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“虹の瞳”と呼ばれるまで  作者: 夜夢
第一部:“虹の瞳”を得るまで
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第七章:衣装選びと“虹色”の瞳

 ……ゴトゴトゴト……



 何処か竜や蛇の瞳を連想させるティアスの銀色の瞳を見詰めていたラティルの耳に、不意にくぐもった鈍い音が捉えられた。それは何かを引き摺る様な音が響いていた。その音と共に、廊下を叩く硬い靴音も聞こえて来た。

 靴音等は間もなくして止まり、部屋の扉が開かれた。


「目が覚めたそうだな……」


「えぇ……」


 部屋に飛び込んで来たのは、漆黒の人影であった。

 その人影とは、光沢のある漆黒の鎧に身を包み、夜空の如き深みのある美しさを宿す艶やかな長い黒髪を靡かせた麗しき女騎士であった。その手には、何故か大きな車輪付きの旅行鞄が引き摺られていた。



 この部屋にやって来た黒髪の人物は、ラティルにとって一応は初対面となる人物であった。


 しかし、その名声は良く知っており、遠目に眺める機会は幾度となくあった。更に加えるなら、その鮮烈な印象を与える美麗な容姿は、彼――いや、彼女にとって良く知る人物と瓜二つと言って過言ではない面立ちであった。


 だからこそ、彼の人物の正体を、ラティルは即座に悟ることが出来た。


「……!……あっ、貴女は……セイシア様……?

 あ、あ……騎士団副長の……?」


「ん?……あぁ、そうだが……それが何か……?」


 唖然とした様子で問いの言葉を漏らすラティルに対し、さほど気にした様子を見せず返答の言葉を紡いだ。その返答に、予想していたとは言えラティルの目は驚きで大きく見開かれることになる。


(……では、やはり……レインさんのお母上……!)


 目覚めてより目まぐるしく推移する事態が、自身の予想を遥かに超えていた所為もあってか、ラティルは暫し呆然と、その動きを停めていた。



 余りの事態にラティルの思考が停止した状態の中にあっても、それに頓着することなく夫婦でもある二人の会話は進んでいた。

 大きな旅行鞄を抱えて入室するセイシアに向けて、ティアスより声が投げかけられる。


「少し、遅かったですね……」

「何言ってる!……練兵場にメイが呼びに来たから、家に帰って、これ持ち出して、ここまで駆けて来たってのに、そりゃないだろ……」


 夫であるティアスの言葉に、セイシアは若干不貞腐れた様子を窺わせる声音で言葉を返した。そんな彼女の返事に対して、ティアスより言葉が返される。


「……それは確かに、そうですね……所で、あの子には……?」


「それに抜かりはないから安心しろ……メイが呼びに来ていたことも気付いていない筈だからな……」


「それは良かった。

 では、こちらの準備を始めましょうか……」


「そうだな……あの子はいつも通りにここに来る筈だからな……早くしないとな!」


 ティアスが投げかけた問いに、セイシアは些か自慢げな様子で答えを返した。そうして視線を交し合った二人は、愉しげに頷きを交わして何処か含みのある笑みを浮かべていた。


 何処か愉快そうな二人の会話を聞くとはなしに耳にしていたラティルは、不意にティアスより声をかけられる。


「ラティル君、こちらに来て準備を始めましょう」


「え?……書院長、何の準備でしょうか……?」


 その言葉に、一瞬キョトンとしたラティルは問いの言葉を漏らした。そんな彼女に向けて、何処か愉しげな笑みを浮かべた書院長より、簡潔で意外な問いの答えが返された。


「貴方がレインに告白する準備ですよ」


「…………えっ……?」


 その予想外と言える返答の内容に、ラティルは再び思考は停止し、その身は硬直する。


 しかし、そんな彼女の様子に頓着する様子もなくセイシアは部屋の中を進み、硬直するラティルの手を掴んだ。そうして、セイシアは彼女へ声をかけた。


「さぁ、立って!」


 そう言って、セイシアはラティルの身体を引いて、寝台から立ち上がらせる。そして、そのまま部屋の中央に立つように促す。

 そうした上で、セイシアとティアスは持って来た旅行鞄を開いて、中身を物色し始めた。


 そんな二人の姿を呆然と眺めていたラティルは、唖然とした様子のまま問いの言葉を紡ぐ。


「え?……あの、セイシア様?……書院長?……一体、何を……?」


 そう問いの言葉を投げかけるラティルに対して、鞄の中身を取り出しながらセイシアが答えを返した。


「着替えるのだよ。どうせなら、目一杯綺麗に見せないとな……

 お!……これなんかどうだ……?」


 そう言って、彼女が掲げたのは胸元から肩にかけて大きく開いたワインレッドのワンピースドレスだった。それは、かなり扇情的な……或いは、過激な意匠が施された代物に感じられた。そして、神官として基本的に慎ましい生活を送ってきたラティルにとって、袖を通すことなど思い付きもしない衣装であった。


