十二月二十一日 月曜日③
秋穂は聖夜祭の準備で出たゴミを持って校舎裏のゴミ捨て場まで来ていた。
「よいしょ、っと」
ゴミを置くと、秋穂は周りが静かなことに気づいた。
「聖夜祭準備の喧騒がまるで遠くの出来事みたいだね」
秋穂の言う通り校舎裏はまるで別世界のように静かだった。
「ね、浅陽ちゃん」
秋穂が笑顔で振り向くと、ちょうど浅陽がゴミを置いたところだった。浅陽は彼女に付き添う形で一緒にゴミ捨てに来ていた。その浅陽は何か納得がいかないような表情で秋穂の顔を見ている。
「ねえ、秋穂」
「なに、浅陽ちゃん?」
「昨日あんなことがあったんだから、休んでもよかったんだよ?」
浅陽のその一言に、秋穂の笑顔が少し曇った。
杉崎哲哉の告白を秋穂が断った後、彼が豹変した。その原因は、秋穂が告白を断った事がキッカケではあるのだろうが、大半は彼の持っていた〝人造念結晶〟だと浅陽は視ていた。
「今は聖夜祭の準備で忙しいし、それに……」
「それに?」
「浅陽ちゃんが守ってくれるんでしょ?」
「そりゃあ、もちろん。だけど……」
「昨日の浅陽ちゃん、カッコよくて、綺麗だった」
綺麗だったと言われ、浅陽は頰がポッとピンク色に染まった。
「あ、ありがと」
照れてしまった浅陽はそう言うのがやっとだった。
「私、浅陽ちゃんの火を見てすごくほっとしたの。ただ熱いだけじゃなくてとても温かい、そしてすごく勇気を貰えるような気がしたんだ」
「ちょっ、褒めすぎだって」
浅陽はその髪の色と同化してしまうかと思われるくらい顔を赤らめた。
だが次の瞬間には、鋭い目つきと共に顔色も元通りになった。
「浅陽ちゃん……?」
「しっ……!」
浅陽は人差し指を立てて唇にあてて静かにするように促した。そして辺りを警戒するように見回し、最終的に浅陽は焼却炉の方を見た。
「出てきなさいッ!」
ゴソリと焼却炉の陰で何かが動いた。浅陽が秋穂を守るように彼女の前に出る。やがて陰から這い出してきたそれは、ふらふらとよろめきながら彼女達の前に姿を現した。
「杉崎……」
ソレは、前日に秋穂にフラれ、その場で豹変した杉崎哲哉だった。ただ人造念結晶は発動していないらしく、闇の触手は見られない。だが浅陽は警戒を緩めずその場で身構えた。
「水薙……か……」
その目に昨日のような狂気は見られなかった。いつも見る彼のように見えた。しかしその顔はすぐにショックを受けたような物に変わった。
「……ッ」
後ろにいる秋穂が怯えているのが浅陽に伝わってきた。
杉崎は、自分の好きな相手が自分を見て怯えているのにショックを受けたのだった。
「(無理もないわね……)」
浅陽と違い、秋穂はまだ何の能力も持たない普通の人間だ。人外との戦いという修羅場を潜り抜けてきた浅陽とは生きてきた世界そのものが違う。浅陽が人々を守るべき存在だとするなら、彼女は守られる側である。
そんな彼女が非日常を目の当たりにして、それに怯えるなというのは無理である。
秋穂の怯えた表情を見て、杉崎哲哉はその場から逃げたしたい衝動に駆られた。だがその時、
『そんなに怯えては可哀想でしょう?』
どこからとも無く声が響いた。それを聴いた瞬間、杉崎はビクッと肩を揺らした。
「誰ッ?!」
浅陽は警戒を強めた。
『うふふふ……』
不気味な笑いと共に杉崎の傍らに、スゥッとその場に滲み出てくるように人影が現れた。それは長く艶やかな真っ黒い髪の不気味な赤黒い瞳を持った冷ややかな美女だった。
「(何コイツ……ッ!?)」
浅陽の中で警鐘が鳴りっぱなしだった。総毛立ち背筋が凍りつきそうたった。それくらい彼女の目の前に現れた美女はヤバい存在だった。
「貴女にだってあるでしょう? 誰かを想う気持ちが」
