十二月二十二日 火曜日②
優希人の頬を冷や汗が滴り落ちていく。
『この妖気。ヤツか……』
「ヤツってどっち? あの槍使いの方?」
『いや。私が傷を負わせた稲妻使いの方だ。それとマイムールのあれは槍ではなく矛だ』
槍と矛の違いは明確にされておらず、矛は槍の一種とする地域もある。あえて違いを挙げるとしたら形状と用途だろうか。
槍は先端の刃が細く鋭角で、〝刺す〟〝突く〟ことを目的としていて、主に集団戦術で用いられる。刃の根元の茎と呼ばれる部分を柄に挿し込んで固定している。
対して矛は幅広の鈍角の刃で、〝刺す〟〝突く〟に加えて〝斬る〟ことを前提に造られていて、歩兵や騎兵が片手で矛を持ち、もう片方で盾を持つなどして使用された。刃の根元の袋穂と呼ばれる部分を柄に被せて固定する方法をとっている。
『だが、あの稲妻使いーーーヤグルシ相手なら私が相手をするよりお前の方が相性はいい』
優希人の持つ〈凪薙〉は霊的なモノを、〈刃羽斬〉は炎や風そして稲妻など事象を断ち斬る。
「でもあのヤグルシとかいうのも〝熾天使〟級なんだよね?」
『そうだ。だが、お前もそれに近い〝力〟を秘めているんだぞ』
「俺が……?」
『〝熾天使〟の中でも段階があってな。お前の母親である優羽さんはその中でも最上位に君臨していた』
君臨というのが優希人の中ではイメージ出来ないでいた。彼にとって厳しい剣の師ではあったが、やはり優しい母親のイメージしかなかったからだ。
「ふぅぅぅぅぅぅぅぅ…………」
溜め息のような長い息吹が聞こえてきた。と、次の瞬間、クレーターから雷鳴と共に漆黒の翼が姿を現した。
『来るぞ!!』
「イマイチ実感わかないけど、やってみるッ!!」
優希人は羽根のチャームを握りしめた。
「ようやくのご到着か。僕を差し置いて少し遅すぎるんじゃないかな」
ノーブル・ロードは『ミラージュ』の入っているマンションの屋上にいた。
「それにしてもヤグルシだけ? マイムールは何をやっている?」
ふとノーブルの視界の端に白くはためく物があった。
「ん?」
すると、目と鼻の先にある久遠舘学院高等部の屋上の階段室の上に純白のローブを着て錫杖のような杖を手にしている人物が立っていて、自分が見ていた方角と同じ方を向いているのが目に入った。
「あの杖……どこかで……?」
その人物がチラリとノーブルの方を向いた。ローブからはみ出した紅い髪で顔立ちは見えなかったが、ニヤリと笑みを浮かべると、その純白のローブの人物は幻であったかのようにその場から忽然と姿を消した。
浅陽が目を開けると、辺りは土煙がもうもうと舞っていた。その土煙が突然、突風に見舞われたかのように掻き消された。
【念晶の輝き】本部建物の前庭には稲妻が穿った穴が六つと、大きなクレーターが一つ出来上がっていた。その周りの地面や敷地を囲む柵は帯電してバチバチと言っているのが浅陽の目に入ってきた。
浅陽からわずかに遅れてミシェルが目を開ける。既に優希人は二刀を構えていた。
「ーーーッ!?」
そこで浅陽とミシェルは異変に気づいた。強大な妖気にあてられて、金縛りにあったかのように指先一つ動かせなくなっていた。
唯一人優希人だけが動けるようで、一足飛びでヤグルシに立ち向かっていく。
跳躍した優希人の二振りの刃が、ヤグルシの広げた漆黒の雷翼を斬り裂く。
「うおっ?!」
浮力を失ったヤグルシがバランスを崩してクレーターの底へと落ちていく。筋骨隆々で動きの鈍そうなヤグルシだが、まるで猫のように音もなく着地した。
その前に優希人も着地した。ボクシングのリング程の空間に二人は対峙した。一七六センチと平均身長よりも少し高めの優希人だが、縦も横も倍近いヤグルシの前に立つと大人と子供のように見える。
「我が雷翼を斬り裂いたのは貴様か。小僧のくせにやりおる。だがーーーッ!!」
次の瞬間、ヤグルシの背中に雷翼が再び顕現した。
「そう上手くはいかないか」
そうなる事を覚悟していた優希人だが、いざアッサリ復活されるとさすがに辟易した。
『あれを斬り裂いただけでも上出来だ』
「でも通用するってのが分かっただけ十分だ」