「…………!」


 その過激な衣装を目にして、絶句するラティルの傍らより声がかかる。


「セイシア、ラティル君はまだ女性としての身体が出来ているとは言い難いのですから、それなりの体型を要求する衣服は魅力を半減させてしまいますよ……

 もっとおとなしめの衣装の方が……」


 そう口にするティアスの手は、件の旅行鞄の中身を探っていた。

 その姿を見下ろしたことで、この着替え騒ぎに書院長も一枚噛んでいることに、ラティルは今更ながらに気付き、二の句を継ぐ気を失せてしまっていた。


 そんな憮然としたラティルに向けて、ティアスは鞄の中身の一つを取り出して見せた。


「ラティル君、これなどは如何ですか?」


 にこやかな笑みを浮かべてラティルへと示されたのは、薄紅色のフリルが多用された衣装であった。それは、見るからに少女趣味な代物に見受けられた。

 自分がそんな(少女趣味な)衣装を纏った自分を想像して、何度目かの絶句をしているラティルの耳に、今度はセイシアの声が届く。


「おい、ティアス!……それは流石に子供っぽ過ぎる!……

 もっと、こう……色気のある物にしなきゃな……」


 そう言いつつ、セイシアが旅行鞄の中身を探っている。そして、鞄の中身を探る彼女に向けて、虚空より声がかかる。


『……どちらにしろ十分に女らしい服を選んでやれよ……中途半端な衣装だと踏ん切りがつかないだろうからな……』


「……それは、経験からの言葉でしょうか……?」


『……フフッ……まぁな……』


 虚空よりの声にティアスが問いの言葉を紡ぐ姿を横目に見たラティルの視界には、苦笑を浮かべて虚空を漂うセイシアに良く似た漆黒の鎧を纏い銀翼を持つ女性の聖霊の姿が映った。おそらく、セイシアの守護聖霊であろうと推測された。


(……セイシア様の守護聖霊も絡んでいる?…………それに……リュッセル(私の守護聖霊)まで…………)


 その傍らには、やや華美な吟遊詩人の衣装を纏う男性の聖霊が愉快そうな笑みを浮かべて、彼女達を見下ろしていた。それはラティルの守護聖霊――リュッセルの姿であった。


 ともあれ、ラティルの為の衣装を見繕うと言う大義名分の元、彼女を着せ替え人形としたコアトリア家の夫婦等の語り合いは続けられた。



 “厳格でありながら慈悲深き心を持つ神官の鑑”と崇敬していたティアス=コアトリアと、“華やかで美しくも鍛え上げられた刃の如き心根と強さを宿す騎士の鑑”と尊敬していたセイシア=コアトリアによる益体もない語り合いは、当事者たるラティルを半ば放置したまま延々と収拾の目処を見せぬまま、ラティルの眼前で繰り広げられて行った。


(あ、あぁ…………ど、如何して…………)


 そんな二人の語り合いを、聞くとはなしに耳にすることになったラティルは、心の中の大事な何かが脆くも崩れ落ちて行く音を聞いた――気がしていた。



  *  *  *



 唖然呆然と言った態で、ラティルはティアスとセイシアのなすがままにされていた。

 そんな時間が一頻り過ぎた頃、扉を叩く小さくも澄んだ音が響いた。



 ……コンコン……



 その音に、部屋の入口へと首を巡らせたラティルは、部屋の扉を僅かに開いて身の覗かせる少年の姿を目にすることとなった。


「……ねぇ、準備出来た……?