美女の視線が浅陽達を射抜く。
「(魔眼ーーーッ?!)」
ひとえに〝魔眼〟と言っても効果は様々だ。見つめられただけで幻覚を見せられたり、金縛りのように身動きが取れなくなったり、高度なモノになると石化させられてしまうモノまで存在する。
美女の視線は魅了の効果をもたらしていた。見つめられた者には術者の言葉がすべてが正しく、そして甘く聞こえ、術者の意のままに操る事が出来る。
「くッーーー!!」
だが浅陽とて水薙家の正統なる後継者だ。そうやすやすと魔眼に魅入られはしない。だが、
「私の、想い……」
秋穂には抗う術はない。魔眼に魅入られた秋穂の目は虚ろになっていた。
「秋穂ッ」
「ふふふ……」
美女の笑いが不気味に響く。
「そこまでだッ!!」
その時、突如浅陽の前に人影が舞い降りた。と同時にまるでガラスが砕け散るような音がして、魔眼の効力がその場から消え失せた。
「え……?」
浅陽は突然目の前に現れたその背中に見覚えがあった。
いつも温かい笑顔で迎えてくれて、美味しいご飯を作ってくれる、毛先が白金の髪のその男を浅陽は知っている。
「穂村、さん……?」
浅陽の目の前に現れたのは、左右それぞれの手に淡く輝く白金の刀を持った穂村優希人だった。
「無事か、浅陽?」
下の名前で呼ばれて浅陽はドキッとした。普段彼は浅陽の事を「水薙さん」と呼んでいる。それを急に親しげに、まるで長い付き合いがあるかのように自然に「浅陽」と呼んだ。
違いはそれだけじゃない。知っている背中なのに、纏うその雰囲気がまるで別人だった。
「あ、あれ? 私……?」
秋穂は我に返った。
「え? 優希人さん?」
そして一変した状況に混乱していた。
「その刃。私の〝力〟を容易く斬り裂きましたね」
美女が少し驚いたように優希人を見た。浅陽の驚きはそれ以上だった。
「穂村さん、あなたは……」
「今はこの場を切り抜けるのが先だ。惚けてるのか?」
優希人が肩越しに振り返って言った。浅陽はパッと頭を切り替えた。
「秋穂はあたしが」
優希人はOKとばかりにニヤリとした。
「貴方のその髪……、まさか〝輝髪〟?」
「さあね。名前なんて知らない」
「私の〝力〟を斬り裂く〝力〟といい、只者ではなさそうですね」
「それだけだと思うなよ」
優希人が地面を蹴る。その瞬間、浅陽は優希人を見失った。
「(迅いーーーッ!)」
そう浅陽が思っている間にも優希人は左の刀で美女を斬りつけていた。
「ぐっ……! バカな、私に触れただと?!」
「お前が何者かは知らないが、コイツには造作も無いことだ」
優希人は左手で握る刀を目の前に掲げてみせた。
「その剣……、まさか〈刃羽斬〉?! そんなそれはーーー!?」
優希人の動きが止まった。
「お前、母さんを知ってるのかーーー?」
「母……? ……なるほど」
美女はニヤリの怪しく微笑んだ。そして、その身に纏う闇色のドレスをはためかせた。
「貴方、〝忌み児〟ですね」
ドクンと優希人の心臓が一度大きく脈打った。
「(〝忌み児〟? どういうこと?)」
美女は二人の隙を見逃さなかった。杉崎哲哉の腕に恋人のように組みついた。
「今日はこの子を迎えに来ただけだから」
二人は空気に溶け込むように姿を消した。
『それでも貴方たちをみすみす帰すほどお人好しではないの』
声が聞こえるとほぼ同時に、優希人達はざっと見て五十体程の〝黒晶人形〟に囲まれていた。秋穂はその見たこともない不気味な風貌を目にして気を失った。
『生き残れたらまた会いましょう』
そして不要なお土産だけを残して気配は消えた。
「この数は少し手を焼きそうだな」
優希人はちらりと浅陽を見た。気を失った秋穂を抱えている為、この場を切り抜ける戦力としては心許ない。
