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光の使者(1)

 つい先ほど目にしたことが頭から離れない。

 エルノはそのことでうんうんうなりながら、家へと続く坂をのぼっていった。

 彼の家は、最北の村ヘッグズヴァールの中のさらに北側にある。


 さて、この村は陸と海の両方に面しており、漁業はそれなりに発展しているし、ときおり商船がやってくることもある。

 その陸のほうなのだ。もっとも、南側は村の出入り口として機能しており、問題は東側に長々と連なる森にあった。

 昔からこの森は人々から“魔の森”として恐れられてきた。

 なんでもルワンの神ハ=ゼノーが呪いをかけた地だというのだ。

 夜中響くうなり声は間違いなくなにかの動物のものだし、こちらに降りてきて畑を荒らしていくのは悪霊ではなく飢えた獣だというのに。

 この噂のせいでヘッグズヴァールには、どこかまがまがしいという印象が植えつけられ、位置の関係もあいまって、近隣の村ばかりでなく大陸中から遠ざけられてしまっているような面がある。


 日はすでに暮れかかろうとしている。心なしか、空もどんよりと曇っている。街灯のたぐいは無く、また、家が魔の森の近くだったので余計に暗く感じる。

 エルノは心細くなって、迫ってくる暗闇から逃れるように走った。



 ――明かりだ! 窓からもれるそのオレンジ色の光をみて、エルノはほっと胸をなでおろす。ようやく肩の力が抜けてきた。

 彼はゆっくりとかんぬきを外した。


 小さい小屋。

 昔は木材置場としてつかわれていたらしいが、例の噂のせいで森に近いこのあたりには誰も寄り付かなくなっていて、廃墟と化していた。そこで、散らかっているのを綺麗にかたづけ、適当な家具を並べたのだ。

 エルノはここに住んでいる。

 彼には、生まれつき両親がいない。だが、寂しいと感じたことはない。そのかわり、ベルベットという老人を父のように慕った。

 赤ん坊のころから、ベルベットはつきっきりで世話をしてくれた。物心ついたときから、彼の生まれ故郷はこの村なのだ。



__



 炉に炎がごうごうと燃えさかっている。

 村の鍛冶屋でもあるベルベットは、熱心に鉄を打っていたところだった。

 が、すぐに彼はエルノのあいさつに笑顔で応じ、火を消して、金床や槌といった道具をわきにのけた。そして作業台を兼ねた食卓の上を指し示した。



「夕食にしよう」



 あらかじめ、野菜のスープとパンが用意されていた。

 初老をむかえたベルベットは短気な面もたまに見られるが、昔から面倒見がよく、楽しいときは笑い合ってくれるし、落ち込んでいるときは慰めてくれる、いまや家族に近しい存在だ。

 エルノはそんな彼を心から信頼している。

 短く刈りそろえられた銀髪。目は深い青で、まわりには幾重にもしわが刻まれている。顎の下までの髭に隠された唇はきりりと鋭く、歳の老いをまったく感じさせない。


 エルノは胸に手を当て、ささやかな祈りをすませると、パンを手に取った。

 ひとかけらちぎり、口に入れる。それは固く、スープも冷たいものだった。実をいうと、ベルベットはひどく不器用なのだが、そんなことはどうでもよかった。ささやかな食事だが、彼の冷え切った体には十分すぎるほどに染み渡ったのだ。


 敬虔なベルベットはまだ祈りを続けていた。

 彼はかつてこの世を創造したとされる、全知全能の神ハ=ゼノーを非常に深く崇め、『聖石伝説』に記された神の教えをもとに誠実な暮らしをおくっている。

 エルノもその影響をうけて育ってきたおかげで、豊かな感性と誠実さを身に着けることができた。



「父なる(しゅ)の恵みに、感謝します」



 しばらくたって、彼はそう低い声でつぶやき、パンを手に取った。

 ここで、ようやく二人の目が合う。ベルベットが口を開いた。



「祭りはどうだった?」



 祭りというのは、今日から一週間、ヘッグズヴァールで催される収穫祭のことだ。

 毎年この時期に行われており、村人たちはこの日を神聖な日としている。


 エルノはベルベットに今日のことを話そうか、迷った。

 だが、思い出すだけで胃がむかむかして、吐きそうになる。

 謎の閃光とともによみがえった男。そして自分に向けられた瞳。エルノはあのとき金縛りのようなものを感じてから、自分の体に妙な違和感を覚えていた。

 腹の奥に大きな鉛を流し込まれたような、その違和感。早く吐き出してしまいたいという違和感。――だけど、こんな不確かなもの、どこに、どうやって吐き出せばいい? 

