4、引っ越し
グレンとヴァンに見送られて家に帰ると、父がそわそわとした様子でメリルローザの帰宅を待っていた。
ダメもとだとか言っていたくせに、しっかり成果を期待している。
メリルローザはグレンからの手紙を父に渡した。
グレンは、宝石や美術品を取り扱う仕事をしており、深窓の令嬢ではなく、商売事に理解があるしっかりした娘が欲しかったのだと手紙でメリルローザのことをベタ褒めしていた。
養女になったからといって、シェルマン家との縁が切れるわけでもなく、メリルローザはいつでも実家と男爵家を行き来して構わないなど、父が「やっぱり手放すのは寂しい」などと言い出さないように手は打たれている。
手紙を読む父の顔が、喜びから寂しさ、安堵……と変わっていくのを横目で見ながら、例の園遊会の招待状を取り出すと「でかしたぞメリルローザ!」と小躍りした。
「いやあ、男爵に認められるとはさすが私の娘! こうして我が家のことも考えてくれて、なんて優しい子なんだ」
「まったく、調子いいんだから」
父もだが、叔父も大概である。我が家にとっていいことづくめなことしか書いていない手紙を見てため息をつく。
「そのルビーは? グレン男爵から頂いたのかい?」
「父さま、これはルビーじゃなくてレッドスピネルよ。ええと、大叔母さまのものを譲ってくださったの」
「そうなのかい? こんなに高価そうなものを……。随分お前のことを気に入ってくださったんだねぇ」
ヴァンの餌としか思われていないわよ。
そう言いたいが口をつぐむ。
精霊云々に関しては特に口止めはされなかったが、メリルローザ自身も半信半疑なくらいなのに、スピリチュアルなことに疎い父ならなおさらだろうと黙っておくことにした。
「それで、すぐに男爵のところに引っ越しちゃうのかい?」
「いいえ。色々と心づもりもあるし、少しこの家でゆっくりしてからにしようと思うの。叔父さまも、いつでも構わないって言ってくださっているし」
園遊会が来週なのだからギリギリまではいいだろう。どうせ行ったら行ったで、仕事という名の吸血を強要されるに違いないからだ。
「そうかい? ……いつでも会えるとはいえ寂しいけれど、男爵の気が変わらないうちにな」
良い娘ぶったメリルローザに、父はグレンの機嫌を損ねないか心配しているようだ。
もちろんわかっているわ、と返事をして自室に戻る。
何だか物凄く疲れた――とベッドに倒れこもうとしたメリルローザだったが、部屋にいた先客に声を上げた。
「あ、あなた、どうしてここに!?」
窓辺にヴァンがいて飛び上がる。どうしてって……と呆れた顔をされた。
「俺の本体はそのレッドスピネルなんだから当たり前だろう。そんなに遠くには離れられない」
「さっきまでいなかったじゃない」
「姿を消していたんだ。出てもいいならそうするが」
「だ、だめだめ!」
男を連れて帰ってきたなど、妹弟たちに悪影響すぎる。
「じゃあ、これから先、ずっとあなたと一緒なわけ? き、着替えとか、お風呂とかも……」
「覗くとでも思ってるのか!」
心外だと言わんばかりにヴァンが怒る。
「出てけというなら部屋から出ていく。姿を消してどこかに行っていればいいんだろ」
「……でも、この家のどこかにはいるんでしょ?」
幽霊のようにうろうろされるのも何か嫌だ。ヴァンが不必要にシェルマン一家のプライベートを覗き見てどうこうするとは思えないが、「もしかしたら見られているかも」なんて疑い出したらくつろげないではないか。
ちなみにキースリング邸では客間が与えられているらしい。精霊なのでベッドや机が必要なわけではないが、居場所が決まっているというのはひとつ屋根の下にいるものにとって安心感がある。
「嫌ならとっとと引っ越して来いって言ってたぞ」
「うっ」
メリルローザがぐずぐずとして引っ越して来ないのを読まれている。結局、グレンの手のひらの上で踊らされているというわけだ。
*
「やあ、メリルローザ。こんなに早く我が家に来てくれて嬉しいよ」
「……お世話になります……」
憮然とした表情で頭を下げる。
来週を待たずして早々に引っ越すことになったからだ。
自室に入った途端ヴァンがひょっこり姿を現したり、メリルローザだけは見えている状態で父や妹弟たちの後ろをうろうろ歩いていたりと、メリルローザの気がちっとも休まらなかったからである。
だったらいっそ、叔父の家でずっと実体化していてくれたほうがマシである。
(家族と離れるのが寂しいと泣くような年でもないしね)
調度品の類はあるし、衣類も準備しておくと言われたので、メリルローザの荷物は少ない。
シェルマン家の自室が空っぽになったら寂しいだろうとグレンに言われたので、メリルローザが持ってきているのは、気に入りの本や髪飾りや母との思い出の品など、実用品ではないものばかりだ。
グレンに通されたのは屋敷の東側にある部屋だった。
風を通すために窓が開けてある。ふわりと漂うのは、はじめてこの屋敷に来たときと同じ、香水のような甘い香りだった。
くん、と鼻を動かしたメリルローザに、グレンが窓の外を見るように手招きする。
「ちょうど、この部屋から薔薇園が見えるようになっていてね。匂いが気になるようなら他にも部屋は空いているよ」
「わぁ……」
薔薇園というには小規模だが、個人の邸宅にある分には十分立派だ。赤い薔薇が咲き誇り、白いテラス席が置いてあるのが見える。
表からは見えないように高い生け垣が巡らされており、こうして屋敷の中からでないと薔薇園があるなんて気づかない。
「大叔母の秘密の場所さ。今は僕が手入れをしているんだけどね」
「えっ、叔父さまが!?」
庭仕事をするようには見えなかったので意外だ。
「あそこはヴァンが好きな場所でね。維持するのは大変だけど、枯らすなって言われているから。ほら、噂をすれば」
ヴァンが薔薇園に入っていくのが見える。何をするでもなくぼんやりと過ごしているようだが、その表情はメリルローザのいる場所からは見えない。
「……わたしも入ってもいいのかしら?」
「勿論だよ。裏口から回れるようになっているから、いつでも遊びにおいで」
荷物を片付けたら食事にしようと言ってグレンは部屋から出ていく。
立派な天蓋付きベッドに、作り付けの戸棚。オークの使い込まれた机。今日からここがわたしの家になるのだ。
あまい花の香りを嗅ぎながら、持ってきた荷物を片付ける。大した量はないのですぐに片付け終わった。最後に母が生きていたころの家族写真を戸棚の上に飾る。
窓の外をそっと見ると、ヴァンの姿はもうなくなっていた。