十二月二十四日 木曜日④ エピローグ
『聖夜祭』。
それは久遠舘学院の源流である教会と孤児院の頃の伝統の名残りである。
にも拘わらず、校舎裏の森の中にある礼拝堂は去年までの長い間使われずに放置されていた。
しかし今年度に敬虔な銀髪の少女が入学してからはその面影を取り戻し、『聖夜祭』で数十年ぶりにその役割を全うすることとなった。
その『聖夜祭』の本部として使用されている生徒会室。普段一般の生徒が立ち入る事の少ないこの部屋は、この日に限っては聖夜祭実行委員が生徒会役員に混じって出入りしている。
その中で役員でも実行委員でもない人物が居座っている。
「大変そうですね」
浅陽は会長の机の傍に椅子を一脚寄せてそこに座っている。
「徹夜明けなのに申し訳ありませんね」
本部詰めの会長、迅水めぐりは穏やかな笑顔で言った。
「慣れてますから」
「若いですね」
「若いって、一つしか変わらないじゃないですか」
「私達の年代の一年はお年寄りの一年とは段違いの経験値があるそうですよ」
「はあ、分からないでもないですけど」
『聖夜祭』の真っ最中で忙しい筈なのに、他愛もない会話をしている二人の周りだけは静かな時が流れているようだった。
「それにしても悪魔ですか……」
そのめぐりの呟きは忙しさの為か誰かに聞かれたということもなかった。
「〝堕天使〟と呼ぶらしいですよ」
「堕天使、ですか。それを教えてくれたのが〝追放天使〟と言いましたか」
「はい」
浅陽が頷くと、めぐりは悩ましげに溜め息を吐く。
「そして空から天使と共に舞い降り、星の〝継承者〟として覚醒した輝星美那という名の異邦人。一体何が起きようとしているのかしらね」
「なにか、あとはもう何が来ても驚かないってくらいの豪華共演ですよね」
冗談混じりに浅陽が言う。
「そういえば〝彼〟はどうしてますか?」
「彼?」
「今回の件の中心人物とも言うべき、もう一人の異邦人ですよ」
「ああ、あの人なら……」
浅陽はその人物を思い浮かべながら窓の外を見た。
「『聖夜祭』に来てるんじゃないですか? 懐かしいって言ってたんで、たぶん向こうではウチに通ってたんじゃないですかね」
そう言って浅陽は壁に掛かった時計を見ると立ち上がった。
「そろそろ見廻りの交代の時間みたいなんで」
「はい。行ってらっしゃい。くれぐれもサボらないでくださいね」
「サボるほど退屈しないじゃないですか、この学院は」
そう苦笑しながら浅陽は生徒会室から出ていった。
優希人は校舎の屋上からフェンス越しに『聖夜祭』を見ていた。
「屋上が静かなのは、向こうもこっちも同じか」
『聖夜祭』の喧騒が曇り空に吸い込まれて遠くに聞こえる。
昨晩から降っていた雪は地面を薄っすらと白くして明け方には止んだ。だがまたいつ降り出してもおかしくない空模様だった。
と、屋上の扉が開く音がした。
「……来たか」
優希人は元々呼び出されて屋上に来ていた。そしてようやくその呼び出した相手が現れた。
肩で揃えられたゆるふわな栗毛の髪を揺らし、少女は優希人の前で止まった。
「……優希人さん。待ちましたか?」
少女は優希人を見上げた。
「全然。それにこの場所は意外と好きだったから、久々に来られてよかったよ、秋穂ちゃん」
岳中秋穂は少し顔を赤くして、緊張した様子で優希人の言葉に耳を傾けている。
「久々? 優希人さんウチのOBなんですか?」
「どちらかと言うと中退になっちゃうのかな」
「中退、ですか……?」
「どうしても辞めなくちゃならない理由があってね」
本当の事を話したところで混乱させるだけだと優希人はその理由をはぐらかした。
「それで、用件は何かな?」
クリスマスイヴに二人きりで会いたいなどと言われたら、それだけで用件は分かってしまいそうなものだ。
勿論優希人もそれは承知している。何しろ岳中秋穂という少女は優希人への好意を一切隠そうとはしなかったから。
彼女からしたら精一杯隠しているつもりなのだろうが、好意がだだ漏れなのは浅陽達が指摘した通り周りも認識している。
「えっと……」
秋穂は俯いてモジモジしながらも少し震えている。
優希人はジッと秋穂が話し始めるのを待った。やがて、秋穂は決意をしたのか顔を上げて優希人を見た。
「す、好きです、優希人さん! だから、私と付き合ってもらえませんか?」
屋上に響く大きな声で、そうハッキリと告白した。
「ありがとう、秋穂ちゃん」
精一杯の感謝を込めて優希人は微笑みかけた。
