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十二月十六日 水曜日

雨は降り続いていた。

冬場の凍てつくような冷たい雨なのに、穂村優希人にはずいぶん優しい音に聞こえた。


「…………暇だ」


穂村優希人は羽衣から半ば強制的に休みを言い渡され、天使の降臨から二日経った今も自分の部屋で暇を持て余していた。


彼の部屋は『ミラージュ』の入っているマンションの最上階にある。つまり久遠舘学院学生寮の最上階に住んでいるということになる。


オーナーである天原羽衣も最上階の別室で暮らしているのだが、その身内ということで格安で住まわせてもらっている。


「……さむ」


ベランダに出ると冷気が優希人の身体に浸透していくようだった。


優希人は休みの日にはほぼ外に出て過ごしている。だが買い物をしたり遊ぶ為に出掛けるわけでない。


彼には探しているモノがあった。それが何かは彼自身も分からなかった。そして未だ見つけられずにいる。


ふと一昨日突然現れたの少女のことを思い出した。


光と共に空から降ってきた少女。

物語としては割とよく聞く出会いだ。しかし彼女を見た時、優希人は胸の中がザワザワしたのを感じた。


少女の外見だけ言えば、そこらのティーンズのアイドルやモデルより可愛いのは間違いない。だがそんな事は彼にとって二の次に過ぎなかった。



『……が……、……が優希人の…………になる!』



彼女を見た瞬間に頭に浮かんだ光景。炎が燃え盛る場所で少女が叫んだ言葉。それらが優希人の脳裏に浮かんでは消える。


「俺の……、何になるって言ったんだろう……?」


優希人は直感的に感じていた。

彼女は彼が探しているモノの一つ、もしくは全てなのではないかと。


「……ん?」


優希人の視界にチラつくモノがあった。

淡い光を放つそれは、鳥の羽根のような形をしていた。


見ると、少し離れた所にあの少女が立っていた。だがその姿は一昨日見たモノとは違っていた。

一昨日は青みを帯びたような綺麗な黒髪だったが、今はプラチナのような輝きを放っている。


「おはようございます」


「ッ!?」


不意に声をかけられて優希人は少し戸惑った。


「お、おはよう……ございます」


何とか挨拶を返したものの、どもっていた。


「ふふ……」


少女は柔らかな笑みを浮かべた。


「少し大人っぽくなりましたね」


「え……?」


優希人は耳を疑った。


「やはり二年という時は、〝あなた方〟にとっては長い時間なのでしょうね」


「二年……!?」


その年月は、優希人にとって特別な意味があった。


「あ、大丈夫ですよ。〝この子〟は今は少し〝疲れて〟いるだけですから」


「……俺の事、知ってるんですか?」


「え?」


少女は少し目を見開いて優希人を見た。だがすぐに合点がいったような顔になった。


「ああ。すみません。この姿では分かりませんよね。私ですよ、『〝緋織ひおり〟』です」


「緋織、さん……?」


「もちろん〝この子〟の事は覚えていますよね?」


そう言って少女は自分を指差した。


「【聖櫃アーク】を〝あちら〟に置いてきてしまったようで、〝彼女〟の身体に少しだけ居候させていただいてます」


「【聖櫃アーク】? 居候……?」


訳の分からない事を続け様に言われて優希人は混乱していた。そして、


「……ッ!?」


不意にまた頭痛が優希人を襲った。


「優希人さん?!」


確かに〝彼女〟は優希人の事を知っているようだった。何せ優希人はまだ名乗っていないのだから。


「この反応……。まさか……あなたは…………!?」




放課後。

浅陽とミシェルは学院が終わると部屋へ戻らずに『ミラージュ』へ直行した。


二日前、二人が目の当たりにした穂村優希人の只ならぬ様子に、いつも世話になっている身としては心配で仕方がなかった。


「優希人くんなら今日も休んでもらってるわ」


店に立っていたオーナー天原羽衣は二人にそう告げた。


「まだ具合悪いんですか?」


「身体の方は大丈夫そうよ。今朝だって店に出るとは言ってたんだから」


「じゃあどうして……?」


「これ以上は高いわよ。なんせ優希人くんのプライベートだから」


秋穂ならどうにかして聞こうとするかもしれないなと浅陽は思った。


「そういやあたし、穂村さんの事ほとんど知らないなぁ」


「そうね。どうしてあんなに料理が上手なのかとか普段どうやって過ごしているのかとか、独り暮らししてる理由とか」


「身近にいて気づかなかったけど意外と謎な人物よね」


「あら。二人とも優希人くんに興味があるの?」


「興味ってほどでもないですけど」


「おはようございま〜す」


その時一人の男子生徒が店に入ってきた。挨拶からして店のスタッフらしいのだが、


「杉崎?」


浅陽がその姿を見て驚いた。

微妙に真新しいさの残る久遠舘学院の制服を着た、浅陽より少し背の高い男子生徒。彼女達のクラスメイトの『杉崎すぎさき 哲哉てつや』だった。そんなに親しくはないが普通に話はする間柄である。