そこへ五体の〝黒晶人形〟が優希人目掛けて跳んできた。
「だが、リハビリ代わりには丁度良い」
そして浅陽は見た。優希人の持つ二振りの刀が五体の〝黒晶人形〟を瞬く間に斬り裂いたのを。
その美しい技に浅陽は見惚れてしまっていた。
〝黒晶人形〟は斬られた所から色が輝くような白に変わっていき、まるで砂で出来ていたかのようにさらさらと崩れていった。
「これは、浄化……されてるの?」
「正解。さすがだな」
〝黒晶人形〟達は、その浄化の瞬間を見て(見えたところでそれに対する思考が残っているかどうかは不明なのでおそらく本能だと思われる)、怯んでいる様子が伺えた。
「かかってこないなら、こっちから行くぞ!」
優希人は右の刀を振り上げた。すると、傘に付いた雨水を振り払った時のように、刃から光が飛び散った。
次の瞬間、飛び散った光は幾筋もの輝く矢となって〝黒晶人形〟を悉く貫いた。
「これは、ミシェルの……」
その技はミシェルが多数の敵との戦いによく使う魔術に似ていた。
「別に彼女の専売特許じゃないだろ? それによく見ろ」
「よく……?」
言われた通り浅陽が注意深く見ると、先程と同じように〝黒晶人形〟がキラキラした白に変色していき崩れていく様が分かった。
「すごい……」
そんな単純な感嘆しか浅陽は口に出来なかった。
「〝アナタ自身〟も只者ではなかったのね」
木立の中からミシェル・J・リンクスが現れた。
「〝白銀の魔女〟……いや、〝魔術師〟だったな」
「どうやら記憶は戻ったようね」
「記憶が戻った……?」
話の見えない浅陽は首を傾げるばかりだった。
「詳しい話は秋穂ちゃんを休ませてからにしよう」
優希人は浅陽が抱えている秋穂を見て言った。
「だったらすぐそこに礼拝堂があるわ」
「そうだな。人目も無さそうだし」
そう言うと優希人は秋穂を軽々と抱きかかえた。その様子を浅陽はポカンとしながら見ていた。
「どうした、浅陽?」
また名前で呼ばれ浅陽はドキッとした。
「え、いやぁ、秋穂が目を覚ましてたらどんな反応するかと思って」
浅陽は咄嗟に誤魔化した。
「ユキトにお姫様抱っこされてるなんて知ったらそれはそれで気を失ってしまいそうだけど」
優希人はただ苦笑いを浮かべていた。
その頃優希人達の頭上、校舎の無人の屋上にノーブル・ロードはいた。その手には優希人の放った輝く矢が握られ、ぶすぶすとその掌を焦がしていた。
「やはり見間違いじゃなかったか」
ノーブルは真紅の妖しい瞳を煌めかせた。
「〈刃羽斬〉と〈凪薙〉。……彼は〝あの人〟の子ということか」
そして嬉しそうに口の端を歪めた。
「あははっ! いいね! 益々君が欲しくなったよ、ユキト」
彼の手の中の輝く矢が黒く濁ってパキンと音を立てて砕けた。
その背後に杉崎哲哉を抱えた美女が姿を現した。
礼拝堂に場所を移した浅陽達。
ミシェルは聖母像の前に立ち、向かって右側の長椅子の最前列に浅陽が座り、中央の通路を挟んだ左側の最前列に座る優希人が話を始めるのを静かに待っていた。秋穂は三人から少し離れた場所に寝かされている。
「……今朝、君達が登校した後、」
やがて優希人がゆっくりと語りはじめた。
「テレビからあるニュースが流れてきたんだ」
「あるニュース?」
浅陽は首を傾げ、同じような表情をしたミシェルと顔を見合わせた。
「八年前に起きた飛行機の墜落事故の追悼式が今日あるらしい」
「そっか。じゃあ今日梨遠さんいないんだ」
「リオが? 何故?」
「なんでも昔可愛がってた近所の子供が事故で亡くなったらしいよ。それで毎年追悼式に参列してるって」
「ああ。さっきテレビでインタビュー受けてた」
「それとアナタとどう関係があるのかしら?」
