day0 プロローグ
VRゲームが主流となって数十年。
大手ゲーム会社である『C.O.T.Dream社』が『フルダイブ型VR機』の開発を発表した時の世間の反応は冷めたものであった。
これまでにいくつの会社が『フルダイブ型VR機』の開発を夢見て散っていっただろうか。
最初にそんな夢を見た会社の名前は覚えていないが、その会社が既になくなっていることは知っている。
『C.O.T.Dream社』もまた、これまでの会社と同じく、莫大な開発費、人員、そして時間を無駄にするだろうというのが世間の声であった。
そんな世間の声とは裏腹に、まるでこれまでの残骸から零れたピースを掛け合わせていくように、『フルダイブ型VR機』の開発は長い時間を掛けながらも順調に完成への道を進んでいた。
その成果が発表されるようになると、今度は『フルダイブ』による人体への影響等といった様々な問題が連日ワイドショーやネットニュース等で取り上げられるようになったが、『C.O.T.Dream社』にとって、挙げられた問題は想定の範囲内であった。
すでに対応策を講じていた『C.O.T.Dream社』は、世間が挙げていた問題だけでなく、他に起こりえる問題に対し、その対応策を全て公表することで跳ね除け、それにより否定的だった世間の声が劇的に変わるわけではなかったが、一部の支持を得ることには成功した。
肯定的な意見が劇的に増えたのは、『フルダイブ型ゲーム機』と共に開発を進めていたフルダイブ型VRMMORPG『Chronicle of Universe』のゲーム画面が初めて公表された時だろう。
夢を見ていたのはこれまで散ったゲーム会社だけではなかったのだ。
人々もまた、物語のような世界へ飛び込むことを夢見ていた。
期待をしては裏切られ、それを繰り返して、諦めていただけだ。
1万人に向けた『Chronicle of Universe』のクローズドβのテスター募集は、高性能オート翻訳システムが導入されていることもあり、世界中から応募が殺到し、その倍率は500倍を超えていたという。
クローズドβに運良く当選したプレイヤー達の誰もがその世界に魅了され、その評判は瞬く間に広まり、人々は皆、正式オープンを今か今かと待ち侘びた。
そうしてようやく、世界初のフルダイブ型VRMMORPG『Chronicle of Universe』は完成した。
◇
「兄ちゃん、本当に待たなくていいの?」
「いいよ。先にやってな」
今日は待ちに待った『Chronicle of Universe』の正式オープン開始日だ。
クローズドβテスターの倍率を聞いて応募すらしなかった俺と違い、テスターの抽選に運良く当選し、その世界を体験した兄ちゃんの話に俺は胸を高鳴らせ、クローズドβ終了と共に発表された正式オープンの初回出荷分に駄目で元々だと応募した。
まさか、当選するとは思っていなかったけど。
正式オープンの初回出荷数は5万と、クローズドβから5倍の人数となったものの、倍率は跳ね上がり、1000倍は優に超えていたと聞く。
「手伝えることがあったらよかったんだけど……」
その言葉に、兄ちゃんは肩を竦めて俺からモニターへと視線を移した。
その視線の先を追いかけると、そこにはずらりと英語が並んでいる。
わかってはいたけど、俺が手伝えることはないだろう。
兄ちゃんは友人達とVRの所謂インディーゲームを制作している。
通信制の高校に入学して、特にバイトもせず家でのんびりと過ごしていた俺も、兄ちゃんや兄ちゃんの友人に教えてもらいながらではあるが、ちょっとしたモデリングの手伝いをして、お小遣い程度のバイト代を受け取っている。
モデリングと言っても、今の俺には高度なものは作れないから、ちょっとしたオブジェクトを作る程度だ。
それ以外は兄ちゃんや兄ちゃんの友人達が手掛けているため、俺にはさっぱりわからない。
今兄ちゃんが見ている画面に並ぶプログラムらしきものを見ても、未知の言語のようにしか見えないのである。
数週間前に完成し、あとは公開を待つだけとなっていた兄ちゃん達のゲームに、公開前に分かってよかったと喜ぶべきなのか、何も今日じゃなくてもと悲しむべきなのかはわからないが、昨晩、バグが見つかった。
『Chronicle of Universe』のサービス開始が明日に迫った兄ちゃんは、友人達に公開はまだだから今直さなくてもいいのではと主張したらしいが笑顔で黙殺されたそうだ。
その結果、今日まで『Chronicle of Universe』にログインしたらああしようこうしようと毎日のように俺と話していた兄ちゃんは、残念なことに正式オープンと共に開始することが出来なくなってしまったのである。
「早くログインしたいからって無理したらだめだよ」
「はは。りょーかい。ここでバグと戦っておくよ」
「強い?」
「どうかな。まぁ、2、3日後には修正できると思うよ」
「そっかぁ~頑張ってね」
「ありがと。来李もね」
「うん! むきむきになって友達をたくさん作るよ!」
俺の答えになんとも微妙な顔をした兄ちゃんに疑問を覚えたが、これ以上修正作業の邪魔をするわけにはいかないので、兄ちゃんの部屋から退場することにする。
兄ちゃんに悪いなという気持ちはあるものの、自室へと運ぶ足は軽やかだ。
