汚部屋
私は几帳面だ。いや、几帳面ではない。これが普通だ。私は普通になりたいだけなのだ。私はテーブルの上のハンケチの端が少し折れている事さえ気になって仕方がない。重症?これが普通なのだ。私はそう思う。誰よりも普通でありたいから。人として、当たり前でしょう?
それに比べ私の息子の部屋は汚い。息子は今年で大学生だ。汚いのはおそらく、私に掃除してもらえると思っているからだろう。脱ぎ捨てた服や菓子の袋の他にも、たまに丸まったティッシュが散らばっている。鼻をかんだものではないだろう。おそらく精液を拭ったものだ。私の息子は精液の入れ物か。ああ汚い。
ある日私は息子に言ってやった。アンタがパソコンでエッチなビデオを見ながらセンズリこいてるのは知ってる、って。そしたら息子は笑い出した。笑いながら部屋に閉じこもった。ショックがそうした?だとしたらざまあみろだ。でも、息子は本当は狂ってしまっている?私は一人寂しく泣いた。
私は掃除せざるを得ない。なぜ?部屋が汚いからに決まっているでしょう。夫や息子に部屋を掃除しろ、と言っても5回に1回くらいしか掃除しない。ああイヤダイヤダ。何故汚いのに耐えられるの?私は理解できない。神様、なぜ夫と息子は間違っているのでしょうか。
だから私は地獄のような息子の部屋も掃除する。一ヶ月に一度は掃除する。普通になって欲しいから。でも普通にはならない。息子はおかしいのだ。私は――おそらく精液を拭いたティッシュが詰め込まれた――ビニール袋をどけた。床のカーペットにカップ一個分くらいの丸く茶色いシミ、その真ん中に粘土の塊のようなものが落ちていた。私は<粘土の塊>をつまみ上げた。近づけてよく見るとそれは粘土ではなく、肉の塊であることが分かった。そしてそれは人間の耳の縦半分にそっくりだった。
もしやと思い、さっきのビニール袋を開封する。精液特有の<栗の花の匂い>がしない。丸まったティッシュの奥を探る。ネチョっとした液体の感覚。その奥に柔らかい球体らしきもの。ティッシュの中から引き上げてみると、それは血まみれの目玉だった。さっきのが人間の耳だったとしたら、これは人間の目玉だ。
急に吐き気が込みあげてきた。こんな急な吐き気はつわりの時以来だ。トイレの便器に胃の中のものをゲエゲエと吐き出す。吐き出しながら泣いた。あの子は遂に、遂に悪魔になってしまったと。ゲエゲエ吐いた。
ガチャ、ドアが開く音がした。「ただいま」と声が聞こえる。悪魔の声だ。私は咄嗟にバスルームへと走った。私はシャンプーの隣に置いてある包丁を手に取り、またバスルームから飛び出る。帰ってきたばかりの息子に包丁を向ける。自分でも驚くほどの勢いで、やつの喉仏に包丁を突き刺した。そして引き抜く。
目がくらむほど真っ赤な血が傷口から水道水のように流れ出る。悪魔が死んでいく。息子も死んでいく。息子は白目になり、そのまま力なくフローリングに倒れた。数回、痙攣した。そして動かなくなった。
息子の大学から電話がかかってきた時は「インフルエンザにかかった」と言って誤魔化した。夫はしょうがないので殺した。息子も夫もバスルームで綺麗に<掃除>したから、この家を誰かが調べない限り見つかることはない。夫の会社には「主人は鬱になった」と言っておいた。電話の向こうの会社の人間がうるさく聞いてきたので面倒くさくなって少し怒号を挙げてしまったのが心配だ。だが、まあ大丈夫だろう。しかし玄関のチャイムは鳴った。
嫌な予感は的中した。刑事二人と警官一人。血の気が引いた。
「すんませんね、ちょっと聞きたいことがあるんですが。」逮捕状は持ってないと見た。すぐ捕まるわけではない。私は<普通>の主婦を装う。
「はあ・・・何でしょうか」
「ちょうど一週間前の4月の2日の3時頃、何をしていたか覚えていますか?」
「一週間・・・あーちょうどドラマを見ていたと思います。」
「番組名は?」
「火曜サスペンスですけど。」
「そのドラマの、ストーリーや登場人物の名前、など覚えていることはありますか?」
私は記憶を探った。ストーリーはうまく出てこない。刑事はメモを取る。
「ストーリーはあまり覚えていません・・・。あ、森の中を逃げまわる少女を追いかけて、包丁で何度も刺す場面は覚えています・・・。その死体を家に持ち帰り、死姦して、そのあと解体していました。犯人は連続レイプ魔だったと思います・・・。被害者の名前は・・・」嫌な予感がした。
「被害者の名前は?」
「藤崎ミカちゃんだったと、思います。」
刑事二人は目を合わせた。沈黙が訪れる。警官は何が起こっているのか分からないようだった。一人の刑事が無精髭を指で触りながら言った。
「とりあえず、署まで来てくれる?」
ある家庭、テレビのニュースが流れている。アナウンサーが原稿を読む。
「昨日未明、○○県△△市に住む主婦、八木沢祥子容疑者(48歳)が殺人と死体遺棄の容疑で逮捕されました。殺された被害者は近所に住んでいた藤崎美香さん(17歳)、八木沢容疑者の息子である八木沢健二さん(18歳)、八木沢容疑者の夫の八木沢克己さん(46歳)です。警察は尚も死体の捜索を続けています。」
テレビを見ながらありえなさそうな顔で母親が言う。
「怖いわあ」
この小説はTOKYO MXで放送中の番組"ニッポンダンディ"にて、映画ライター、デザイナー、脚本家である高橋ヨシキ氏が話していた、映画「エクソシスト」を見た母親が自分の息子を悪魔だと思って殺した、という話。そして大学の授業で聞いた「都市伝説」の話に基づいている。
その「都市伝説」の話というのは"都市伝説は人々の期待から生まれる"というものだ。例えば近所にいつも黒いパーカーを着ている怪しい兄ちゃんがいたとする。しかしその人は本当は逮捕歴もないただの善良な兄ちゃん。周りの住民は”何かを起こしそうな兄ちゃん”が何も起こさないことによっていっそう不安が強まる。そして住人たちは”うわさ”をし始める。「あの男は17人以上犯して殺した強姦殺人鬼である」とか「あの男は10歳くらいの時に姉を殺して精神病院に入っていて、出てきたばっかりだ」とか・・・。
それが都市伝説となるのだ。人々はそういった都市伝説を聞くと怯えると同時に、安心する。何故なら分からないものが分かるようになった気がするからだ。
宗教もそうだ。この世の仕組みはよく分からない。しかし宗教が全て説明してくれる。すると人々は安心する。
そしてお話というのも都市伝説のようなもので、この世を説明してくれる快楽がある。多分この話も・・・。できてりゃいいんだけど(笑)
あと死体を風呂場で処理しているというアイデアは「愛犬家連続殺人事件」を元にした映画「冷たい熱帯魚(高橋ヨシキ氏共同脚本)」「ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う」に影響されています。