「梨遠姉ちゃん……榊原先生が昔可愛がってた近所の子供というのは俺〝達〟のことだ」
「え?」
一瞬、時間が止まったかのように、シンと礼拝堂の中が静まり返った。
「そして、この世界の俺達は、その飛行機事故で死んだ。……らしい」
「らしいって……?」
「映し出された慰霊碑に俺達とそれぞれの家族の名前があった」
「でもそれは偶然という可能性はないのかしら」
「無い」
優希人は即答した。
「家族全員の名前が一致する可能性はどのくらいだ? それも二家族」
「二家族? もしかしてあの女の子の?」
「そうだ。彼女の名前は『輝星 美那』。輝く星と書いて『かがせ』。そんな珍しい苗字はそう無い。輝星家と穂村家。両家族全員の名前が一致するなんてことあると思うか?」
「じゃあやはりユキトは別の世界から……」
「さすがに察しがいいな、ミシェル・J・リンクス。俺はこことよく似た別の世界、並行世界から来たんだと思う」
ミシェルは納得したような顔をしていた。
「いつ気づいた? 俺が並行世界からやってきたって」
「アナタの中の〝彼〟がワタシの二つ名を間違えた時に〝こちらでは〟と言っていたわ」
「なるほどね」
「え? なにあんた、穂村さんのこと知ってたの?」
「偶然知ったに過ぎないわ」
「浅陽は驚かないんだな」
「あ、はい。他に心当たりがあるんで」
浅陽は苦笑いしていた。
「でもどうやって並行世界からやってきたんですか?」
「それには覚えがある」
優希人は二年前の出来事を二人に話した。
それに驚きを見せたのは浅陽だった。
「あたしが暴走……!? それって……」
黒仮面として浅陽の前に立ちはだかった悠陽を倒した後に見た夢と酷似していたからだった。
「悠陽はどうなったんですか?!」
浅陽は身を乗り出して優希人に訊いた。
「その後のことは俺にも分からない。無事ならいいけど」
優希人はそこではたと気づいた。
「……そういえば〝こっち〟で悠陽を見たことが無い気がするな」
「悠陽は…………殺されました」
「殺されただと?! 誰に、いや、何に?!」
今度は優希人が身を乗り出した。
「二年前、あたしが〈焔結〉の継承を行ってる時に、あたしを守る為に」
「こっちも継承の儀式でか。それで何が起きたんだ?」
「儀式の最中に、さっきのあの人形、〝黒晶人形〟と黒い仮面を着けた女が現れたんです」
「黒い仮面の女とあの黒い人形か」
「でもその黒い仮面を着けた女は悠陽だったんです」
「なに?」
「彼女は、並行世界を渡り歩いてきたって言ってました」
「なるほど。さっきの心当たりというのはそれか」
浅陽は無言で頷いた。
「悠陽は行った先々であたしを殺してきたって言ってました。でもそれはすべてあたしが〈焔結〉の〝力〟を暴走させたからだって」
優希人は黙って浅陽の話を聞いていた。
「〝やっとそんなあなたに会えた〟って〈焔結〉の〝力〟に覚醒したあたしを見て言ってました。でもそれは、あたしが悠陽を倒した後でした」
「つまりその〝悠陽〟は、〈焔結〉を暴走させることなく使いこなせる〝浅陽〟を探していたということか」
「そうなんだと思います」
応える浅陽の表情は少し誇らしげだった。
「そういえば、この前襲ってきたのは彼女だけではなかったわね。低級の悪魔も一緒だったわ」
今の今まで忘れていたかのようにミシェルが言った。
『悪魔、か……』
何処からともなく声が響いた。
「まさか俺達を追って?」
『かもしれんな』
浅陽が声の主を捜してキョロキョロしている。
『ここだ』
声と共に優希人の背後に、立体映像のように美形の男の姿が浮かび上がった。だがその彫刻めいた美形過ぎる顔に、浅陽は薄ら寒さを覚えた。
