婚約者と外出
ご指摘頂いた箇所を修正致しました。
「昨夜は一睡も出来ず」→「昨夜はあまりの嬉しさで中々眠ることが出来ず」
からんころんと草履が鳴る。編み上げた栗色の髪が跳ねる。慣れない袂を振りながらリーデシアはくるりと振り替える。
何も言わず唇だけを動かして、息を吐くように彼女は笑う。くるりくるりと回る度、くるりくるりと葉も回る。
落ちたばかりの紅葉が舞い上がり、駆けるように歩き出せばしゃりしゃりと音が鳴る。
後ろを付いて歩きながらアルフレッドは思った。連れてきて良かったと。
***
アルフレッド=リグタードは侯爵子息である。王国騎士団の副団長を務め、その佇まいから「氷の騎士」との異名を持つ。実力と才能を兼ね備え努力も怠らない彼は、多少の嫉妬はあっても順調に騎士としての務めを果たしていた。
だがしかし、そんなことには欠片も興味のないアルフレッド。愛する婚約者、リーデシア=アルミアにすべての関心を向けるアルフレッド。嬉しそうに跳ねる婚約者を見詰めるアルフレッド。今この瞬間、彼は騎士団のことも家のことも忘れて幸福な時間を噛み締めていた。
二人が外出先に選んだ場所は王国から離れた未開の地であり、神緑と夕紅が交わるとされる杪の大路だ。道を万年紅葉に囲まれたその場所は遠い島国の都に似た雰囲気を味わえる、知る人ぞ知るデートスポットであった。
叔母にお土産として和の島国の民族衣装、振り袖を渡されたアルフレッド。是非とも婚約者に着てほしいと思いリーデシアへその話をしたところ、ミステリアスで神秘的な文化に興味を抱いていた彼女は着物を着て出掛けたがった。婚約者にとことん甘いアルフレッドはならば相応しい場所をと調べ回った結果、この大路へ出掛ける運びとなったのだ。
愛するリーデシアとのデート。上機嫌に上機嫌を乗算したアルフレッドは浮かれすぎてうっかり寝坊するところだった。昨夜はあまりの嬉しさで中々眠ることが出来ず、家を出る前は顔色が悪すぎて使用人に体調を心配された。
中止するかどうか聞いてきた使用人に射殺す眼光を向け、普段よりも数十倍低い声で「……あ"?」と発したアルフレッド。空間が凍った。漏れ出た冷気が瞬く間に部屋中を凍てつかせ、扉や窓がひび割れる。
声をかけてしまった哀れな使用人は当時の心境をこう語る。「俺、死んだな」と。
その時響いた馬車の音。瞬間動き出す時間と空間。アルフレッドの血走った目は鳴りを潜め、途端に柔和できらびやかな心からの笑顔を浮かべた。対して使用人は助かった良かった感謝いたします神様仏様天使様いと尊きリーデシア様と心底安堵し感謝した。
馬車から降りてきたのはやはりというべきリーデシア。大輪の花を描いた振袖に履き馴れない草履を合わせた彼女は普段のあどけなさの残る美少女から、ミステリアスで神秘的で上品な美少女へ変貌を遂げていた。要するに美少女が趣の異なる美少女になっていた。
どんな姿でもアルフレッドの好みど真ん中ドストレートの婚約者様は照れたようにはにかみながら上目遣いで問い掛ける。
「アル、あの、似合っているかしら……?」
その日笑顔で人は殺せるのだと心臓をぶち抜かれたアルフレッドはしみじみ思った。
***
跳ねるように歩くリーデシア。隣を歩くアルフレッド。指を絡ませながら繋いだ手は緩く振られ、少女は鼻唄混じりに紅葉の下を進んでいく。
少年は穏やかに笑っていた。実際は繋がれた手のひらの柔らかさやたまに当たる彼女の腿の暖かさに下心満載であったが、綺麗に隠して微笑んでいた。
「今日はありがとう、アル」
唐突に発せられた彼女の言葉に顔を向け、彼は僅かに首肯した。何も言わなくてもわかっているよと言いたげなアルフレッド。リーデシアは繋いだ手に力を込める。
「今日は本当に楽しかったの。憧れの振袖っていう着物を着られたし、噂で聞くだけだった杪の大路にも来られた。全部貴方のおかげよ」
立ち止まりアルフレッドへ向き直ったリーデシアは微笑みをさらに深くして、心底嬉しそうに笑った。
「私とっても幸せ者ね、こんなに素敵な婚約者に愛されているんだもの」
ふっと近付いてきた顔。少年は先の展開を予測し固まった。まさかそんなはずはと困惑し身動き出来なくなった彼に、リーデシアは触れ合うだけのキスをした。
「大好きよ、私のアルフレッド」
その日笑顔で人は殺せるのだと、心臓をぶち抜かれたアルフレッドは二度思った。