「何をブツブツ言っている。我が翼を傷つける者に久方ぶりに出逢ったのだ。もっと俺を楽しませ……、ん? 小僧、お前どこかで……?」
訝しげに優希人を見るヤグルシだが、思い出せないようだった。かつて〝両者〟が相対した時は凌牙しか目に入っていなかったようだ。
「まあいい」
厳つい顔で無邪気に笑うと、ヤグルシは右手を高く掲げた。するとその手に稲妻が落ちてきて、それを無造作に掴んだ。
「少々痺れるが、それだけで朽ちてくれるなよ?」
そのままヤグルシは優希人に向かって稲妻を振り下ろす。バリバリバリッと空気を乱雑に引き裂いたかのような轟音をさせて稲妻が優希人に襲いかかる。
だが、優希人が右手の〈刃羽斬〉を振るうと、稲妻は跡形もなく霧散した。
「……ほう。面白いモノを持っているな」
楽しそうに口の端を吊り上げると、今度は掌を放電させた。やがてそれは一振りの剣となった。そしてその剣を大振りに薙いだ。
優希人が左手の〈凪薙〉でそれを受けると、ヤグルシの剣は砕け散った。
「こいつもダメか。面白いが少々厄介だな」
しかしその顔は楽しそうに歪んでいた。
「ーーーッ?!」
〈刃羽斬〉と〈凪薙〉が通用すると分かった優希人だが、背中を冷たいモノが伝う。得体の知れない不気味さがヤグルシから伝わってくるのを感じていた。
そのヤグルシが再び高く手を掲げた。するとまた稲妻がその手に落ちた。だが今度は一度だけではなかった。何発もの稲妻が落ち、凝縮されていく。
「ふふふ……」
ヤグルシは楽しさを堪え切れないよう笑みを浮かべている。
「何発分溜めようと無駄だ。それが稲妻である限り俺には通用しない」
「稲妻であったらであろう?」
余裕を見せるヤグルシ。優希人の全身を戦慄が駆け巡り、ヤグルシが稲妻を溜め終える前に仕掛けた。刹那、大男の口の端が釣り上がるのが見えた。
「くッーーー!」
攻撃の気配を感じ取った優希人は振り下ろされる凝縮された稲妻を受ける為に〈刃羽斬〉を頭上に構えた。
「ーーーッ!?」
優希人は背筋が本当に凍りついたかのような錯覚を起こす程ゾクリとした。
「まったく。情けない……」
金縛り状態で動けない浅陽の口が突如言葉を紡いだ。それはつい最近、浅陽の中(?)に現れた謎の人物だった。
「たしかにとんでもない妖気だが、それに怯んでどうする。それでも水薙の後継者か?」
「(あたしは別に怯んでなんか……)」
「気づいてないだけだ。まだまだ未熟だな。だがこういった窮地こそ成長する好機。死中に活を求めよ」
「……ピンチの時こそ、チャンスと、いうわけ、ね」
ミシェルがようやくといった風に口にした。
「どんな強大な敵であろうと、敢然と立ち向かっていくのが〝我ら〟魔を退ける者の宿命」
「……ワタシには、やらなくてはならないことがある。だからーーーッ!」
ギギギと軋む音が聞こえてそうな程ゆっくりとミシェルは杖を掲げた。
「解……放!」
ミシェルの周りの気温が急激に下がる。すると忽ちの内に彼女の全身が氷に包まれ、やがてそれは極光を放つ。そしてミシェルの衣装が足元から再構成される。
黒タイツに包まれた脚の先には、ソールの厚い純白のロリータブーツ。深い蒼のフィッシュテールスカートの内側はオーロラのような輝きを放っている。
胸の前が大きくレースアップになった深い蒼のチューブトップドレスの上にフード付きの漆黒のマントを翻し、杖を持つ両腕には純白のガントレット。
腰の後ろ側に携えた氷の星短剣〈ニヴルヘイム〉の覚醒装束である〈オーロラ・ボレアリス〉を身に纏っていた。
「先にいくわよ」
ミシェルは再び杖に横乗りになって飛び立っていった。
『彼女は何か相当なモノを抱えているようだな』
「ミシェルも何か……?」
『お前は自分の事が解決して気でも緩んでいるのではないのか?』
「あたしはまだ、解決したなんて思ってない」
実際黒仮面に関する事件は何一つ明らかになっていないのは事実だった。
『ならどうする? なんなら〝また〟手伝ってやろうか?』
「いらない! あたしにだって……、あたしだって、悠陽に言ってやりたいことがたくさんあるんだからッ!!」
どうにか動こうと浅陽は全身に力を込める。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!!」
