第八章:“山脈の泉”亭での告白
そこは“山脈の泉”亭の一階……冒険者と呼ばれる者達の休息と情報交換の場となる“冒険者の店”とも称される酒場の区画である。
この日も普段の如く、多くの人々で賑わうこの酒場の一角に、彼の人物――レイン=コアトリアはやって来ていた。
「「「ハハハハハハッ……」」」
「…………」
談笑する同僚の騎士・従士達の中にあって、彼等と余り言葉を交わすこともなく、レインは不機嫌そうな面持ちで黙々と酒を口にしていた。
彼女の不機嫌の原因に、ラティルが関わっていた。何故なら、ここ数日に渡って彼女はラティルの姿を見ていなかったからだ。
それは、此処――“山脈の泉”亭に顔を出していないと言うだけでなく、大神殿を訪ねることがあっても、父である書院長の用事で席を外しているとの回答が返って来るのみであった。そして、父――ティアスにラティルの所在を問いかけても、答えをはぐらかされて確たることは一切教えられることはなかった。
そんな日々が続き、レインの機嫌もそろそろ限界に到達しそうになっていたのだった。
ここ数日のレインが不機嫌になっていることは、同僚の騎士達も充分承知しており、下手に刺激をしない様に気を使っていた。何と言っても、彼女――レイン=コアトリアは自身が所属する十番隊隊士の誰も敵うことは出来ないのだ。下手に怒らせて暴れ出されたら、誰も止められない可能性が高いのだ。
そうした事情もあって、この酒場に来たのも、ある程度の気晴らしとなることを期待してのことであった。そんな一見すれば愉しげでありながら、若干の緊張を孕んだ酒席は続いていた。
そんな中で、酒場の喧騒に変化が生じた。それは波紋が拡がる様に、ある一点を中心に喧騒が静寂へと移り変わって行ったのだ。その変化に、何事かと騎士達の中の数人が変化の中心へと首を巡らせ、次の瞬間には言葉を忘れて只々一点を凝視して硬まることとなった。
彼らが見詰める先にいたのは、清楚な純白の衣装を纏った美女がゆっくりとこちらに向けて歩を進めてやって来る情景であった。静々と歩を進める何処か清浄な雰囲気を纏う女性の姿は、薄汚れ雑然とした感のある酒場の中にあるには、余りにも不似合いな情景と言わざるを得ないものであった。
その時、レインは酒杯に視線を落として物思いに耽っていたこともあって、酒場の中で生じた変化に気付くのが遅れることとなった。そんな彼女がこの変化に気付いた頃には、喧騒の中に生じた静寂の波紋が酒場全体へと拡がりきっていた。
不意に生じた静寂に、不審に思った彼女は顔を上げた。
「……?…………なっ……!」
そうして顔を上げた彼女は、驚きに絶句することとなった。何故なら、彼女の眼前に純白の衣装を纏った見知らぬ女性が立っていたのだ。
彼女――レインは母譲りの見目麗しい容姿の所為で男女問わず声をかけられることは多い。
だが、眼前の彼女が纏う雰囲気は、そうした者達のものとは似て非なるものに感じられた。それに加えて、この場に似合わない女性が突如として眼前に立っており、そんな自身と女性に衆目が集中していると言う事態に怯まずにはおれなかった。
一方で、レインが顔を上げる頃には、初期に女性の姿を目撃した者達が衝撃から立ち直り、平生の酒場の雰囲気に戻り始めていた。そうして我に返った者達は、件の美女が何者なのかと詮索する会話を交わし始める。
「お前、知ってるか……?」
「いや、知らねえ……アンタはどうだい?」
「残念ながら、知りませんね……でも、何処かで会った気がしませんか……?」
「「……?…………そう言えば……」」
そんな会話がそこかしこで囁かれる中で、件の彼女が口を開いた。
「……レインさん……」
その呟く様に紡がれた言葉を耳にして、レインは既視感を覚えた。そして、既視感の正体に気付いた彼女から驚きの声が漏れた。
「……もしかして……お前は……ラティル……なのか?」
彼女と同様の既視感を覚えていた幾人かの者達は、彼女が漏らした呟きを耳にして得心の表情を浮かべる。
そうした者達の中で、レインが逸早く件の女性の正体に気付けたのは、件の女性――ラティルとの付き合いの長さに加えて、父であるティアスの変幻自在な姿を見慣れていたからなのかも知れない。
ともあれ、驚きで目を見開き絶句するレインの目の前で、件の女性――“女性体”のラティル=ウィフェルは静かに頷きを返すことで、レインの問いかけを肯定した。
「「「……な……!」」」
「「「……やはり……!」」」
「「「……どう言うことだ……?」」」
その返答を目にして、途端に酒場全体が騒然としたものへと変化する。何と言っても、ラティルはこの“山脈の泉”亭の常連の一人であり、この場にいる者達は少なからず彼のことを見知っていたのだ。そんな彼の変貌振りに驚愕や困惑と言った感情を抱くなと言う方が無理な話と言えよう。
