6、秘策
吸血描写あります。
ディンケルスビュールには15世紀に建てられた木組みで出来た有名なホテルがあるが、今回泊まるのは別のホテルだ。
赤茶の壁が印象的なホテルで、内装もアンティーク調で可愛らしい。
地下のレストランで食事をとったあと、約束通り、メリルローザはヴァンと部屋に入る。
メリルローザがすんなり吸血を了承したことにヴァンもグレンも拍子抜けしていたようだが、メリルローザには考えがあった。
ヴァンと向かい合ったメリルローザは、さあどうぞとヴァンに向かって左手を突きだしてやる。……ヴァンは思い切り怪訝な顔をした。
「は?」
「……なによ。血を吸うのは首筋からじゃなきゃダメってわけじゃないんでしょう?」
メリルローザの考えた秘策――それは、手から吸血してもらうことだ!!
首筋に顔を埋められるよりも抵抗感が少ないかと思い付いたのだが、我ながら良い案だと思う。
得意気な顔で手を突きだしてやったのだが、ヴァンの反応は薄い。
「……別に、お前がそうしろっていうなら俺はいいけど」
「だ、だったらいいでしょ! ほら、早くしなさいよっ」
ヴァンからは文句は出なかったが、メリルローザがわがままを言うので仕方がないとでも言いたげだ。
ヴァンはメリルローザの手をとると小指に舌を這わせた。歯をたてられると、ブツッと皮を破られる嫌な感覚がして、思わず顔をしかめてしまう。
ほんの少しの痛みの後に来るのは快感。けれど、この間のように激しい波が襲ってくるのではなく、甘美な刺激にじわじわとからだが蝕まれていくようだった。
(でも、これなら我慢できるわ)
ヴァンの前で醜態を晒すこともない。両足に力を入れて踏ん張るメリルローザと、指に口をつけたまま顔を上げたヴァンとの目が合う。
赤い、魔性のヴァンの瞳。
ヴァンはちゅうっと音を立ててメリルローザの指を吸い上げた。
「っ!」
ヴァンの瞳を見ていると頭がくらくらとしてくる。
こちらを射抜く真っ直ぐな眼差しに、指に這わせる赤い舌。こぼす吐息は熱く、扇情的で、メリルローザの方も知らず知らずのうちに押し殺した吐息を漏らしてしまう。
「ヴァンっ……もう、いいでしょ……」
手を引き抜こうとしてもびくともしない。
「まだ」
足りない。
そう言って強く噛まれ、びくんとよろめいたメリルローザをヴァンが抱き止めた。そのままヴァンに押し倒されるようにベッドに倒れこんでしまう。
彼は精霊だ。頭ではそうわかっていても、間近にある胸板や熱い吐息は、男女の情事を想像させる。そんなことを考えてしまって余計に身体が火照った。
ヴァンに噛まれているせいで起こる甘やかな快楽に必死に抗っているせいで、メリルローザの息も荒くなっていく。ヴァンの身体の下で身を縮こませながら、空いている右手の甲を口元に押し当て、嵐が通りすぎるのを待つ。
最後まで名残惜しそうにメリルローザの血を舐めとったヴァンは、自分の下で真っ赤になっているメリルローザに気がつくと、ぱっと手を離した。
「……ああ、悪い――」
「ばかーーーっ!」
手元にあった枕を引っ付かんで投げると、ヴァンの頭に命中した。本当ならすぐにでもヴァンから離れたいのだが、腰が抜けてしまって動けないのだ。
赤い顔で睨むメリルローザに、ヴァンは憮然とした顔をする。
「……指先からなんて大した量にもならないから時間がかかる。首筋の方が効率がいいんだよ」
「だ、だったら先に言ってくれたっていいじゃない!」
「時間がかかったから怒っているのか? 文句の多いやつだな」
指を噛まれるくらいならいいやと思っていた時間まで巻き戻したい。これなら首を噛まれたほうがマシだった。
ヴァンはメリルローザが怒っている理由にぴんときていないようだ。
破廉恥だとか言うと怒るくせに、自分の行動には自覚がないらしい。
「もういいでしょ! 叔父さまのとこに行ってて!」
乱れたベッドの上からヴァンを追い出す。
せっかく妙案だと思ったのに、ヴァンに振り回されて終わっただけだ。
(こんなのが続いたら耐えられない!)
恋愛経験の乏しいメリルローザが想像出来るのは、ロマンス小説の中の熱い抱擁や口付けが精一杯だ。
ヴァンのせいで一足飛びに身体だけ快感に慣らされて、自分がふしだらな女になってしまいやしないかと、寝具を頭から被って赤面した。
*
翌日。
メリルローザが朝食の席につくと、グレンは真剣な顔をして新聞を読んでいた。ヴァンは部屋で待機している。
おはよう、メリルローザ。
そう言って折った新聞を手渡された。
「レントリヒ子爵が亡くなった」
「…………え?」
言葉をなくしたメリルローザは新聞に目を走らせる。
――レントリヒ子爵、不慮の事故で死去。庭を散歩中に階段から足を滑らせ、頭を強く打ち――事件性はないと見られる――
「う、そ……。だって昨日……」
会ったばかりの人が。
グレンは湯気の消えたコーヒーを口にした。
「私たちが帰った後のようだ。痛ましいね」
「どうして!? まさか、本当に呪いが……?」
サラスヴァティの涙。昨日見たときには確かに黒いもやは無かったはずだ。
グレンも頷いた。
「ヴァンにも聞いたよ。指輪は呪われていなかった」
「……じゃあ、本当に偶然、事故で……?」
「……そう思いたいけどね」
出来すぎたような話だ。自分たちが関わっただけに後味が悪い。
グレンは、「仮説だけど」と指を立てた。
「一つは本当に偶然の事故の可能性。二つ目は子爵の自作自演」
「呪われているふりをした、ってことですか?」
「そう。自分も指輪の呪いで怪我をしたんだって言えば売るときに信憑性が上がる」
余計に売れなくなりそうだが、グレンいわく、「そういうのが好きな人もいる」らしいので、世の中何を考えているかわからないものだ。
「三つ目はあの屋敷に呪われた品があった可能性だね」
「それは、指輪とは別の……ですか?」
「そうだね。あくまで可能性でしかないけど……。もしそうだった場合、子爵は独り身だから、あの屋敷のものが他の人の手に渡る可能性はとても高い」
そして知らずにその品を手にした誰かが、また――ごくりと唾を飲み込む。
取り越し苦労だったらいいんだけどねぇとグレンが笑う。本当にその通りだ。
気味が悪いし関わりたくないと思うけれど、このまま知らんぷりも出来ない。
子爵邸にもう一度行ってみるかい?と問われ、メリルローザは頷いていた。




