day77 谷底
耳を澄ませると波の音が聞こえる。
目を開いて上半身を起こし、窓から外を見ると、朝焼けに染まる海が見えた。
爽やかな朝だ。少し早めにログインして正解だった。
デッキに出て、デッキチェアに寝そべり、海を眺める。
コテージの値段は1戸20,000CZ。これまでに泊まったどの宿の4人部屋よりも高い。
けれど、この贅沢な時間が過ごせると思えば安いだろう。食事も付いているし。
ちなみに、アクア街にある一般的な宿だと4人部屋で3,000CZだそうで、コテージは観光用に作られているのが分かる。
「今日は早いんですね」
「あ、ジオン。起こしちゃった?」
「いいえ。……ふふ。ライさんはいつもそう言いますね」
「俺が戻ってきたことで起こしちゃってたら申し訳ないからね」
「仮にそうだとしても……ライさんが気にする必要はありませんよ。
寧ろ、起こして欲しいくらいです。
ライさんがこちらの世界にいらっしゃっている間、少しでも長く過ごしたいですから」
「へへ、嬉しいな。俺も、皆と過ごす時間が好きだよ」
「ライさんにそう言っていただけて、嬉しいです。
という事で、私は皆を起こしてきますね」
「うーん……気持ちよさそうに寝てたから、やっぱりちょっと心苦しいね」
「ふふ。独り占めするのも悪くないですが、拗ねられても困りますからね」
デッキチェアでくつろぎながら、波の音に耳を澄ます。
あ、なんだか眠くなってきた。
「「ライくんおはよー!」」
「おはよう、シアとレヴ」
「ライ! 今日は早いな!」
「この景色を楽しみたくてね。
それに、朝ご飯はバイキングだって言ってたから」
「はよ。今日はどうするの?」
「今日は狩りで……明日は迷いの森に行こうかなって思ってるよ」
当然、適正レベルには届いてないだろうけど、行けないことはないはずだ。
兄ちゃんにもログアウト中にそのことは伝えておいた。
「今日はどちらで狩りを?」
「岩山脈にしようかなって。ワイバーンのほうが効率良いからね」
「フェルダがいるからな!」
「あ、フェルダ。呪紋は大丈夫?」
「……大丈夫」
「本当に?」
「あー……昨日、ちょっと痛んだけど、子供に抓られた程度だから気にしないで。
今は一切痛みもない」
「子供に抓られるって容赦ない分痛そうだけど……。
うーん……連日狩りしてるからかな……」
本人もどれだけ狩りをしていたら呪紋の呪いを受けるのかわかっていないようだし、まちまちだと言っていたこともあって、加減がわからない。
「今日は休んで生産でも良いけど」
「気にしないで良いって。
耐えられなくなる前に言うから」
「ん……分かった。それじゃあ、当初の予定通り、哀歌の森の噂解明まで頑張ろう。
……あ、バイキングの時間、何時だって言ってたっけ?」
「ライ、そっち行ってる! こっからじゃ間に合わねぇ!」
「ありがとう! 大丈夫、避けられるよ」
空気を切り裂くように襲い来る爪と翼を避ける。
「【連斬】!!」
斬撃音と共に、エフェクトが舞う。
小さく息を吐きだして、後ろから感じる魔力に視線を向ける。
「「【呪痺】」」
「ライくん、大丈夫」
「先にあっちー!」
麻痺で動けなくなっているワイバーンの横を通り抜け、地面を蹴る。
上から下へ斬り付けて、そのまま斬り上げる。
「【雷弾】!」
「【氷晶魔刃斬】」
斬撃音と魔法弾による音、そして、切り裂く音、打撃音が辺りに響く。