しかし、そんな騒然とした空気も、ラティルがレインに向けて言葉を紡ぎ始めた所で、水を打った様に静まり返って行った。
「……レインさん、聞いて頂きたいことが、あります……」
何処か思い詰めた雰囲気で紡がれた言葉に、対面するレインの顔に若干の憂いを含んだ緊張の色が帯び始める。
「……な、何だ?」
そんな張り詰めた空気が漂い出す中、小さく唾を飲む様な仕草を見せたラティルより決然として一つの言葉が紡ぎ出される。
「……私は……私は、貴女が好きです……!」
「………………」
その言葉を聞き、レインの表情は、まず憂いの色から困惑の色に変じ、数拍の間をかけて驚きと歓喜に溢れたものへと移り変わって行った。そんな彼女を、“虹色”の瞳で真摯に見詰めるラティルより、次なる言葉が紡がれた。
「どうか……どうか、私と結婚して、頂けませんか……?」
突然に始まったこの求婚劇に、その場にいた一同が固唾をのんで見守る中、“虹色”の髪を持つ騎士は、昂る心から頬を紅潮させつつも、囁く様な声で返答の言葉を紡ぎ上げる。
「……あぁ……あぁ、構わない……構わないよ」
その返答を耳にしたラティルは感極まったのか、その“虹色”の瞳を潤ませて俯き加減に微笑むレインを掻き抱いた。
そんな二人のやり取りを、黙して見詰めていた酒場の客達も、抱き合う二人の姿を目にして、口々に祝福とからかいが入り混ぜになった喚声を上げ始める。
周囲から自分達へとそんな喚声が投げかけられるに至って、ラティルはここが多くの人々が集う酒場のど真ん中であることに気付き、羞恥の余り顔どころか全身を真っ赤にして俯いてしまった。今の今迄、レインへの告白の為に極度の緊張状態にあり、周囲の状況がすっかり目に入っていなかったらしく、ラティルは先程までの行動を思い返して、恥ずかしさの余り煩悶とした思いに苛まれそうになる。
そんな彼女を“虹髪”の騎士――レインが叱咤する様に、或いは励ます様に抱き返した。
その晩の“山脈の泉”亭では、この二人――ラティルとレインを祝福する声が夜半まで続くことになる。
* * *
「……上手くいったみたいだね、あの二人……」
一時の静寂から普段のそれに戻った階下の喧騒を耳にしながら、メルテスが呟きを漏らす。
「そうですね……まだ、幾らかややこしい手続きは残っていますけど……」
「何、大丈夫だろう。それくらい……」
息子の呟きに、ティアスとセイシアより言葉が返される。三人の声音には、レインとラティルの仲が進展したことへの喜びに溢れていた。そして、彼等の背後の虚空に立つ二柱の聖霊もまた同様の微笑みを浮かべていた。
「「「……おめでとう、二人とも……」」」
『『……おめでとう……』』
階下で次々と上がる二人への祝福の言葉に合わせて、三人の親子と二柱の聖霊は密かに祝福の言葉を贈った。
† * †
そこは薄暗い広大な空間――岩肌に囲まれた巨大な半球状の空間……その床の片隅に一組の机と椅子が置かれている。
その椅子に腰かけ、机の上に置かれた水晶球に目を落とす人物があった。その人物は、水晶球に映る家族の姿を目にして微笑を浮かべる。
その人物とは、幾分古風で荘厳さを感じさせる神官服を身に纏い、その容貌は“セオミギア大神殿”の当代書院長と瓜二つにして、その髪は“虹色”に煌めき、その瞳は蛇の如き――或いは竜の如き針の様な細い瞳孔を宿す金色に輝いていた。
その人物は、その風貌から一つの異名が奉られていた。その異名とは“虹髪の賢者”と言った。
そこに空間の一隅にあった出入口の一つより、一人の老人が入って来た。
筋張った細い両腕は鳥の脚に似た鱗で覆われており、その耳は幾分くすんだ色合いの羽に包まれた鳥の翼に似た形状をしていた。それらの特徴は、彼の老人がトート族と称される亜人であることを示していた。
トート族の老人は、“虹髪”の人物に向けて恭しい礼をして見せた後、彼の人物へと言葉を紡いだ。
「“聖蛇”エルコアトル様、先程記された書は、書庫の方へと移させて頂きました」
その声に“虹髪の賢者”――エルコアトルは老人の方へと首を巡らす。
「……御苦労……」
低く響くその声を聴き、老人は再度深く頭を垂れた後、その広大な空間より辞したのだった。
退室する老人――トート族の長老を暫し見送った後、彼の人物は再び水晶球が映す情景――“愛し子”の娘が求婚を受ける場面を目にして、僅かにその顔を綻ばせたのだった。
今回で、「第一部:“虹の瞳”を得るまで」は終了となり、連続投稿も一旦お休みとさせて頂きます。第二部は少々合間が開くことになるでしょうが、いずれ発表させて頂く予定です。
ともあれ、楽しんで頂けたのなら幸いです。