第六章:目覚めと“異相体”
「……んっ……う~~ん……」
朝日の暖かさを感じて、ラティルは目を覚ました。
だが、そこは見慣れた神官寮の自室でもなく、神殿内にある仮眠室の類でもなかった。見慣れた家具の並ぶ自室や、神経質な程に整理されたとも感じられる大神殿とも異なり、そこはある種の生活感を漂わせ、不快感を覚えさせない程度の乱雑さを印象付ける簡素な部屋であった。
そんな部屋の様子を寝台から眺めつつ、何故ここにいる理由に関して思索を巡らせる。
(……ここは何処だ?…………確か、“山脈の泉”亭で書院長と話をして…………そうだ!……あの時、書院長から渡された薬湯を飲んで、意識を失ったんだ…………それじゃあ、ここは“山脈の泉”亭……?)
寝起きの鈍い思索の中にいるラティルへ向けて、不意に硬質な声がかけられた。
「メをサまされましたね……おカゲンはイカガですか?」
「…………!」
突然の呼びかけに驚いて、ラティルは声の方へと振り向く。そして、振り向いたラティルは、声の主の姿を目にして言葉を失った。
そこにいたのは、少女の姿をした存在だった。しかし、“人”と呼ぶには些か憚られる存在だった。それは、寝台の傍らに置かれた椅子に腰掛け、侍女用の服を身に纏った木彫りの人形に見えた。
しかし、それが只の木彫りの人形ではないことに彼は気付き、人ならぬ彼女に向けて返答の言葉を紡いだ。
「……あ、あぁ……気分はそんなに悪くないよ……君は、誰……?」
そう口にしつつも、彼女の正体について考察を巡らせた。
(……彼女は……書院長の使い、か?……そう言えば、書院長には西方大陸の失われた技術――魔法機械技術に詳しい友人がいるって、聞いたことがあったっけ……)
そんなことを思いつつ、ラティルは対面する彼女はその技術の産物――魔法機械人形であろうと推測していた。
そんな黙考の中にあったラティルを前にして、人ならぬ彼女は一時黙ったまま首を軽く傾げた姿を見せていた後、返答の言葉を紡いだ。
「ワタシのキタイシキベツバンゴウは、――――――です。……メイとおヨびクダさい。
ワタシはセイジョウにサドウしています」
メイと名乗った彼女の声は、人とは異なる響きを秘めており、水晶を打ち鳴らしたかの如き清涼で硬質な音として響いていた。特に、彼女が口にしたキタイシキベツバンゴウ――機体識別番号の件は完全に聞き取れてはいなかった。魔法機械等が持つ独自の言語――魔法機械語は、それを聞き知る者にとっても酷く聞き取り難いものであると言われていることもあり、仕方のないこととも言えるだろう。
そして、ラティルの返事を待たずして、彼女は席を立ち、彼へと言葉を紡いで行く。
「メをサまされたのをカクニンしましたので、ダンナサマとオクサマにレンラクにマイります。
ラティルサマは、ここでシバラくおマちクダさい」
そう言って、彼女――メイは頭を深く垂れた後、身体を起こして、静かで速やかな足取りで扉の向こうへと立ち去って行った。
立ち去ったメイの姿を見送った後、目覚めてからの驚くべきことが一段落したと感じたラティルは、深く息を吐く。
「……ふぅ…………?」
そうして溜息を吐く中で、無意識にその手は胸元に当てられた。しかし、そこでラティルの腕と胸元より、明らかな違和感……と言うべき感触が伝わって来た。
「…………え?……ええっ?」
狼狽しつつも、ラティルはもう一度、そこへと手を置いてみた。そこには、ささやかなものではあるが、柔らかな膨らみがあることが、胸元に置いた手より感じられた。同時に、胸元より手に触れられていると言う感覚が、その膨らみが間違いなく自らの身体の一部であると訴えていた。
そのことに気付いたラティルは、顔面を蒼白にさせながら自分の手を凝視する。その手は見慣れた幾分華奢ながらもしっかりと存在を主張していた武骨な筋肉はなりを潜め、柔らかで丸みを帯びつつも滑らかで細い腕と、繊細に伸びる細い指と言う造形を持っていた。そして、そんな腕や手を包むのは、白磁の如き透き通らんばかりの美しさと瑞々しさを持つ肌であった。
「…………!」
それは、男性のそれと言うより、別の性別のそれを連想させるものであった。
その腕を凝視しながら、急速に湧き上がる不安感に衝き動かされ、ラティルはその全身を両手で弄り始める。
その結果は、ラティルの蒼褪めた顔面を更に蒼白にさせるものとなっていた。
それは先程まで凝視していた腕と同様に、全身の硬い筋肉が柔らかな脂肪に置き換わっているらしく、丸みのある華奢な体形へと形成している様であった。
更に加えるならば、男性として在るべき物が失われていた。
「……そ、そんな……!…………そんな~~……」
驚くべき事態に愕然と呟きを漏らしたラティルは、この時になって始めて自分の声が変わっていることに気付いた。その事実に打ちのめされ、ラティルは憮然として寝台に突っ伏して顔を埋めた。
* * *
ラティルが自分の身に起こった現状を正しく理解した頃……いや、より正確には身に起きた出来事から陥った恐慌から漸く脱出できた頃……部屋の扉が開いた。
その扉より、彼――今は彼女となったラティルが敬愛する書院長が姿を現した。
ティアス書院長は、穏やかな微笑みを浮かべてラティルへと声をかけた。
「どうです……身体の具合は……?」
