day91 哀歌の森
「あ、いたいた。おはよう、秋夜さん」
「おはよ」
待ち合わせ場所である転移陣付近……ギルドの外でぼんやりとしている秋夜さんの姿を見つけて駆け寄る。
今日はいよいよ、呪いの確認に行く日だ。
「パーティーどうする?
一応今、2人は枠あるけど……」
シアとレヴがお留守番なので、2人分空いている。
フェルダの調子は、戦ってみないとわからないとは言っていたけど、一応回復しているらしい。
今日は哀歌の森に出る魔物を相手にすることはあっても堕ちた精霊さんと戦うわけではないので、もし回復していなくても大丈夫だろう。
「どっちでも良いけど。
ま、その堕ちた魔物? の、とこ行くまでは組んでて良いんじゃない?」
「じゃあ、組もう。兄ちゃんも良い?」
「うん、良いよ」
久しぶりにプレイヤーとパーティーを組んだ。
組んだ事がある相手も兄ちゃんとカヴォロだけだけど。
「じゃ、さっさと行こ。村の外の森がそれなんでしょ?」
「多分そうだと思う。北側に行けば……見つかるのかな。
冒険者の人達も普通に採取で行ったりする危険のない森らしいけど」
凄く遠いところにいるのかな。
いや、エアさんに聞いたあの話の最後、森に魔法を掛けたと言っていた。
簡単には辿り着かないようになって……迷宮の石?
とにかく行ってみないことにはわからないと、村から出て北側の森へと足を進める。
哀歌の森と呼ばれる森は、エルフの森とよく似ているけど、少しだけ……恐らく魔力の濃さなのだろうか。
エルフの森と比べると木々や草花の元気がない気がする。エルフの森が元気過ぎるだけで、決して弱っているわけではないけれど。
「で、どこにいんの?」
「それは知らない」
「ふぅん。あてもなく歩くのは好きじゃないんだけどねぇ」
「きっと奥深くだとは思う」
「奥深くってねぇ……あっちの岩山のほうってこと?」
「多分?」
秋夜さんの視線の先には高い岩山が連なって聳え立ち、先が見えない。
頂上は霧なのか雲なのか真っ白に覆われていて、岩山から向こうが別世界のようだ。
「……やっぱ、あの山だなぁ」
リーノがぽつりと呟く。
「ノッカーの集落がある場所?」
「うん。あの山の頂上は、雪が積もってるんだぜ。
洞窟の中はそこまで寒くねぇんだけど、上の方で外に出るとすんげー寒かったなぁ」
「へぇ。雪か」
見てみたいと言葉に出しそうになってやめる。
恐らくテラ街の次の街、岩山の向こうにある街は雪の街なんじゃないかと思う。
岩山を登って見なくても、その内見れるだろう。
「確かにこの辺り、寒いもんね」
「そうか? まぁ確かに、アクア街と比べると涼しいけど」
「そうですね……いえ、私は寒さに強いので当てにならないですかね」
「ま、若干? 俺は寒さには弱いほうだから。
ライもそうなんじゃない?」
「あ、そっか。鬼人は暑さに強くて、寒さに弱いんだっけ。なるほど」
寒さに弱くない種族の人と比べると、少し涼しいだけで寒いと感じるらしい。
ジオンは寒さに強い種族だけど、寒さを感じないわけではないようだ。
確かに俺も暑い場所で暑いと感じるし、暑さに強いと暑さを感じないはイコールではないのだろう。
他の種族と比べると暑さを感じ難いのだろうとは思うけど。
俺の黒炎弾も他の人はもっと暑いのかもしれない。
「シアとレヴは寒さに強そうだよね。
海の中って結構寒そうだし……って思ったけど、銀の洞窟に行った時、別に寒くなかったね」
「水に浸かってるとまた違うからね」
確かにプールにしろ海水浴にしろ、一度水に浸かってしまえば寒くはない。
出た後は寒いけど、この世界では衣服が濡れることもないし、どこからともなく風が拭いて乾かされるから寒さは感じなかった。
「テラ街の次の街は凄く寒いのかなぁ。
毛皮のコートとか用意しといたほうが良い?
耐寒の付与がなかったら意味ないかな?」
「どうでしょう? ですが、耐寒の基本は冷気に対する耐性ですので、なくても暖かいと思いますよ」
黒炎弾を融合したときに付与されるのは、黒炎属性以外は耐火と火傷だ。
融合ではそれぞれの属性以外は、状態異常とそれに対する耐性の2種類が付くのではないかと思う。
雷弾なら麻痺と麻痺耐性、水属性なら睡眠と不眠が付いていた。
闇弾は他の魔法弾と違って、暗黒と毒の2種類が付いていたから、必ずしもそうと言うわけではないようだけど。
「冷気ってカヴォロの包丁で使ったやつだよね。
状態異常だとどうなるの?」
「凍ります」
「なるほど……」
出来ればこの先凍りたくはないものだ。
麻痺にしても睡眠にしても、動けなくなる状態異常は困る。
「君達っていつもこんな喋り続けなの?