昨日の練習の成果だろうか、少しだけ周囲を見れるようになってきた。
本当に、少しだけだけど。
「っと……やっぱり、ゴツゴツしてて動きにくいね」
「そうですね。もう少し起伏が少なければ良いのですが」
先日岩山脈で狩りをした時と比べると、少しは動けるようになったけど、少し気を抜くと岩肌で滑って転んでしまいそうだ。
下駄だから……ってわけではない。現実で下駄を履く機会なんてほとんどないけど、歩きにくさを感じたことはない。
確かに履物が現実と同じ通りだと、全員が運動靴や登山靴、安全靴なんかを装備しなきゃいけなくなるし、補正されているのだろう。
教会への道の途中、カプリコーン街とトーラス街を繋ぐ道から少しだけ外れた場所で狩りを続けて3時間ちょっと。
俺達のように飛んだり跳ねたり走ったりと、とにかく動き回って戦闘をするとなると、他のプレイヤーの邪魔になりかねないので、他の場所と比べて更に足場がゴツゴツしているこの場所で戦っている。
「わ……! シア! レヴ!」
「「ライくん!!!」」
1体のブレスがシアとレヴを襲う。
リーノはフェルダの近く、ここからは少し離れた場所にいる為、間に合いそうにない。
覚悟を決めて、シアとレヴの前に出る。
「っ……! ぃったぁ……」
「ライくん!」
「大丈夫!?」
「大丈夫、大丈夫……たた……【刃斬】」
全身がぴりぴりと痛む。酷い痛みではないけど、それなりには痛い。
クイックスロットのポーションを飲んで回復する。即死なんてことにならなくて良かった。
「ライさん! 無事ですか!?」
「無事だよ……っと、うわ!?」
ずるりと岩肌で足を滑らせ、体が後ろへと引っ張られる。
手を着いて振り向けば、すぐ傍がぽっかりと空いており、谷底に続く崖になっていて、危なかったと安堵の息を漏らす。
「ライ!! 避けろ!!!」
「え? あ、やば」
顔を上げると、そこには真っ直ぐにこちらへ向かって飛んでくるワイバーンが1体。
絶体絶命だ、なんてことを考える間もなく、胸に走る鈍痛と共に体が宙に浮いた。
「ぐ……うわぁああ!! 落ちるぅううう!!」
「ライ!!!」
「ライさん!!!!」
暗く先の見えない谷底へ、重力に逆らうことなく落ちて行く。
やっぱり、まだまだだ。もっともっと、皆と戦えるように頑張らなきゃ。
地形が悪い場所では、足元にも注意して戦わなければならない。
今のだって、滑ってなかったら、前から来ていたワイバーンに対応できたはずだ。
色んな経験をしてみたいとは思うけど、谷底に紐なしバンジーする経験はしたくない。
着地しようにも、真っ暗でこの先に地面があるのかさえ分からない。
見えてきた時には、既に着地の体勢を取れる距離ではないことがわかった。
ぎゅっと目を閉じて、衝撃に備える。
「【スプレッド】」
パラパラという音が耳に届いたかと思うと、ふわりと体が何かに受け止められた。
次の瞬間どしんとお尻を地面に打ち付ける。
とは言え、高いところから落ちたとは思えない、椅子から落ちた程度の衝撃だ。
「うぐ……んん?」
「大丈夫?」
「……あ! 手品の!」
「うわ……あ……ごめん。何かしてる途中だった?」
「ううん。ピンチだったよ。助けてくれてありがとう」
絶体絶命のピンチを切り抜けることができたようだ。……俺は何もしてないけれど。
俺の周りにたくさんのトランプが落ちている。このトランプで受け止めてくれたのだろうか。
「ライさーん!」
「ジオンー!!! 大丈夫だよ~!
