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十二月十九日 土曜日

放課後になると浅陽は、秋穂と一緒に霧園中央総合病院を訪れた。


「よかった。織恵おりえさんが目を覚まして」


「あたしが思ってたよりずっと早いよ。それにしても今日は何だか患者が多いみたい」


「そうなの? ここ結構大きいからいつもいっぱいなのかと思ってた。でも確かになんかこう、重苦しいって言うか、息苦しい感じはあるよね」


「うん。それに何だか胸騒ぎがする」


二人の乗ったエレベーターが昇ってき、やがて到着して扉が開いた。


「ん?」


扉の前を通る人物を見て浅陽は立ち止まった。


「あ……」


その小柄な人物も浅陽を見て同じように立ち止まった。そして二人して固まっていた。


「浅陽ちゃん知ってるの、この女の子?」


その〝女の子〟の口元がピクリと引きつった。


「えっと……まあ、知ってる……かな」


少女はかつて敵として戦った所謂捕虜なわけだが、浅陽は彼女が自由に出歩いているなど想像すらしていなかった。


「こんにちは、お嬢ちゃん。こんな所でどうしたのかな? パパかママと逸れたのかな?」


何も知らない秋穂が少女にそう話しかけた。


「あ……、あ……」


少女はプルプル震えながら何か言おうとしている。


「ん~?」


秋穂が満面の笑みで少女を見守る。

一方浅陽は苦笑いしている。


「アタシこう見えても高一だよぅ!」


秋穂の笑顔を間近で見たからなのか少女は少し頬を染めながら言った。


「え?」


驚いた秋穂は浅陽を見た。


「えっと。そうらしいよ?」


浅陽は乾いた笑みを浮かべながらそう答えた。


「ちょっとなんで疑問形なの? あの銀髪から聞いてるよね?!」


「うん。聞いてるよ、無乳少女」


「ぶぅ~!!」


「ミシェルちゃんとも知り合いなの、あなた?」


そう言う秋穂の制服の上からでも分かる豊満な胸が無乳少女(笑)ーーー『倉地くらち 彩乃あやの』の目の前にドンと現れた。


「あ……う……」


「ん?」


秋穂は気づいていないのか可愛らしく首を傾げている。

倉地彩乃は自分の胸を見下ろした。何の障害もなく足元が見えることに、底知れぬ敗北感を味わった。

その彼女の肩にそっと浅陽の手が置かれた。


「あんたの気持ち、分かるよ」


うんうんと浅陽は頷いている。


「も、もうやだぁ~!」


倉地は泣きながら一目散に駆け出した。


「あ、ちょっと……」


彼女を追いかけようとした秋穂を浅陽はとめた。


「あたしが行くよ。秋穂は織恵の所に行っててよ」


「でも……」


秋穂は心底心配しているようだ。


「大丈夫。秋穂は何もしてないから」


「それならいいんだけど」


「秋穂?」


そこへ『塩山しおやま 友恵ともえ』が現れた。


「友恵ちゃん」


秋穂は彼女に駆け寄った。


「来てくれたんだありがとう。ところで何かあったの?」


「大丈夫。何でもないよ」


答えたのは浅陽だった。


「水薙さんも来てくれたんだ」


「うん。でもちょっと寄るとこあるから先に病室に行ってて」


浅陽は倉地が消えた方へ駆け出した。




病室には沙那恵さなえもいた。


「秋穂ちゃん」


「お邪魔します」


「いらっしゃい、秋穂ちゃん」


織恵は笑顔で秋穂を迎えた。


「お加減はいかがですか?」


「すごくスッキリして気分がいいわ」


「よかった」


彼女の思い出の中にある織恵の姿そのもので、秋穂は心の底から安堵した。


「今日は一人?」


「水薙さんも来てたんだけど用事があるって言ってたよ。後で寄ってくれると思うよ」


「そっか。お姉さんの話でも聞かせてくれるのかな」


「お姉さん? 浅陽ちゃんのお姉さんですか?」


「秋穂ちゃん、知っているの?」


「ええ。たしか双子のお姉さんがいたって聞いてますけど」


「いた?」


織恵は嫌な予感がした。


「二年前に亡くなったって」


「!?」


織恵の胸には、浅陽から浴びせられたセリフが未だ突き刺さっていた。


ーーー「家族の事を想ってんなら、そんな〝力〟に負けてんじゃないわよ!!」


「……敵わないわね」


二年もの間、強い想いを抱き続けてきた浅陽。彼女ならこれからもずっとその想いを、色褪せることなく持ち続けられるだろうと織恵は思った。そしてそんな浅陽の事を考えていたら自然とそう口から出ていた。