浅陽の右手がゆっくりと顔の高さまで上がってきた。そして、
「五芒の扉 五星の交叉ーーー、
星が導く四獣五皇ーーー」
その右手ての前に五芒星が現れ、浅陽の人差し指がそれをなぞる。
「暁告げる鐘の声 赤烏となって舞い上がれーーー、
羽撃け 火翼剣舞ーーーッ!!」
五芒星から炎が巻き起こり浅陽を包み込む。
「唸れッ!! 焔結ッ!!!」
炎が足元から収束して浅陽の覚醒装束を形成していく。引き締まったカモシカの様な美しい脚に脛当ての付いた純白のロングブーツが、制服のスカートは裾が炎と一体となったパレオの様な真紅のスカートへと変化した。
巫女装束の白衣の代わりを果たす〈巫羽織〉の袖を炎が襷掛けに纏め上げ、その炎はそのまま紅い襷となり、露わになった両腕には両脚同様の純白の籠手が形成され〈巫羽織・焔舞〉が顕現した。
最後に左側の腰に鞘に収まった〈焔結〉が顕現し、浅陽がそれを抜き放つ。
「いくわよッ!!」
浅陽は思い切り跳んだ。
それは剣士としての優希人の直感か、はたまた偉大な母から受け継いだ血のせいか。
「(これはーーーッ!?)」
頭上に迫る巨大な稲妻の刃を受けるのに、優希人は咄嗟に〈刃羽斬〉に加えて〈凪薙〉を交叉させるように構えた。
稲妻は二振りの剣のお陰で掻き消えた。しかし凄まじい衝撃が優希人を襲った。
「ぐぅッーーー!!!」
クレーターの底にいた優希人の足元が更に陥没した。それ程の衝撃。
「ほう」
ヤグルシはこれ以上ない獲物を見つけたようにその瞳を輝かせた。
「むっ?!」
飛来物を察知したヤグルシは、稲妻の下から現れた巨大な剣を軽々と振り回した。飛来した物はそれで粉々に砕け散った。
優希人はその隙にヤグルシから間合いをとった。
「誰だ? 俺の楽しい時間を邪魔するのは?」
虚空を睨むヤグルシ。その先に浮かぶ物があった。
「そんなに楽しいのなら、ワタシも混ぜてもらえないかしら?」
ヤグルシの持つ巨大な剣よりも大きな氷柱が、宙に浮かぶミシェル・J・リンクスの周りに三つ出現した。
「貴様、〝あの時〟のーーー!?」
「いつの事かは知らないけれど、ワタシはお前に遭うのは初めてよ」
そう言うと三つある氷柱の内の一つを放った。
「むんッ!!」
ヤグルシがその巨大な剣を振るうと、氷柱は粉々に砕け散ってダイヤモンドダストのようにキラキラ舞った。
「この程度、造作ない」
「ではこれならどうかしら?」
今度は残る二つの氷柱を同時にミシェルが放つ。
「一個が二個に増えたところで……」
一発目と同じように容易く薙ぎ払うヤグルシ。だがーーー、
「どぉりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
氷柱の影に隠れていた、白衣と炎を纏った少女の一閃への反応が一瞬遅れた。
本来なら、ヤグルシをはじめとする魔に属するモノの上位種である〝悪魔達〟が只の人間に後れを取る事はない。実際ヤグルシは優希人相手に本気を一切出してはいない。
〝三次元〟の住人ではない〝悪魔達〟は〝三次元〟に存在しているものの、それは仮の身体に過ぎない。つまり一切の物理攻撃は無駄に終わる。
たが只の人間ではない、特に〝星の欠片〟に選ばれた〝継承者〟なら〝悪魔達〟を傷つける事が出来る。
かと言って反応が遅れたヤグルシが、そうやすやすと浅陽の一閃を受けてくれる訳もなかった。浅陽達に見せた一瞬の隙は、この男にとっては大したモノではなかった。その一瞬があれば避けるどころか反撃することも容易だった。
『させると思うか?』
突如、そこへ声が響いた。
「この声……! サタンか?!」
ヤグルシに更なる一瞬の隙が出来た。その隙を優希人は見逃さなかった。
加えて言うと、穂村優希人も只の人間ではない。人間と天使の間に生まれ混血児で、天使である母の血と教えを濃く受け継いでいる。
ヤグルシが優希人の二刃を大剣で受ける。そこへ浅陽の一閃が決まった。
「ぐぅッ……!!」
ヤグルシが膝を着き、浅陽と優希人はすぐさま間合を取った。
「おのれ……サタンめ」
のっそりとヤグルシが立ち上がる。
