように煌めいている。あの光が自然の力なのだろうか。
雪のように白い肌も、整った顔立ちも、ふわりふわりと揺れる薄い若緑色の長い髪も、白魚のような指も。
どこを見てもこの部屋にあるたくさんの宝石よりも綺麗だ。
恐怖さえ覚える美貌の持ち主に、たらりと一筋、冷汗が流れた。
この人に逆らってはいけないと思わせるような何かが強く感じられる。
恐怖と畏怖だけが俺を包んでいる。
吸い寄せられるように奪われた視線を外すことができない。
はくりと口を動かすも、出てきたのは小さく震えた息だけで、何一つとして声にならなかった。
俺の視線を受けた精霊の女王は、ゆるりと首を傾け微笑んだ。
「ああ、綺麗だね。気に入った。
この地に足を踏み入れた事を許そう」
「それ、は……ありがとう、ございます」
許されていなかったらどうなったのだろう。過る考えに、ふるりと頭を振って思考を止める。
運良く……と、言って良いのかわからないけど、目的の相手が目の前にいるのだから、怖気づいていては話にならない。
「……お願いがあります」
「ほう……私に願い? ふふ……これだから外の種族は嫌いなんだ。
まあ、良い。私は美しいモノが好きだから、許そう。聞くだけ聞いてあげようか」
「哀歌の森の精霊さんの呪いを解いてください」
「……ああ、あの出来損ないか。貴様が話さなければ、永遠に思い出す事もなかっただろうに。
王自らかけてやった温情を無下にするような恩知らずに罰を与えただけだ。
部外者である貴様が口を出す権利はない」
「……温情?」
「何も得ぬ精霊は蔑まれ、嫌悪され、迫害される。
その苦しみから解放してやったのさ」
「でも、魔法を覚えて、受け入れてもらおうと……」
「ふ、ふふ、ははは。魔法を覚えたとて、自然の力を持たぬ者の魔法なんて禄なものじゃない。
可哀想に。ありもしない希望を抱かせた彼奴らも同罪さ」
「……精霊は、力がなければ暮らせないの?」
「ふ、面白い事を言う。元から力を持っているのさ。
自然から力を得る種族とは違う。私達精霊は自然そのものだ。
自然の力を何一つとして持ち得ぬアレは、紛い物にすらなれない」
フェルダが『自然の力さえあれば生きていけるような種族』と言っていたことを思い出す。
きっと食事を取る必要もないのだろう。
単なる嗜好品として楽しむだけで、自然の中にさえいれば生きていけるのではないかと思う。
「誰よりも劣っていると自覚するのは、どれ程の苦しみか。
どれだけ努力を重ねようと、それでも誰よりも劣る。何よりも劣る。
貴様は耐えられると?」
「わからない、けど……でも、精霊さんはそれでも皆と暮らしたかったから、長い年月をかけて魔法を覚えた。
俺は耐えられないかもしれないけど、精霊さんは耐えようとしてた」
「偽善も大概にするんだな。何を聞いたか知らないが、そんなもの憶測でしかない。
ここにいたアレを見たことがあるのか? 藻掻き苦しみ、けれど誰も手を差し伸べない。
魔法を覚えたからと言って、それが変わるとでも?」
「努力を認める事は出来ないの?」
「言葉に気をつけろ。いくら興が乗っているとは言え、不遜な物言いに寛容になれる程ではない」
すっと冷えた目に背筋に嫌な汗が流れる。
今はただ、赤色の瞳を持っているからという理由で許されているだけだ。それもどうかと思うけれど。
「私、そしてここにいる精霊達も、アレを受け入れる事はない」
「違う。受け入れて欲しいわけじゃない」
精霊さんは最後までここの精霊達を恨んではいなかったように思うし、今でもここに戻ってきたいのかもしれない。
それが精霊さんの望みなら、俺は叶えてあげたいけれど、受け入れてもらうことは無理だろう。
俺がお願いして受け入れられるなら、こんな事にはなっていない。
「俺は、話を聞いただけの部外者だ。
助けたいって気持ちはあるけれど、それを精霊さんが求めているかは分からない。
だから俺は、俺の都合で精霊さんを仲間にしたいんだ」
「……仲間? はは、ははは! 仲間だと? 笑わせる。
アレは既に堕ちている。従魔になんて出来るものか」
「出来る。俺はそうやって、仲間を増やしてきた」
「ほう? 何の役にも立たない、出来損ないの精霊を仲間にするのは、貴様の勝手にしたら良い。
して、どうする? 私は呪いを解くつもりはない」
「……呪いを解く方法を探してきた」
「精霊の呪いを解く方法を見つけるなんて不可能だ」
「ネーレーイスの呪いで、上書きする」
精霊の女王は笑みを消し去り、俺の瞳ばかりに向けていた視線を、頭からつま先へ観察するように動かした。
動いていた視線がぴたりとネックレスの黒い宝石で止まる。
「その首飾りはどこで手に入れた?」
「友達のリッチ……亜人のリッチから貸してもらった」
「あの一族、まだ生きている者がいたか。利口な者もいたと。
ただの人間が不死なぞと、片腹痛い」
「……俺には、ネーレーイスの仲間がいる。
そして、上書きの術もリッチの友達のお陰で学ぶことが出来た。
今すぐにでも、『精霊の呪い:腐敗』を返すことが出来る」
「ふふ、ふふふ……」
びりびりと大気が震えるのが分かる。
玉座の宝石の柱がパキンと音を立てて割れた。
「はははは! はははははは!! この私を、精霊の女王である私を脅すと?
貴様のような無作法者には呪いをくれてやろう!
その綺麗な顔が見るも無残に腐り果てるのはさぞ見物であろうな」
その言葉と同時に、頭の中で警告音が鳴り響いた。
『警告。敵対エリアが発生しました。
精霊女王との戦闘が開始します』
ジオンが俺の前に出て、刀を妖精の女王に向ける。
それに続くように、リーノとシアとレヴ、フェルダも俺を守るように前に出た。
「邪魔をするな。従魔に用はない」
妖精の女王がこんっと杖で床を鳴らすと、ジオン達がパタリと地面に倒れた。
慌ててジオン達の様子を確認すると、どうやら眠らされたらしいことが分かった。
ひとまずジオン達は無事だという事に安心する。
睨みつけるように玉座の精霊女王に視線を向ける。
「怒りに燃えるその瞳も綺麗だ。しかしもう、それだけでは許さない。
貴様のその怒りに燃える瞳が腐り果てる前に、くり抜いてこの玉座に飾り付けよう」