よくそんなに話す事あるねぇ」
「話し足りないくらいだよ。秋夜さんもクラメンの人と狩りに行く時、話さない?」
「別に話さないかなぁ。
あいつらはずっと話しかけてくるけどねぇ」
「返事しなよ……」
「返事出来る事ならねぇ。僕の戦い方がどうとかそんなんばっかだから」
「凄く信頼されているというか、好かれているというか……」
「何かしたわけでもないのにねぇ。なんか懐かれた」
そうは言うけど、あそこまで信頼されているのだから、何かしたのだろう。
クラーケンの時もクラメンの動向には目を向けていたし、案外面倒見も良さそうなので、そういう部分が好かれているのかもしれない。
向かってきた魔物をデスサイズで3回、薙ぎ払うように斬り付け、倒してしまった秋夜さんの姿を見てううんと唸る。
この強さに憧れて、慕っている人もいるのだろう。
「あ! 見えた! まだまだ遠いけど、あっちにいると思う」
薄らと堕ちていた頃のリーノとシア、レヴのもやとよく似たもやが見える。
他のどの魔物とも違う、嫌悪感すら感じる程に禍々しいもやだ。
何も知らずに見えたとしたら、近付こうとも思わないだろう。
「は? 何が見えてんの?」
「魔力感知だよ」
「はぁ……? 魔力感知? 差があるもんでもないでしょ。
赤い点なんじゃないの?」
「秋夜さん魔力感知覚えてないの?」
「取れない。鑑定と一緒。そういう見るようなスキルは取れないねぇ」
「なるほど……俺の魔力感知、種族特性が反映されてるんだよね」
「へぇ、見える魔力に差があるって事?」
「うん。魔物とか強さとかで差があるんだよね」
「ふぅん? へぇ、狩猟祭で負けた原因がわかったねぇ。
まー良いや。僕もそういうスキルあるから、なんとなくわかった」
秋夜さんも種族特性が反映されたスキルがあるのか。
色々見えてるのはそのスキルなのかな。
でも、見るスキルは取れないみたいだし、違うかもしれない。
堕ちた元亜人のもやを目指して歩く。
草木を掻き分け、蔦に足を取られながら進んで行けば、やがて魔物が出てこない地帯に辿り着いた。
以前素材集めをした時と同じだ。
どうやら人がなかなか行かないような場所は魔物もいないらしい。
「へぇ、ライに聞いてはいたけど、本当にいないんだね。
用がないと、なかなかこないかな」
「来るのも大変だもんね。掻き分け掻き分けこなきゃだから」
魔物も出てこないので、一直線……と言っても、人が簡単に通れるような場所ではないので、時間を掛けつつ進んで行く。
そうして進んでいると、ふと何かが聞こえてきた。
それは、小さく分かりにくいけど、歌声であることがわかる。
酷く掠れ、しゃがれていて、女性か男性かも判断できないような声だけれど、哀しい歌声だ。
その歌声がはっきり聞こえるようになった時、目の前には見覚えのある光景が広がっていた。
真っ白な霧が数歩先さえ見えない程に森を覆い隠している。
「……なるほど」
「どうすんの? 何にも見えないけど」
目の前に広がる真っ白な霧に視線を向けていた秋夜さんは、俺に視線を向けてそう言った。
俺と兄ちゃんは顔を見合わせて、アイテムボックスから《迷宮の欠片》を取り出す。
「大丈夫。覚えがあるよ」
「へぇ。場所はわかんなかったのに、霧の対処法は知ってるんだ?」
「全く一緒かはわからないけど……多分、大丈夫だと思う」
森に魔法を掛けたのは、精霊さんの事が大好きだったエルフの人達だ。
呪いを森や人に影響させたくなかった精霊さんの願いを叶える為に、迷宮の石を使って人が辿り着かないようにしたのではないだろうか。
呪いだけでなく、堕ちてしまった後の事も考えていたのかもしれない。
精霊さんは『私は強くない』と言っていた。そしてこれまでの思い出が希望になるとも。
もしかしたら全てを受け止めたら、堕ちてしまうだろうと精霊さんは思っていたのではないだろうか。
霧の中はいつかと同じく真っ白で、数歩先ですら見えない。
おまけに魔力感知で魔力を見つけることもできなくなってしまった。
霧の中では魔力感知も迷ってしまうのだろうか。
哀しい歌声だけが聞こえてくる。
「秋夜さん、絶対に離れないでね。