そう言って彼――彼女の傍へと歩み寄る書院長の口調や素振りは、ラティルの体調を心配すると言うよりも、何らかの実験で不具合のないことを確認している際のものの様に見受けられた。それに加えて、その表情の中に先程までのラティルの狼狽振りを気付いていたかの様な、悪戯っぽい笑みが若干含まれている様にも窺えた。その表情豊かな面差しを目にして、ラティルはティアス書院長が“両性体”の姿をしていることに気が付いた。
ティアスは、時と場合に合わせて自らの姿を入れ換えていることをラティルは承知している。一般的に、セオミギア大神殿の神官としては“無性体”の姿を取り、私人――或いは新興貴族の一人としては“両性体”の姿を取る場合が多かった。
「……書院長!……こ、これは?…………ま、まさか、あの薬に……?」
ティアスの姿を目にして、ラティルは幾拍かの間狼狽していたものの、次の瞬間にある可能性に気付いて声を上げた。しかし、そうして声をかけられたティアスは飄々とした風情で言葉を返す。
「え?……あぁ、あれはただの誘眠薬ですよ……それがどうかしましたか?」
何処か惚けた調子で言葉を紡ぐティアスの様子に、一瞬虚を突かれた様な表情をしたラティルであったが、気を取り直して書院長へと詰め寄る。
「…………そうではありません!……私の身体に何をしたのですか?」
「……何を、ですか?……“貴方の本当の身体”をどうかした訳ではありませんよ……」
詰め寄るラティルに対して、ティアスはあくまでも惚けた調子を崩すことなく言葉を返した。そんな彼の姿に、ラティルは遂に激昂した声を上げる。
「惚けないで下さい!……それでは、何故、私が女性の姿に…………“本当の身体”……?」
激昂した叫びを上げていたラティルは、その途中で声の調子が尻すぼみに小さくなる。それは、ティアスが返した言葉の中に、不穏な単語が含まれていたことを気付いたからだ。
急速に湧き上がる不安感に衝き動かされ、ラティルは更なる言葉を捲し立てる。
「……“本当の”とは、どういう意味です?……この身体は私の物ではなく、他人の物と言うことですか?……“本当”の私の身体は一体……?」
「……まぁまぁ、落ち着いて……」
驚きや不安感等から詰め寄るラティルを、ティアスは宥める様に声をかけて落ち着かせ、その問いの答えとなる話を語り始めた。
「ラティル君、貴方は私の身体に掛かっている幾つかの“呪い”……或いは、“祝福”……と言うべき魔法効果について知っていますね……?
貴方には、その一つを掛けてあるのですよ…………それが何か、分かりますか?」
「……はい……“複数の姿を持つ”……と言うものでしょうか……?」
ティアスの言葉に、ラティルは頭の隅でちらついていた可能性の一つが閃く。そして、おそるおそると言った様子で言葉を返した。
「……ふむ……正確には、“複数の身体を持つ”……と言うべきですね。
私は本来、“両性”でしたが、エルコアトルは私を育てる際に性別要素のない“無性”の身体にしました。そして、“白竜王”陛下の祝福を得る為にと、私が“有鱗の者”の姿が取れるようにしました。
それらを応用して、私は独自に自身の性的要素等の異なる幾つかの身体を構築することが出来ました。貴方に施した術とは、そう言うものです。
簡単に言うならば、まず貴方の身体を魔法的処置で二つに分け、その一方の身体の男性要素を抜き取り、そこに女性要素を組み込み、もう一方の身体を貴方と重なり合う様に新たに創り出した異空間に封じて、ある手順を踏むことで二つの身体が入れ替わる様にしておきました」
「……手順……ですか?」
ティアスの説明を聞き、ラティルは鸚鵡返しに言葉を呟く。その呟きを耳にして、ティアスは微笑んで頷きを返した。
「えぇ、男性体から女性体になるには魔力を含んだ合言葉を唱える事、合言葉は……」
そう言って、ティアスは合言葉を告げた後、再び説明の言葉を接続けた。
「女性体から男性体になるには基本的に一月半ばかり経てば戻るようにしてあります。一応、こちらも入れ替わる合言葉はありますが……
貴方は私と違って女性要素が極端に少ないので、未だ主に外見的な部分が不完全な女性の形をとっているに過ぎません。ですから、身体が女性の形に安定するまで合言葉を教えない事にします」
ティアスの説明を聞き、ラティルは短い問いの言葉を紡ぐ。
「……では、身体が安定するのは何時の頃になるのでしょうか……?」
その問いかけに、ティアスは顎に手を添えて軽く考え込む素振りを見せつつ言葉を紡いだ。
「そうですね……術を掛けてから一巡り経ってここまでの変化になっているのを見ると女性体で数ヶ月過ごした頃でしょうね……」
「……えっ!……あの日からもう一巡りも経っているんですか……?」
ティアスが紡いだ説明の中に含まれた一つ単語を聞き、ラティルの表情は再度驚きの色に染まる。しかし、そんな彼女の姿と対象的に、ティアスは落ち着いた様子で言葉を返した。
「心配せずとも、私が各所に便宜を図っておきましたから……」
(……昨日のことだとばかり思っていたのに……もうそんなに経っているなんて……)
穏やかな口調で語りかけられる中、ラティルの心中は困惑の余り呆然とした状態となっていた。そんな彼女に向けて、先程と同じく少し悪戯っぽい微笑みを浮かべたティアスより声がかけられた。
「……どうです?……男でもあり、女でもある存在になって……これで、幾らかはレインに引け目を感じなくなったでしょう……?」
そう言ったティアスの銀色の瞳は、愉快そうな輝きを湛えていた。