戻るから、待ってて~!」
崖の上からジオンの声が聞こえてきた。
リスポーンしていないので、俺が生きていることは分かっているのだろう。
「ここは……」
「岩山脈の谷底、だよ。魔物はいないから安心して」
「そっか、良かった」
魔物がいないのなら、手品師さんはここで何をしていたのだろう。
何か、ここでしか採取できないものがあるのかな。
辺りを見渡してみるが、特に何も見つからない。
「……あー……何もないよ。ただの暗くてじめっとした場所」
「な、なるほど……? 貴方は、ここで何を……?」
「……手品してた」
「そう……手品を……」
何もこんな場所で手品をしなくてもと思うが、そのお陰で助かったのだから感謝しかない。
それにしても、夜目が利く俺はある程度見えているけど、彼も見えているのだろうか。
「貴方も落ちた……とかでは、なさそうだね」
「うん、自分で降りてきた」
「こようと思ってこれるんだね」
「スキルでなんとか。
この辺りに教会があるって聞いてきたんだけど、見つからなくて」
「見つからなくて……谷底に?」
「うん。嫌になっちゃって」
「そうなんだ……あ、教会なら、場所わかるよ」
地図を取り出して、見せる。
「見える?」
「うん、見えるよ」
どうやら彼も夜目が利くようだ。スキルか種族特性かはわからないけど。
「今ここにいて、教会はこの辺り」
「近くまできてたんだ……」
「うん。結構ぐねぐねしてるから、地図で見るより遠いけど」
「行ったことあるの?」
「あるよ。……あ、人がいなくなる噂の解明にきたなら、もう、解決しちゃってるんだけど……」
「や、違うよ。教会で確かめたいことがあっただけ」
「確かめたい事?」
「僕、ダンピールっていう種族なんだけど。☆3の」
「ダンピールって言うと……吸血鬼と人間のハーフなんだっけ?」
「多分。ここでもそうなのかはわかんないけど。
暗いとこだとちょっとステータス上がるから、吸血鬼ってのは合ってるのかも」
それでここにいたのだろうか。
暗い所のほうが落ち着くとかあるのかな。
「それで、教会ってだめそうでしょ?」
「吸血鬼が?」
「そう。種族特性にはそんなこと書いてないけど、どうなるのかなって」
「なるほど……」
「教えてくれてありがとう。行ってみる。
……それと……あの、えっと……く……」
「く?」
「……て、手品見る!?」
「うん!? んー……凄く見たいけど、そろそろ戻らないと、皆に心配かけちゃうから……」
「そ、そうだよね……登れる?」
「んん……どうかなぁ……頑張ればいける……かなぁ」
「なら……【サモン・ダイヤ】。ダイヤ、行って」
魔物が倒れる時のエフェクトとは違うキラキラ舞うエフェクトと共に、長い尾羽がくりんとカールした小さな鳥が現れた。
小さな鳥はすりすりと手品師さんの頬に頭を擦り付けると、手品師さんの顔の横でくるくると回っていたトランプを1枚、嘴に咥えて崖の上に向かって飛んで行った。
「テイム……じゃなくて、サモンモンスター?」
「そう。君とダイヤの位置を入れ替えるよ。
プレイヤーに試したことはないけど……多分、大丈夫……」
「なるほど……手品スキル……」
「手品って言って良いのか、わかんないけど……。
……僕、ソウム。良かったら、覚えて。……ら……ライ」
「ん……? うん。ソウムだね。覚えたよ」
「ありがとう。……これ、持って」
そう言って差し出されたスペードのAを受け取る。
「……それじゃ、気を付けてね。【スイッチ】」
次の瞬間には、ぽんっという軽快な音と共にジオン達の目の前にいた。
突然現れた俺の姿に驚いて、みんな目を丸くしている。
「……凄い……!」
手品が凄いのはもちろんだけど、それだけでなく、きっと凄く強いプレイヤーだ。
岩山脈を1人でうろうろしていたみたいだし。
「……? 何が起きたの?」
「ソウム……露店広場の手品師さんが、助けてくれたんだよ」
何が何やらと言った顔で尋ねるフェルダに答える。
谷底で起きた出来事を説明すると、皆驚いた顔をして、それから安堵の息を漏らした。
「手品スキル、ね……そんな使い方も出来るんだ?」
「普通は違うの?」
「普通は手品するだけのスキルだね。手品を生業にしてる人が持ってる。
冒険者は……まあ、モテたいやつとかは練習して取得したりするけど」
「なるほど……」
確かに披露したら盛り上がるだろう。
「何はともあれ、無事で良かったです」
「俺も駄目かと思ったよ。不甲斐ないなぁ」
「ま、焦らずゆっくりね」
「うん。頑張るよ」
受け取ったトランプはアイテムボックスに入れておこう。
今度会った時に返さなくては。