「……ううん。私もあの子みたいに強くなりたい」


「お姉ちゃんならなれるよ。浅陽さんも強いねって言ってたから」


「ありがとう、沙那恵ちゃん」


織恵は家族を守る為の強さは物理的な強さだけではなく、心の強さも必要であることを改めて実感した。




廊下を走り、看護師に怒られそうになっていた倉地彩乃を引き取り、浅陽は屋上に上がっていた。


「まったく。手をかけさせないでよ」


「なんで……?」


「ん?」


「なんで追いかけてきたの……? 同情しにきたの……?」


「同情? 何に?」


浅陽は本当に何の事だか分からないかのように訊き返した。


「……無乳って言われるのは正直ムカつく。でも、あんた達がアタシに気を使ってくれてるのが分かる。同情されてるのが……分かる」


「そう、かもね」


倉地は心の中でやっぱりと呟いた。だが、


「風崎美由紀、いや黒仮面の女に目を付けられた事に関しては同情するわね」


「え?」


「でも【念晶の輝きあんたら】は立派な事をしてたじゃない。あんたみたいに親に捨てられた【念晶者クリスタライズ】を保護したり。それは胸を張っていいことだと思う」


「水薙……」


戦った相手にそこまで言われて倉地は胸がいっぱいになる思いだった。


「ま、あの女のせいでメチャクチャになったかもしれないけどね」


「……今でも信じられない。まさか美由紀さんがアタシ達を利用してただなんて」


「あたしも騙されてた。とんでもなく狡猾な連中みたい」


そう言う浅陽の表情はいつになく真剣なものだった。


「一体何者なの、あいつら?」


「あたしらもまだよく分かってない。ただ……」


「ただ? なによ?」


「あいつらが、欲望に身を任せて〝力〟を振るっていることだけは分かる」


「欲望に身を任せて……」


「(それでも、悠陽は最後にそれに打ち勝ったけど)」


唐突に浅陽が笑みを浮かべたので、倉地は怪訝そうに浅陽を見た。


「なにか言った?」


「別に。こっちのこと」


「あっそ」


倉地はプイとそっぽを向いた。


「そういや、あんたうちの学院に来るんだって?」


「なんかそうなってるみたい。アタシは割とここから近くに住んでたし。まあ、その、よろしく」


ぶっきらぼうに倉地は言った。


「こちらこそ。あんたのその地の〝力〟あてにさせてもらうから」


「う、うん!」


ふと、救急車のサイレンが聞こえてきた。


「今日は何だか救急車がたくさん来るなぁ」


「たくさん?」


浅陽は倉地が口にしたことが気になった。


「いつもの倍は来てんじゃないかな」


浅陽は下を見た。するとまるで列をなすように人が病院に入っていく。


「やっぱりおかしい。一体何が起きてるの……?」




『ミラージュ』では現在、優希人と羽衣の二人が働いていた。本来ならもう一人いたのだが、無断欠勤していた。だが、


「今日は来ませんね」


「そうね……」


どういうわけかこの日は客足が遠のいていた。

仕込みも清掃も終わらせ、優希人が暇を持て余していたその時、カウベルの音と共に扉が開いた。


「いらっしゃいま……」


優希人は一瞬、カラスでも迷い込んできたのかと思った。しかしよく見ると、それは優希人の背筋が凍りつきそうなほどの全身漆黒尽くめの格好をした男性だった。


「……せ」


「ようやく見つけた」


思いの外高い声で男は言った。


「え? 見つけ……?」


「なるほど。なかなか見つけられないわけだ」


男は一人で合点がいったように喋り続ける。


「それに君も〝さすが〟だね」


「俺、ですか? どこかでお会いしましたか?」


「……なるほど。あの時のショックで記憶を失っているのかな」


「ッ?!」


一瞬で記憶が無いことを見抜かれたことに優希人は驚愕した。つまりそれは、記憶を失う以前にこの男と会っているということに他ならない。


このまるで〝負〟を背負ったかのような存在に。


「そんなに怯えることはないよ。僕らは仲間じゃないか」


「仲間? 俺とあんたが……?」


優希人は彼が客であるということを、ここが『ミラージュ』であることをすっかり失念していた。


「だってそうだろ? 君はその身体に〝魔王〟を宿しているのだから」


「〝魔王〟……だと?」


優希人は自分の中にいる彼、タスク・ヴァルカン・シャヘルの事を思い浮かべた。


「かつてその者は『サタン』を名乗っていた」


「なっ?!」


それはおそらく世界で一番有名な大魔王の名前だろう。


「そんな彼を身に宿して平気でいるなんて、君は僕らの仲間以外にありえない」


「そん、な……」


大魔王の仲間、それは悪魔に他ならない。自分がそうであるかもしれないという事実を突き付けられ、優希人は目の前が真っ暗になった。