『私の名はタスク・ヴァルカン・シャヘル。見ての通り、君達の言う天使という存在だ』
そう言う彼の背中には六対十二枚の翼が生えていた。
『こんな姿で申し訳ない。〝この世界〟は我々が存在する為の霊的因子〝福音〟が微量しかない。実体を得る為の【聖櫃】も手元にない』
「は、はぁ……」
〝福音〟とか【聖櫃】とか言われても浅陽は何の事だかさっぱりだった。
「あれ……?」
その浅陽が首を傾げた。
「どうしたの?」
「どこかで見たような……?」
「言われてみれば……」
ミシェルも釣られてタスクの顔を見た。
『君らは〝ルージュ〟に会ったのだろう? あれは私の双子の妹だ』
「天使……ルージュ、もしかしてあの時の……?」
ミシェルはハッと何か思い出したような表情を浮かべた。
「なにミシェル、あんた覚えがあんの?」
「何言ってるの? アナタだってお会いしたでしょう?」
「あたしも会ってる?」
浅陽は考え込むように首を傾げる。
「(あたしが天使に…………)……あ!! 女の子を抱えて空から降ってきた!」
浅陽が思い出したとばかりにタスクを見てぽんと手を叩いた。
「タスク様」
ミシェルが両膝を床について祈りを捧げるように胸の前で手を組んだ。見たことない彼女の恭しい振る舞いに浅陽はギョっとした。
『キミは敬虔な神の子なのだな。神聖に保たれたこの礼拝堂こそその証』
「ありがとうございます」
『だがそこまでしなくていい。今や私は天界を追放されている身だ』
「追放?! まさかそのような神聖な翼をお持ちのアナタが堕天使なのですか?」
ミシェルのその一言でその場に衝撃が走った。
『それは少し違うな』
「どういうことですか?」
『天界から追放された者は二通り存在する。神の意志に背き欲望に身を任せた者、彼らを〝堕天使〟と呼ぶ。おそらくそれがキミらの言う堕天使だろう』
「たしかに凌牙さんとか緋織さんはそういうイメージないな」
「誰ですか、それ?」
「ああ、そっか。〝こっち〟の浅陽が知ってるわけないよな」
優希人は少しだけ申し訳なさそうな笑みを浮かべた。
「タスク、さんは……」
そしてとても呼びにくそうに話し始めた。
「〝向こう〟では〝明羽凌牙〟って名乗ってた。ちなみにあの女の子ーーー美那を抱えていたヒトは〝明羽緋織〟って名前らしいんだけど……」
言いかけて優希人は何か言いたげにタスクの方を向いた。
『呼びにくければ〝凌牙〟で構わないぞ』
「そう? じゃあ俺はそう呼ぶよ。それで凌牙さん達はもう一つの方の追放された者ってことでいいんだよね?」
『ああ。私達のように訳あって天にも魔にも属さない天使の事を〝追放天使〟と呼ぶ』
「〝堕天使〟と〝追放天使〟か」
浅陽が次々と変わる展開についていけないかのようにポツリと呟いた。
「それじゃあ、あのリリィって人も〝追放天使〟なの、凌牙さん?」
「リリィ? もしかしてリリィ・フェニックス?」
ミシェルが珍しく驚きを見せた。
「ああ。【聖槍降魔聖省】重鎮中の重鎮、リリィ・フェニックスだ。この前店に来た」
「『ミラージュ』に?!」
「凌牙さんを知ってる風だったからあの人も天使なのかなって」
『目敏いな。たしかに彼女も天使だが〝追放天使〟、ましてや〝堕天使〟などではない。彼女は歴とした天界に所属する天使であり、〝ここ〟へは監察任務として来ているのだろう』
「それだけなのかなぁ?」
『……何が言いたい?』
「何も。それより、二年前に俺達の前に現れたあの男。アレは〝堕天使〟だよね?」
『それは間違いない』
「確か〝ノーブル〟と……。ん? つい最近どこかでその名を……」
優希人は何かに思い当たってハッとした。
「この前店に来たあの男、確かにノーブル・ロードと名乗ったな……!?」