弾む気持ちを抑えつつ、自室の扉を開ける。
自室で俺を待ち構えていた『フルダイブ型VR機専用チェア』とそこに接続された『ヘッドギア』を見て、俺の顔からは自然と笑みがこぼれた。
逸る気持ちを抑えつつ、専用チェアに座って丁寧にヘッドギアを装着しながら、今日までに兄ちゃんと話した内容を思い返す。
兄ちゃんは楽しかった出来事やゲーム内で出来た友達のことをメインで話してくれたので、スキルのことや職業の事等、攻略情報については俺はほとんど知らない。
俺は兄ちゃんと話をしているのが楽しかったから、ほとんどチェックしていないのだけど、ネット上の攻略情報はクローズドβ期間が1か月と短い期間だったからか、サイトによって書かれていることが違っていたりといまいち要領を得ないものだった。
ただ、兄ちゃんの話によると、『Chronicle of Universe』内にネット掲示板のようなものがあり、そこでは盛んに情報がやり取りされていたそうだ。
ゲーム内の動きに合わせて変動していく情報がリアルタイムにやり取りされているということだろうから、困った時はそこをチェックしたらいいだろう。
それに、俺にとっての正念場は、この後すぐのキャラクター作成だ。
ここに関しては兄ちゃんからの話だけでなく、錯綜する攻略情報サイトからも俺なりに情報を集めた。
なんとしても種族の『鬼人』を引き当てねばならない。
俺が鬼人を求める理由は、キャラクター作成時のアバターカスタマイズにある。
『Chronicle of Universe』のアバターカスタマイズでは、顔はいくらでも弄ることができるらしいけれど、体型に関しては制限がある。
それも、種族によって制限の幅に変動があるらしい。
身長180センチの兄ちゃんはクローズドβの時、『妖精族』という種族を選択したそうだが、小学生低学年程度の身長を基準に、数センチのカスタマイズしかできなかったそうだ。
恐らく、世界観を著しく崩さないように制限がかかっているのだろう。
そこで、鬼人だ。
鬼人とはつまりは鬼のことである。
一般的に、鬼と聞いて思いつくのは、金棒を持ったくるくるパーマで虎のパンツを履いたむきむきの鬼なのではないだろうか。
そう。鬼はむきむきなのだ。むきむき。
母に似ていると言われる俺は、小さな頃『女の子みたいね』と言われていた。
それに対して嫌だと思ったことはなかったし、美人で優しい自慢の母に似ていると言われるのは嬉しかった。
中学生になる前だっただろうか。
『最近お父さんに似てきたわね』と母に言われ、男らしくて格好良い自慢の父に似ていると言われたことに喜んだ。
ちなみに兄ちゃんは父に似ている。もちろん、母と似ているところもある。
両親に似ていると言われて嬉しかったというだけなら話はここで終わりなのだが、どうやら俺はこの見た目のせいで友達ができなかったようだ。
自慢の両親に似ていると言われる見た目に対して、せいという言い方は嫌なのだけど。
同級生達から話しかけてくれることは業務連絡以外になく、俺から話しかけた場合は答えてくれるが、どこかよそよそしかった。
そんな同級生達に疑問を覚えていたところ『女みたい、頼りない、病弱そう、男らしくない』と陰で言われていることを知った。
がりがりとまではいかなくとも痩せ型な自覚はある。それに、色白だし体毛も薄いし、筋肉もない。
ただ、俺は別に病弱ではない。至って健康だ。風邪を引いた記憶もない。
頼りになるかはわからないが、頼られたら応える気概はある。と、思う。
ならば男らしくなれば友達ができると意気込み、男らしさとはなんだろうと考えた結果、むきむきになればいいのだと思い至った。
しかし、いくら食べても、筋トレをしても一向に体型に変化はない。
今でも毎日筋トレは続けているが、なんの変化もない。強いて言うなら体力がついたくらいだ。
そういう体質なんだろう。
それでもめげずに同級生に話しかけていたが、結局、友達はできなかった。
自分の顔を鏡で見ても、女の子みたいだとは全く思わないけれど、そう言われていると知ってから中学校を卒業するまで、同級生の態度が変わらなかったという事は、そうなのだろう。
さすがにめげてしまい、同級生と関わるのを一旦やめてみようと通信制の高校を選んだ。
そして、今に至る。
今でも俺は、自慢の両親に似ていると言われるこの見た目が嫌だなんてこれっぽっちも思っていない。
ただ、むきむきになったら、印象が変わるんじゃないかなとは思っている。
ちなみに、ボディービルダーのようなむきむきになるつもりだったのだけど、兄ちゃんや両親がそれだけはと渋い顔で止めてきたので諦めた。
そもそも、筋トレを続けても一切筋肉のつかないこの体質では到底叶わない夢ではあるけれど。
今の目標は兄ちゃんのような細マッチョだ。
しかし、『Chronicle of Universe』の世界でならば、ボディービルダーのようにだってなれるかもしれない。
つまり、俺の『Chronicle of Universe』での目標は、もちろん『Chronicle of Universe』の世界を存分に楽しむことが大前提だけど、種族に鬼人を選んでむきむきになり、友達を作ることだ。
「よしっ!
まずはむきむきになるところから!」
さぁ、むきむきライフのスタートだ。
「《Into the dream》」