その優希人の肩に、彼を支えるように手が置かれた。それは優しく温かく彼を包み込む。


「それは少し違うわね」


それは羽衣の手だった。


「『サタン』が魔王の代名詞になったのは、〝彼〟が行方を眩ましてからよ」


「羽衣……さん?」


そこで優希人はようやく自分が『ミラージュ』にいるのだと思い出した。


「それに彼はその名を、とっくの昔に捨てているはず」


「そうか。ここには〝君〟がいたのか。なるほど。道理で見つからないわけだ」


「羽衣さん? 知り合い、なの?」


「昔ちょ〜っとね」


羽衣はいつもの笑顔で言った。優希人がいつもみている安心する笑顔だった。


「では改めて名乗ろう。僕の名はノーブル。『ノーブル・ロード』。よろしく」


ノーブルは手を差し出したが、優希人はその手を握るのを躊躇った。


「その手を取る必要はないわ」


店の入り口から声がした。全員がそちらを向く。


「……リリィ」


そこにはリリィ・フェニックスが立っていた。


「羽衣。この店はきちんと掃除が行き届いているのかしら? 貴女のことだから怠っているなんてことはないでしょうけど、どうやら羽虫が迷い込んでいるようね」


そう言ってリリィはノーブルを見た。


「安い挑発だねぇ。しかしまあ、婚約者に逃げられた上に、いつまでもその影を追い続ける未練がましいストーカー女に、羽虫呼ばわりされるのは少々腹が立たないでもないかな」


「なッーーー!?」


リリィが顔を真っ赤にして激昂した。逆に挑発されたようだった。

その時、優希人は背中がゾクリとした。


「こんな所で〝力〟を使うのはやめたまえ。君がここで〝力〟を使えばどうなるか分からない君ではないだろう?」


「ーーーッ」


「まあ僕は人間共がどうなろうと知ったことじゃあないけどね」


「くっ……」


リリィは悔しそうにノーブルを再び睨みつけた。


「今ここで争う気はないよ」


「何をふざけたことをッ」


「僕にだって静かに過ごしたい時もある。あ、ブレンドをもらえるかな、ユキトくん」


「え? あ、は、はい」


いきなり普通に注文されて戸惑いながらも優希人ほそれを受けた。

そして代金を受け取りノーブルにブレンドを出した。


「いい香りだね」


ノーブルはカウンター席の端に座ると、香りを楽しんでからブレンドを口にした。


「うん。美味い。さすがだね」


「それはどうも」


羽衣は素っ気なく応えた。


「いつまで突っ立っているんだい、君は。まさか僕に難癖つける為だけにここに入ってきたワケでもあるまい」


「当たり前です。貴方なんかに構っているほど私は暇ではありません」


リリィは紅茶を注文すると、ノーブルとは逆側のカウンター席の端に座った。


「いい香り」


ノーブルは彼女が同じ事を言ったので鼻で笑ったが、リリィはそれを無視した。


「ありがとう。それで、今日はどんな用で来たの?」


「貴女と久しぶりに話したくて。後は……」


リリィは優希人を見た。


「(俺……? じゃあないよな)」


優希人は自分の中の人物(?)に意識を向けた。


『………………』


タスクは沈黙を守っている。

気まずい空気が流れた。


「……まったく。誰も彼も・・・・相変わらずだね」


そう言ってノーブルはブレンドを飲み干した。


「それとも、僕が変わり過ぎたのかな」


そして席から立って出口へ向かい、扉の前で立ち止まった。


「それじゃあ、また近いうちに」


そう言い残して店から出ていった。


「優希人くん」


羽衣が優希人を呼ぶ。そのまま塩を撒いてと言ってもおかしくない雰囲気だ。


「どうせお客さん来ないだろうから、札をcloseにしておいてもらえるかしら」


「来ないって分からないじゃないですか」


「大丈夫よ。少し休憩にしましょう」


「いいの、羽衣?」


リリィが申し訳なさそうに訊ねた。


「いいのよ。私もあなたと話したかったし。お休みの子がいるから、そろそろ休憩の為に一旦閉めようって考えていたから」


「そう。じゃあそのお休みの子に感謝しないとね」


「お休みと言っても、無断欠勤でなければもっとよかったけど」


羽衣は少し疲れた風に溜め息を吐いた。


「じゃあ俺はお邪魔にならないように部屋に戻ってます」


「別に邪魔にはならないと思うけれど……。そうだ優希人くん」


羽衣は裏口から出ようとした優希人に呼びかけた。


「はい?」


「上に行く前に、塩を撒いておいてくれる?」


「……了解」


やれやれといった風に優希人は厨房へ塩を取りに消えた。と、そこで店の電話が鳴り、羽衣が受話器を取った。


「はい、もしもし……」




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