優希人がまるで〝負〟を背負っているようだという印象を受けた黒尽くめの男、ノーブル・ロード。
二年前、優希人の目の前に姿を現し、並行世界の浅陽を暴走させる切っ掛けを与えた。その時は少年の姿をしていたが、纏う雰囲気はまったく同じだった。
そしてその時のノーブルとの遣り取りが優希人の脳裏に蘇る。
ーーー「何故浅陽を暴走させるんだ?!」
ーーー「さっきも言ったけどこれは上からの〝お達し〟なんだよ。〝あの女〟を手伝えってね。ま、何がしたいのかまでは知らないけど」
「奴の目的は浅陽なのか……?」
「あたしですか?!」
「あっちでお前の暴走の切っ掛けを作ったのがその〝ノーブル〟だ」
「なるほど。ひょっとしたらだけど、あらゆる世界でアサヒの暴走に関わっていたのではないかしら?」
『考えられるな』
「でも、あたし自身は悪魔とはまだ出遭ってませんし、誰かに狙われてるとしたらさすがにあたしでも気づきます。でもそんな気配は感じたこと無いです」
「そうか。となると奴らの目的がまったく見えないな」
礼拝堂が再び沈黙に包まれた。
「これ以上は考えるだけ無駄ね。ともあれ、アナタの事情は分かったわ、ユキト」
やがてミシェルが、逸れた話を本筋に戻した。
「その上で、この前返事を聞かせて貰えるかしら?」
「この前の返事?」
「アナタは〝ワタシ達〟の味方? それとも敵?」
その質問には浅陽も気になるようで、優希人をジッと見つめていた。
「記憶は失っていたけど、二人の為人は知ってる。俺の知ってる二人と差異もない。だから、俺は味方だ」
二人はその返事に安心したようにホッと胸を撫で下ろした。
『無駄に正義感だけは強いからなお前は』
「でも母さん譲りなんでしょ? だったら誇らしく思うよ」
その時ちょうどチャイムが鳴った。
「お昼休みだ」
浅陽が携帯端末を見て言った。
「昼休み?! しまった! 店を羽衣さんに任せたまんまだった」
優希人は慌てて駆け出した。だが扉の前で振り返った。
「それじゃあ、夕飯の時にまた」
そう言い残して優希人は礼拝堂から出ていった。
美女は突き刺すような視線をノーブルへと向けていた。
「説明していただけますか?」
「説明? 何の?」
ノーブルはしれっと言った。
「貴方の仕事は〝赤毛の双子〟の抹殺の筈。なのに何故あの娘は生きているのですか?」
「ああ、それ」
「それじゃありません。〝あの方〟からの下命は絶対です。それを貴方は……」
「絶対……?」
美女は背筋がゾクリとした。浅陽を圧倒した彼女ですら震え上がる程の威圧をノーブルは放っていた。
それは何処からともなく厚い雲を呼んだ。忽ちの内に空は雲に覆われ、その雲間には稲光が駆け巡る。
「人に仕事を頼んでおいた仕事を自分で横から掠め取るなんて。僕を虚仮にしてるとしか思えないよ。悪魔もビックリさ。ねえーーー」
ノーブルの迫力に圧されて美女は一瞬身動きが一切取れなくなった。
「しかし、あれは……」
辛うじて口にするものの、ノーブルのゾッとするくらい冷たい笑みにそれ以上は阻まれた。
「ま、僕は僕で思わぬ見つけ物をしたから、今回は忘れてあげる。でも次は無いよーーー〝メフィストフェレス〟」
「くッ……」
美女ーーーメフィストフェレスは屈辱を受けたが、どう足掻いても雪辱を晴らすのは難しい相手であると分かっていたのでそれ以上は何も言わずにその場から姿を消した。
「それにしても、益々君が欲しくなったよユキト。どうにかして君を手に入れられないかな」
ふとノーブルはメフィストフェレスの抱えた人間の事を思い出した。
「……うん。使えそうだ」
ノーブルは空間に溶け込むように姿を消した。それと共に厚い雲は何処へともなく消え去った。