こみあげる気持ちをぐっとこらえ、いつもどおり他愛のない話をしあって笑おう、と努めた。そうはできなかった。



「何かあったのだろう。話してみなさい」



 驚いた。エルノはできるだけ動揺をおさえ、すぐに目をそらそうとした。しかし、目の前でおだやかな笑みを浮かべて返事をまっている彼をよそに、そうはできなかったのだ。

 エルノは今日あったことを、いっさいがっさい打ち明けた。

 まとまらないながらも勢いにまかせて話した。短い出来事のわりに、何度かつっかえたが、ベルベットはしきりに相槌をうってくれた。


 全て語り終えても、いまだに胸のつかえがとれることはなかった。――けど、少しは楽になったんじゃないか?

 ぐぐっとスープを飲みほし、ベルベットが口を開くのを待った。


 ――ぼくが話してるあいだ、そう、「胸元が光った」って言ったときだ。間違いない、そのときから様子がおかしくならなかったか? なにか考えている様子だった。あごひげを手でさすりながら、時折うなずいたりした。けど、目線は下げたままだ。話をうわの空で聞いているときの仕草だ。

 

 とつぜんベルベットがはっと顔をあげたので、エルノはびっくりした。 



「妙だな。見間違えでないというなら、その男がおまえに固執したのはなぜだ? やはり……そうなのだろうか」彼はそうつぶやき、続けた。「名前は分からないのか?」

「一度ミラの家に行ったんだ。そしたら、まだ入っちゃダメだって。それどころか人手が足りないからってさ、手伝ってあげたんだ。顔すら見れなかった」


 ベルベットは黙りこみ、パンをかじる。


「『妙だ』って言われても、ぼくにだってよく分からない」エルノは肩をすくめた。

 ベルベットは黙りこみ、パンを一口かじる。



「そもそも、どうしてその男が、一度死んだと言い切れるんだ? ひょっとすれば、実は瀕死の状態で、最後のあがきとして立ち上がったのかもしれない」


 エルノは首を横にふった。


「害獣対策のあんな大きな棘を貫いて、しかもあの強度の柵を吹き飛ばしたんだ。それから血を吐き出して倒れて……死んだ。なのにとつぜん、声をあげて生き返って」エルノは目をそらし、自分に言い聞かせるように続けた。「これはたしかだよ」

「柵のほうに問題があったかもな。棘がへたれ、足場の土がぬかるんでいたのかもしれない。このところ大雨が続いていたからな」


 ベルベットはまだ何か言いたげだったが、エルノの視線に気づき、すぐに言い直して笑った。


「気にせんでくれ。別におまえを疑っているのではない。なに、老いぼれの思い込みにすぎんよ」



 それから二人はいつものように小話をして、笑い合った。

 食事がすむとベルベットは作業に戻った。エルノは食器を洗い終えると、はしごをのぼって屋根裏部屋へあがった。



 ベッドが二つ、それらは吊るされた布で簡単な仕切りがされ、それぞれの部屋となっている。

 エルノは自分の部屋に入ると、月の光に手をかざし、『聖石伝説』のなかでも有名な一節をつぶやいた。


(しゅ)ハ=ゼノーは、(わたし)たちにまことの(いつく)しみをもって(のぞ)まれ、その(おお)いなる御業(みわざ)で、(わたし)たちを(ひかり)のもとへ(みちび)いて(くだ)さる。』


 今日あったことを忘れようとしたが、どうしても頭から離れない。いまだに黒くて冷たいなにかが腹の中を渦巻いているようなのだ。

 ひょっとすれば、本当に何かの呪いにでもかかってしまったのかもしれない。考えれば考えるほど恐ろしくなって、彼は逃げるようにベッドにもぐりこんだ。



「ハ=ゼノーよ。どうかぼくとベルベット、そして村の人々を、魔の手からお救いください」



 エルノは願い、手を組んで祈りをささげた。


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