迷ったら置いて行くからね!」
「僕がいないときた意味ないでしょ」
「たしかに」
秋夜さんに迷いの森について、遺物の事は省いて簡単に話しながら耳を澄ませる。
歌声に交じってカランコロンと鐘の音が聞こえてきた。
鐘の音を追って歩いて行けば、アーチにぶら下がる鐘を見つけることが出来た。
聞こえてきていた歌声は、まるで何百もの呻き声を一斉に聞いているようで、もうどんな歌だったかも分からない。
「鳴らしたら、多分、堕ちた精霊さんの所に行くと思うから、気を付けてね」
俺の言葉に兄ちゃんと秋夜さんが頷いた事を確認して、鐘を鳴らす。
からんころんと重厚な鐘の音が辺りに鳴り響くと同時に、霧が晴れていく。
完全に霧が晴れた時、辺りの風景は一変した。
青々としていた植物は、まるで燃えてしまったかのように真っ黒に染まり、朽ち果てている。
酷い匂いだ。すぐ傍から嫌な音も聞こえてくる。
「秋夜さん! 見えた!?」
2m程先でぼとりぼとりとヘドロのような何かを落としながら、瘴気を纏う黒い闇が蠢いている。
ゆらりゆらりと動くその闇は、どこが顔なのかは分からないけど、ゆっくりと振り向いた事が分かる
「秋夜さん……? 秋夜さん!?」
何も言わない秋夜さんに顔を向ければ、秋夜さんは真っ青な顔で口元を手で押さえていた。
ぐらりと体が揺れ、地面に蹲った秋夜さんに駆け寄る。
「……気持ち悪い……なに、あれ」
クラーケンの時もこんなに調子が悪そうな秋夜さんの姿は見なかった。
今にも吐きそうな秋夜さんの体を支える。
「見た、けど……見てられない。
ぐちゃぐちゃで、色んなものが流れてくる」
「色んなもの……歌声とか?」
「……そんなんじゃ、ないけど。
恨みとか、痛みとか、怒りとか……ぐちゃぐちゃで」
秋夜さんの目と堕ちた元亜人は相性が悪いのかもしれない。
確かに脳内で響く声は、頭がおかしくなりそうではあるけれど、秋夜さんのように気持ち悪くなったことはない。
秋夜さんが繊細って可能性はあるけど……さすがに、それはないと思う。
「見る、見るから……ちょっと、待って。
よく見えないから……」
顔を歪めた秋夜さんが、ぐっと頭を上げる。
「ライ、来るぞ!」
「っ……! ごめん、皆! 秋夜さんを守って!」
ぱっと見て、《帰還石》で帰る予定だったのに。
リーノが花のエフェクトと共に消えて行く。
「秋夜さん!!」
「……うるさい。……もうちょっと……」
次はフェルダ。そして、ジオン。
「……全然攻撃が効いてないね」
「兄ちゃん! 《帰還石》使って!」
俺の言葉に兄ちゃんは小さく笑うと、秋夜さんの前に出た。
兄ちゃんのHPバーの下にずらりと状態異常を知らせるアイコンが並ぶ。
ふわりと花が舞うと同時に、俺の視界が真っ黒に染まる。
何度経験しても慣れそうにない。がんがんと響く頭の痛みも、酷い匂いも。
「助けに来るから、待ってて」
言う事を聞かない口から出た精霊さんへの言葉は、空気ばかりで声になっていなかった。
これでは届いていないかもしれない。
「……見えた」
秋夜さんの言葉に安堵したと同時に、俺の意識は途絶えた。
目を開くと、俺達が出発した村の噴水広場にいた。
久しぶりのリスポーンだ。堕ちた元亜人に会う度にリスポーンしている。
俺が目を覚ましてすぐ、秋夜さんもリスポーンした。
凄く不機嫌そうだ。
「堕ちた元亜人関係には二度と呼ばないで」
「……ごめん。でも、ありがとう」
「いーえ。呪いは……『精霊の呪い:腐敗』ってやつみたいだねぇ」
「……精霊の呪い、かぁ……」
これは解呪の方法を探すのに苦労しそうだ。
「じゃ、僕帰るから。解呪頑張って」
「ありがとう、秋夜さん。本当に助かったよ」
ギルドへ向かう秋夜さんの背中を見送り、兄ちゃんに視線を向ける。
「どうだった? 堕ちた元亜人」
「とんでもないね。けど、今度堕ちた魔物に会った時は色々試してみようかな」
「えぇ……俺は逃げる」
「ま、そうそう出会うこともないだろうけどね。
それじゃ、俺も狩り行こうかな。
ライはこれから解呪の方法を探すんだろう?」
「うん、まずはエルムさんに聞いてみる。
またね、兄ちゃん!」