第一章 :“刃の嵐”、激昂す
これより第二部の開始となります。
そこは大陸西方域……その中央部に林立する都市国家の一つである“傭兵都市”マルセリア……一角にあるとある酒場である。
そこは雑多な喧騒に包まれたありふれた酒場の一つであった。そこに屯するのは、都市の異名となった都市を拠点とする幾つかの傭兵団に所属する傭兵達であった。
傭兵達は、今日のこの日を終えられたことを喜び、明日の飯の種を得る為に、様々な言葉が交わされていた。
そうして交わされる会話の中に、“虹の一族”が俎上に上がる。
「聞いたか?……あの“魔槍士”が今度婚約したらしいぞ……」
「“魔槍士”というと……あのセオミギアの……?」
「そうそう……その二代目がさ……」
したり顔で語る男の話に、周囲からは素っ頓狂な声が上がる。
「ヒェーッ!
俺は一度戦場でアイツを見た事あるけどよ……よく婚約する気になったな、その娘も……」
「何言ってるんだよ!婚約相手は男だって話だぜ……」
「男ぉ~?……そいつは余計に相手の野郎の気が知れねぇや……」
「そうだよな、奴は彼の“マルセリア傭兵騎士団”の戦士を手玉に取れる数少ない戦士だ……並の男じゃ相手にもならないよな……」
最後に呟いた傭兵の言葉に、会話に参加していた一同からは同意の頷きなどが返され、直後に談笑が沸き上がった。
そんな談笑を叩き潰す様な怒号が酒場に響き渡る。
「何ぃぃぃ~!……かの、麗しき、レイン嬢が……婚約だとぉぉぉ~~!」
先程まで卓を囲んで噂を肴に談笑していた傭兵達は突如響いた怒号に、その声の方へと首を巡らす。その先には、鬼気迫る形相でこちらへと歩み寄る巨漢の姿が目に映った。
その余りにも鬼気迫る様相に、逃げるべきか否か戸惑う一同の許へと巨漢は辿り着くと、手近にいた傭兵の一人の胸倉をむんずと掴んで凄む様に言葉を紡いだ。
「お前達!……詳しい話を、聞かせてもらうぞ……」
その凄味のある野太い声音には、彼等――傭兵達を震え上がらせるだけのただならぬ鬼気が宿っていることが感じられた。それと同時に、この巨漢より逃れる機会を逸したのだと察せられた。
巨漢の男の威圧に曝されながら、傭兵達は先程話していた“噂”の知りうる限りの情報を説明させられる破目となったのだった。
こうして、この物語の第二幕が始まることとなる。
* * *
さて、所は変わって……同じく大陸西方域の北方域有数の都市――“神殿都市”セオミギア……その中心たる“知識神”ナエレアナ女神を奉ずる“セオミギア大神殿”の書院の区画へと舞台は移る。
書院の世界史編纂が行われている一室で、年若い神官一人が両手を上げて大きく伸びをしていた。
「ん~ん……さてと、一段落したし、なぁラティ……っ!」
伸びをしたのは書院長付神官の一人――ファーラン=ザントアと言う青年であった。彼はいつもの通りに隣に座る旧友へと声をかけようと振り向いて絶句する。何故なら、そこには見慣れぬ美人が座っているのだから……
そんな彼の狼狽に気付かぬ様子で、その美人は彼の方へと顔を向ける。そして、微かに煌めく“虹色”の瞳で彼を見詰めて言葉を返した。
「……?……どうした、ファーラン?」
その美人が旧友でもある同僚――ラティル=ウィフェルその人であることを、彼は数瞬の間を置いて思い出す。しかし、女性の姿へと変じた彼女へどの様に接したら良いのかに戸惑いを覚えずにはおれなかった。
とは言え、気を取り直したファーランはややぎこちなさが残る口調ながら、途切れさせた言葉の続きを紡ぎ出す。
「……いや、そろそろ、昼飯でも食いに行かないか……と思ってな」
「……え?……もうそんなに経ってた?……ちょっと待ってて……」
彼の台詞に、対面する彼女は、その“虹色”の瞳を一瞬丸く見開いて周囲を見回す。周囲では既に昼食の準備に席を整理し始める神官達の姿がちらほらと見受けられた。
書類仕事に集中する余り、ラティルは時が経つのを忘れていたらしい。
そんな彼女は、改めて今手にしている書類に視線を落とし、それへと素早い手付きで筆を走らす。そして、一通り書類の内容を確認してから、その書類を処理済みの書類束と纏める。
「……これでおしまい!……ファーラン、ちょっとお願いがあるんだけど……」
「?……なんだい……?」
女性化して若干小柄になったラティルの上目使いでの懇願を目にして、待っていたファーランは、これで頼みを聞かない奴は男じゃない……等と詰まらないことが脳裏に過っていた。
そんな彼の様子に気付いた気配も見せることなく、ラティルは言葉を続けた。
「ここと、そこと……おそこに積んである書籍を、“大書庫”へ返すのを手伝ってくれません……?
もう使い終えたので、“大書庫”へ返却したいんですけど……重くて運べなくて……」
そう言って彼女が指差したのは、彼女――ラティルの机に山と積まれた資料のほぼ全てとなる十数冊の書籍だった。
それら十数冊の書籍を二人して抱えて部屋を出ることになった。ちなみにその十数冊の大半をファーランが抱える結果となったのは、女性化したラティルの腕力が極端に低下した所為だと言える。
そんな彼女の姿を横目に見ながら、ファーランは運んでいる書籍のことに思いを巡らす。
これらの書籍は、本来ならラティルが今日一日で仕上げる予定の作業全体に必要な史料だった筈なのだ。それが真昼時――半日分の作業を終えた時点で必要なくなった意味を考えて、仕事の速さに舌を巻く思いだった。