 そろそろ、姉様がやって来るよ……」


 声を潜めて、忍び込む様に部屋へと入って来たのは、ラティルも良く知る“虹髪”の少年――メルテスであった。そう言って部屋に入り込んだメルテスは、部屋の中央に立つ人物の姿を目にして大仰に身を仰け反らせる様にして喚声を上げる。


「うわぁお!……っと、静かにしなくちゃね……」


 そんな彼の反応に、恥ずかしさから赤面して俯いたのは、ラティル=ウィフェル――その人であった。

 彼女の身には、一頻り続いた着せ替え人形状態によって選び出された清楚な愛らしさを漂わせる純白のワンピースが着付けられており、更には旅行鞄の中に入れてあった化粧道具を用いて、セイシアが手ずから無駄に華美とならぬ程度に、それでいて彼女の魅力が映える様に化粧が施されていた。


 そうして、そこに立っている人物は、楚々とした清らかさを感じさせながら、そこに華やかな魅力を垣間見せる美女としてメルテス達の目には映っていた。



 メルテスの喚声に、思わず顔を俯かせたラティルに向かって、セイシアより声がかかる。


「ほら!……顔を伏せるな、ちゃんと顔を上げろ!」


「は、はい……」


 叱咤とも聞こえるセイシアの声に、身を打たれた様に素早く顔を上げる。

 その彼女の顔を軽く一瞥したセイシアは、背後に控えていたティアスに向けて軽く頷いてみせた。その頷きを目にしたティアスは懐より取り出した物をラティルに差し出した。


「……書院長……?」


「御覧なさい。これが今の貴女の姿ですよ」


 差し出された物とは、一枚の手鏡であった。

 差し出されたそれを手に取り、覗き込んだラティルが目にしたのは、美しい顔立ちの女性が自らを見詰め返している姿であった。手渡された物が鏡であり、告げられたティアスの文言の意味する所をある程度理解していながらも、ラティルは鏡面に映る美女が自身の姿であると言う認識を持てるまでに暫しの時間を要した。


「………………え?……これが、私……?」


 意図せず漏れた呟きに、穏やかな声が囁かれる。


「そうですよ……美しいでしょう?」


「……えっ?……えぇ、とても…………」


 囁かれた言葉に、無意識に返事を呟いたラティルは、次の瞬間には盛大に赤面して俯いた。新しい自分の姿に見惚れる余り、恥ずかしい台詞を口にしてしまった格好になってしまったからだ。


 しかし、数拍の間をおいて気を取り直し、ラティルは改めて鏡に映る自分の姿を見詰め直した。

 よくよく見れば、顔の面差しは整えられた美しいものに見えるが、そこに本来の自分の面影を残すものであった。セイシアによる化粧のお蔭で、華やかさが数割増しになっていることを差し引けば、本来の――男性であった自分の顔立ちと大きく変わっていないらしいことが察せられた。


 ただ一点――より正確には二点、明らかに元の自分と異なる箇所を見付けた。それは、その瞳――より正確には、虹彩であった。


「…………“虹色”……?…………あの、この瞳は……?」


 ラティルの瞳は翡翠のそれに似た澄んだ緑色であった筈が、書院長ティアスやその娘たるレインの髪の色の如く、黄金・白銀・黒紫・赤紅・紺青・碧緑・透白の七色が入り乱れる複雑な“虹色”の色合いを宿していた。


「あぁ、それはおそらく術の副作用ですね。私の髪と似た様なものでしょう」


「……副作用、ですか……?」


 戸惑いを隠せないラティルの問いかけに、ティアスはあっけらかんとした様子で返答の言葉を紡いだ。その何処か素っ気ない返答に、ラティルは呆然と鸚鵡返しに言葉を呟いた。

 そんなラティルに向けて、ティアスが言葉を続けた。


「“虹翼の聖蛇”エルコアトルの祝福を受けた者は、時にその髪や羽、或いは鱗等が一時的に“虹色”に輝くことがあるのは知っていますね?

 私の髪は“聖蛇”が直接付与した祝福のお蔭で、“聖蛇”の魔力を宿す“虹色”が定着しています。

 おそらく貴女の場合も、私が施した術と、“聖蛇”エルコアトルに似た私の魔力と言う特殊な条件が揃ったことで、貴女の瞳を染め上げてしまったのでしょう」


 眼前に立つ尊敬する方に施された処置の特殊さを改めて思い知り、ラティルは感嘆の思いを抱き、その光栄に感じていた。



 そうした感慨に浸っていたラティルに向け、ティアスは改めて言葉を紡いだ。


「それでは、心の準備はできましたか……?」


 ティアスの問いかけに、ラティルは再度手にしていた手鏡に映る自らを見詰め、このお膳立てを整えてくれた敬愛するティアス達三人の姿を順々に視線を巡らし、覚悟を決めて言葉を発した。


「……はい……!」



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