「あいつにつけられた傷がまだ癒えぬ。次に相見えた時には必ずや返り討ちにしてやろうと思っていた!」
周りを見回すヤグルシ。だがその姿を見つけられずにいた。
「誰を探しているんだい、ヤグルシ?」
まるで空から響くような声が降ってきた。
「ッ!!?」
その場にいた全員が頭上を見上げる。すると全身漆黒尽くめの男が浮かんでいた。その手には一人の少女が抱えられていた。
「美那ーーーッ!!?」
「数日見ない間に随分と雰囲気が変わったね。いや、戻ったと言うべきなのかな。何か思い出したのかい?」
「美那を返せッ!」
優希人が跳び上がる。しかし、漆黒の翼で飛ぶヤグルシの大剣に叩き落とされた。
「先程までと同一人物とは思えぬ程取り乱しているな。余程この人間の事が大事と見える」
ヤグルシは少し興醒めしたような目で優希人を見下ろした。
「ヤグルシ」
「はっ!」
ヤグルシは空中で器用に跪いた。
「彼はこれから同志になる大事な人材なんだ。だから遊び過ぎるないでほしいな。でないと君は殺してしまう」
「同志、でございますか?」
「彼は〝忌み児〟だからね」
「〝忌み児〟……」
ヤグルシは再び優希人を見下ろした。
「もしや、あの時の……? ……ん?」
そして浅陽を見た。
「あの赤毛の人間の少女は……!?」
「そうだよ。〝ここ〟はそういう面白い世界らしい」
「なるほど」
ヤグルシは口の端を吊り上げてニヤリとした。
「楽しみはとっておいた方がいいんじゃないかな」
「仰せのままに」
「ところでマイムールはどうしたのかな?」
「私にも分かりませぬ」
〝俺〟を〝私〟と改めてヤグルシは答えた。
「〝狭間〟がいつもより荒れているのかいつの間にやら姿が見えなくなっておりました」
「〝狭間〟がいつもより荒れていた?」
「はい」
ふと、漆黒尽くめの男ーーーノーブル・ロードは先程見た錫杖のような杖を持った純白のローブを纏った人物を思い出した。
「まさか、アイツは……?」
「主?」
「いや、何でもない」
ノーブルは首を横に振った。
「いずれにしろ、マイムールもおいおい到着するだろうさ」
そう言い残してノーブルは姿を消した。ヤグルシも地上を一瞥してから姿を消した。
ヤグルシに叩き落とされた優希人は、地上に衝突する寸前に凌牙の翼によってその勢いを相殺されて地上へと降り立った。
「穂村さんッ!」
降り立ち膝をついた優希人に浅陽が駆け寄る。
「だ、大丈夫」
「あの大男は何者? ユキトは知っているようだけど……」
ミシェルも傍にやって来て訊ねた。
「俺も詳しくは知らない。ただアイツは俺達の世界で水薙家を襲った連中だってことだ」
「あいつらが〝あっち〟のあたしを……!?」
浅陽がノーブル達の消えた辺りの空中を見上げた。
「くそっ、美那が攫われるなんて……」
「その彼女は何か特別な〝力〟の持ち主なのかしら?」
「あいつはただの【念晶者】だ。光の肉体強化系だけど。ああ見えて強いんだぜ」
優希人は少し誇らしげに言った。
「じゃあ彼女は別に天使をーーールージュ様を召喚していたわけではなくアナタと同じように身体の中におられるということなのかしら」
「多分そうだと思う」
優希人は立ち上がり歩き出す。
「穂村さん、どこに行くんですか?」
「勿論、美那を取り返しに行く」
その場から去ろうとする優希人の前に立ち塞がる人物がいた。
「あてはあるのか?」
「梨遠姉ちゃん? どうしてここに?」
「一応私はこいつらの上官だからな。現場に現れるのは当然の事だ。それよりも〝ゆきく……〟、キミはどこへ行こうしていた?」
「それは……」
「あても無く探し回ろうだなんて考え無しにも程がある」
「……ッ」
優希人は言葉を詰まらせた。
「しかしまあ、生まれた世界が違っても〝ゆきくん〟は〝ゆきくん〟なんだな」
梨遠は少しだけ嬉しそうに呟いた。
「梨遠姉ちゃん?」
「いや、なんでもない。ただ、連中の塒を探すのにいい手があるのでな」
〝彼ら〟を本当に可愛がっていた梨遠。それだけに頰が緩みそうになっていたが、気持ちを引き締めて言った。
「いい手、ですか?」
浅陽が訊ねる。
「羽衣が面白いモノを手に入れたようだ」