「じゃあ……!?」
「でもごめん」
「え……?」
「俺には好きな子が、大事な人がいるんだ。だから君とは付き合えない」
秋穂は一瞬何を言われたのか分からなかった。しかし雨が地面に染み込むように、ジワジワと彼女の心に沁みていく。
「あ……あ、はは。そうですよね。優希人さんみたいな人に彼女がいないわけないですよね」
明らかに強がっている秋穂。しかし心までは偽れない。
「あ、あれ?」
その頰を涙が伝っていく。
「お、かしいな。覚悟は、してた……のに」
やがてポロポロと泣き出した。
「ご、ごめんなさいっ」
ついに耐えられなくなって、秋穂は逃げ出すように屋上から出ていった。
「……女の子をフるっていうのは、下手すると戦いよりもシンドいかもしれないな」
モテる者の悩みというヤツだろうか、多くの同性を敵に回しそうなセリフを呟く優希人。
その優希人はふと、階段室の上を見た。
そこには、蝋燭の炎を思わせる赤い髪が風に揺れて見え隠れしている。
「そんな所で何してるんだ、浅陽?」
「っ!?」
やり過ごそうとしているのか、中々姿を現さない。
「お前の赤い髪が見えてるぞ」
やがて観念したのか、浅陽がのそりと立ち上がった。
「いやぁ、別に覗くつもりはなかったんですけど」
浅陽は乾いた笑みを浮かべると、ふわりと階段室の上からスカートが捲れないように器用に飛び降りた。
「器用に降りるもんだな」
「はい?」
何がですか、と浅陽はキョトンとしている。
「なんでもない。それで、覗くつもりはなかったんならなぜそんな所にいたんだ?」
優希人は階段室の上を指して言った。
「見廻りをしてたんですけど、」
「見廻り? ……ああ、生徒会の手伝いをしてるんだっけ」
いつだか店でそんなような事を話していたのを優希人は思い出した。
「はい。その途中で神妙な顔で屋上に上がってく秋穂を見たもんですから」
「それで気になって覗いてたと」
優希人は呆れて溜め息を吐く。
「これでも秋穂の親友ですから。それにしても、ハッキリとフりましたね」
「想いを真っ直ぐぶつけてくれたんだ、こっちも本音で誠心誠意応えるしかないだろう」
一瞬言葉を失った浅陽だが、すぐに人懐っこい笑みを浮かべた。優希人はその笑顔に懐かしさを覚えた。
「そういうこと言えちゃう男子は得点高いですよ。秋穂相手だと大抵の男子は狼狽えちゃいますから。さすが大人ですね」
「大人って言ってもお前とは四つしか変わらないじゃないか。でもまあ、その四年の差が俺達くらいだと顕著だからな。それに加えて俺やお前にはやるべき事がある」
「……はい」
浅陽は神妙に頷いた。
「それと」
「それと、なんですか?」
「俺の知ってる水薙浅陽はもう少し幼かったけど、見違える程に成長した。まあ厳密に言えば他人なんだが、やっぱり違う人間には思えない」
「……それは、きっと悠陽のおかげなんだと思います」
「悠陽の?」
浅陽は静かに頷いた。
「一緒に育った悠陽は死んじゃって、あたしの前に現れたあの黒い悠陽は、はじめのうちは違和感バリバリだったのに、戦っているうちに他人とは思えなくなっていって」
優希人は黙って浅陽の言葉に耳を傾けている。
「最後の最後で悠陽の本心を聞くことが出来て、あたしは前に進めるようになって、少しは成長出来たんだと思います」
「生まれた世界は違っても、やっぱりお前達は二人で一つなんだな。さしづめ比翼の鳥といったところか」
それを聞いた浅陽は目を丸くした後、噴き出すように笑い出した。
「あっはははっ……、比翼鳥って夫婦の鳥ですよ、穂村さん」
「そうだったっけ? でもまあ、それくらい結びつきの強い二人だって事を言いたかったんだよ」
「わかってます。ぷっ、ふふ……」
浅陽は笑いを堪え切れないようだった。
「少し笑い過ぎじゃないか?」
「だって、あはっ、あははっ、……可笑しすぎて涙出てきちゃいましたよ」
「浅陽……?」
浅陽は優希人の言葉が嬉し過ぎて涙が溢れ出してきたので、笑ってなんとか誤魔化そうとしていた。
それを察した優希人は気づかないフリをする。
「……どうやら、こっちの浅陽とも仲良くやっていけそうだな」
「はいっ! こちらこそ、よろしくお願いします、穂村さん!」
「じゃあ早速、その他人行儀な呼び方やめてくれないか?」
「え?」
「俺達はもう背中を預け合う仲間だろ」
浅陽はまた涙が溢れそうになるのをグッと堪えた。
「……はいっ、優希人さん」
浅陽は満面の笑みでそう応えた。