「水薙? それにミシェルも? お前らこんなとこで何してんだ?」


羽衣の顔がひくつくのをミシェルは見た。


「あたしら上に住んでんの。で、あんたは何? まさかここでバイトとか?」


「ま、まあな」


「ん?」


その反応を見て浅陽は思い出した。彼は……、


「はは〜ん。さてはあんた……」


浅陽はニヤリとゲスい顔をした。


「な、なんだよ?」


「秋穂が目当てでしょ?」


浅陽が杉崎哲哉に耳打ちした。


「なっ?!」


彼の顔が一瞬にして赤くなった。


「あんたも分かりやすいわね〜」


次の瞬間、杉崎は浅陽の腕を取って壁際まで連れていった。


「ちょっ?! なによ?」


「なんでそんなこと知ってんだよ? まさかお前、人の心が分かる術とか使ったんじゃないだろうな?」


それを聞いた浅陽は呆れて溜め息を吐いた。


「そんな術ないわよ。あったとしてもわざわざあんたの心なんて読まないって」


「じゃ、じゃあ何で分かったんだよ?」


「なんでって、見てれば分かるわよ」


「なっ?!」


「女の子ってね、そういう視線に敏感なんだから」


「じゃあ……」


「……ああ。大丈夫。秋穂は気づいてないよ、きっと」


「そっか」


杉崎は安堵の表情を浮かべた。


「でもある人の事をずっと見てるよ、あの子は」


「それって……」


「杉崎くぅ〜ん。そろそろ着替えないと遅刻にするわよ〜」


杉崎が顔を青くすると同時に羽衣からお呼びがかかった。


「す、すいません」


杉崎はそそくさとバックヤードへ入っていった。


「ダメよ、浅陽ちゃん。人の色恋をからかっちゃ」


浅陽は戻るなり羽衣に窘められた。


「別にからかったつもりはないですよ」


「それでも、少なくとも本人達は本気なんだから。それがたとえ叶わないとしてもね」


「ふ〜ん。そんなモンですかね」


浅陽はまだピンと来ないようだった。


「浅陽ちゃんだってそうでしょ? ほら、あの子。何ていったっけ? 不良っぽい……」


「マミヤツヨシ、だったかしら」


ミシェルがしれっと答えた。


「そうそう」


「だから何でそうなってんのよ! っていうか羽衣さん、誰からそんなこと聞いたんです?」


「それはほら、私は秘密工作班ですから。情報操作やその手の噂を集めるのはお手の物よ」


「言っときますけど、事実無根ですから」


「あらそう。残念」


そう言いつつも羽衣は楽しいそうに微笑んでいた。


「それにしてもさ、あの子何者なんだろうね」


「あの子? もしかして空から天使が抱えてきたっていう女の子の事?」


「はい。しかもその天使が【念晶具クリスタル・ギア】の中に消えたから、ひょっとしたらあの子の能力なのかなって思ったんですけど」


「【念晶具クリスタル・ギア】の中に……」


羽衣の表情は何か考え込んでいるようなモノに変わっていた。


「名前はたしか、〝ミナ〟と言っていたかしら」


「言っていたって、誰が?!」


いきなり強い関心を示した羽衣に二人は少し驚いた。


「……ユキトよ」


「優希人くんが?」


「はい。ハッキリとではないですけど、なんてゆうのかな……、あの女の子を見てその名前が浮かんできたみたいな? そんな風でしたよ」


浅陽はあの時の優希人を見て何となく思ったことを軽い気持ちで言ったつもりだったのだが、羽衣の顔は真剣そのものだった。


「羽衣さん……?」


「あ、そろそろ夕方の仕込みしなきゃ。優希人くんにお休みあげちゃったから色々やんないと」


まるで話を終わらせたいかのように、羽衣は急に態度を変えた。


「二人ともどうする? もう何か食べるなら作るけど」


「あたしはまだいいです」


「ワタシも」


「じゃあ、ごめんなさいね。仕事に戻るわ」


そう言って羽衣は奥に引っ込んでしまった。


「あれは何か知ってるわね」


「やっぱそう思う? どうする? 聞き出す?」


ミシェルは一瞬だけ考えて、


「やめときましょう。説明してくれると約束してくれているのだし、その日を待ちましょう」


と言って店から出ていった。


「あ、ちょっと待ってよ」


モヤモヤする気持ちを抑えて浅陽も『ミラージュ』を後にした。


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