14、ほんのひととき、あなたの隣で
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「薔薇園の管理、か……」
責任重大ね、と帰りの列車の中でメリルローザは息をついた。ヴァンと隣合って座りながら、窓の外に流れる景色を眺める。
「……そんなに難しいことじゃないだろ。薔薇の時期は終わっているんだし」
「簡単に言ってくれるわね。自慢じゃないけど、わたし、庭仕事ってしたことないのよ」
シェルマン家もそれなりの広さの庭があるが、手入れは基本的に庭師に任せている。趣味で園芸を嗜む貴族もいるが、庭というのは来客を迎え入れる玄関口なのだ。なんでもかんでも適当に花を植えればいいというものではなく、センスや技術が問われる仕事だ。
キースリング邸も庭の管理には人を雇っているものの、大叔母の薔薇園だけは例外らしい。
長期で留守にするときは最低限の管理だけを人に任せ、あとは大叔母やグレンが自ら手入れを行っている。
秘密の場所だから、なんてグレンは悪戯っぽく笑っていたが、大叔母とヴァンの思い出の場所を守っているのだろうということはメリルローザにも分かる。
叔父が留守の間にうっかり枯らしでもしてしまったら――と思うと、胃が痛くなりそうだった。
『大丈夫大丈夫。秋咲きのための剪定は僕が帰ってからやるから、メリルローザは枯らさないように水やりをやっておいてくれるかい?』
雨の多い六月が明け、日照りの厳しい七月がやってくる。
地面が乾かないようにたっぷりと。水をやり過ぎても強く育たないから一日一回でいいからね、とグレンに言われて真剣に頷いた。あと、草取りくらいしないといけないというのはメリルローザにもわかっている。
グレンは気軽に頼んでいたが、帰ったら園芸の本でも探して読んでおこうと思った。
「ヴァン、手伝ってよ。大叔母さまの手入れとか見てるんでしょ」
「……そりゃ見てたけど」
「ヴァンの場所でもあるんだからね。叔父さまが留守の間は協力してよね」
「ったく、大袈裟なやつだな」
グレンが留守の間は、あの屋敷にメリルローザとヴァンが二人で暮らすことになるのだ。
厳密にいえば、お手伝いさんやフロウもいるので二人きりというわけではないのだが、意識すると少しどきどきした。
視線を窓の外に戻し、雑談でもしようと意識を切り替える。
「……叔父さま、ディアナさんと結婚するのかしら」
そうなったら喜ばしいことなのだが――ディアナをあの屋敷に迎え入れるのか――それともグレンがハイデルベルクに行ってしまうのか。
メリルローザの所在はどうなってしまうのかと考えると落ち着かない気持ちになる。
ディアナがキースリング邸にやって来たら、自分は邪魔者になってしまわないか。
あるいは、マリウスもいるしハイデルベルクで暮らすなんてことになったら。短期間の留守番とは違い、メリルローザとヴァンだけであの屋敷で暮らすというのは外聞的におかしい。
これを機にシェルマン家に戻されてしまうとは考えにくいが……、もしそうなったらヴァンと別れることになってしまわないか。
なんとなくグレンには言いづらくて、メリルローザも何も聞けずにいた。
「さあな。別に結婚にこだわらなくてもいいんじゃないか」
頬杖をつきながらヴァンが答える。
「グレンはそういうことにこだわるようには見えない」
「そりゃあ、叔父さまはそうよね……」
独身貴族と見られることになんの抵抗もなさそうな人だ。
「でも、好きな人とはずっと一緒にいたいものでしょう?」
「……そうだな。人間は、目に見える形で何かを残したがる」
婚姻関係だったり、指輪だったり。あるいは愛する人との子供だったり。
今まで見てきた人間たちを思い浮かべるようにヴァンが遠い目をする。
「人の人生は短いからね」
長い時を生きるヴァンにとってはわからない感覚かもしれない。ヴァンにとって、メリルローザもほんの一時過ごしただけの人間になっていくのだろう。いつかヴァンをおいていく、彼にとって通りすぎていくだけの存在だ。
自嘲気味にメリルローザが笑うと、ヴァンがメリルローザの手に自身の手を重ねた。
「お前も?」
「え?」
「……お前も、目に見える繋がりが欲しいと思っているのか?」
「……わたしは……」
精霊であるヴァンと、人間であるメリルローザが結ばれることなどあり得るのだろうか。
そんな望みは口に出来なくて、メリルローザは嘘をつく。
「ううん。形には残らなくても、好きな人と一緒にいられれば……それだけで幸せよね」
せめて、メリルローザと過ごした時間を少しでも覚えておいて欲しい。
揺れる列車の中、重ねられたヴァンの手が離れることはなかった。そんな彼に甘えるように肩に寄りかかり、メリルローザはそっと目を閉じた。
*
「呆れた。本当にあの子だけ帰しちゃうのね」
グレンの傷の手当てをしながら、ディアナは眉をひそめた。塗り薬をまだらになった背中に塗られて、「いてて」とグレンが声をあげる。
「……義理の娘だからって、心配じゃないの?」
精霊だという青年も一緒だとはいえ、若い娘を一人で留守番させておくなど、あまり褒められた行為ではない。
ディアナ自身、マリウスと二人でやっていけるか心配だったこともあり、グレンが残ってくれたのは心強かったが――代わりにメリルローザが一人になってしまうとなれば喜ぶことも出来なかった。
「ひどいな。僕が娘をいじめているとでも言いたいのかい?」
「そういうことじゃないけど、ふつうは心配するものでしょ。きれいな子だったし」
変な虫に悪さされないか、というのは男親ならもっともな心配だろう。
「ヴァンがいるなら、大抵の男は逃げ出すよ。四六時中一緒にいるのに声をかけてくるような馬鹿はいないさ」
「……そうね。精霊だって言われなかったら、恋人同士にしか見えないもの」
若く美しい娘と、彼女を守る人間ばなれした美貌の青年。
おとぎ話みたいに絵になるわね、と画家の端くれとして頭の中でモデリングしてしまう。
「そう。だから心配ない」
「精霊の彼のこと、随分信頼してるのね」
優秀なナイト役として、という意味でディアナは言ったのだろうが、グレンとしてはもう少し踏み込んでくれても構わないのにと二人の関係を見守っている。
下手に口出しするつもりはないが、見ているこっちがとてももどかしくなる。
「……恋は、落ちるものだからね」
くすりと笑うグレンをディアナは不思議そうに見つめる。
「なんの話?」
「こっちの話。そういうわけでしばらく留守にしても問題なさそうだし、僕も少しばかり恋人に甘える時間が欲しくなったんだ」
包帯と格闘するディアナを抱き寄せて、グレンは若い頃に戻ったように悪戯っぽく笑った。




