第三章:“銃使い”の悩み 其ノ二
そして数日の時が過ぎて行った。
この日、ラティルは“山脈の泉”亭へと足を運んでいた。それは、冒険者の店である“山脈の泉”亭が冒険者より買い取った物品を、大神殿が買い取る為である。
* † *
“山脈の泉”亭を始めとする“冒険者の店”と総称される店は、遺跡の探索や秘境の踏破、それに魔獣の討伐等を生業とする冒険者と称される人々を相手にした酒場兼宿屋と言ったものである。
それだけでなく、冒険者への仕事の斡旋や、遺跡や秘境より持ち帰った物品の買い取り等と言った冒険者相手の様々な業務も行っている。
さて、この“山脈の泉”亭は、都市セオミギアの繁華街にある冒険者の一軒である。ここは冒険者の店としては古くからある老舗の部類に入る物であり、セオミギア大神殿との交流も長く続いている。そうした縁もあって、ティアスやラティル、それにファーランと言ったセオミギア大神殿の神官籍を持つ冒険者が、自身の拠点となる店として多く利用している。
そして、冒険者より買い取った様々な物品は、神殿各院にとっても非常に価値ある物が少なからず存在していることもあり、“山脈の泉”亭は、冒険者より買い取った物品を、優先的に大神殿に販売している。
とは言え、当然のことながら、この近辺の治安は、都市の他所と比較すれば悪いと言わざるを得ない。更に言えば、大抵の冒険者は荒くれ者やならず者であるとの偏見がある。ただ、この偏見は、あながち間違いではない部分が多々ある訳ではあるのだが……
そうした事情もあり、“山脈の泉”亭が大神殿に様々な物品を売り渡す際に、この店を利用している冒険者でもある神官がそれ等の受け取りを行うことが不文律として続けられていた。
そして、この日はラティルが神殿への物品を受け取る当番となっていたと言う訳である。
* † *
さて、“山脈の泉”亭の中にいるラティルはカウンターの前に立ち、カウンターを挟んでこの店の店主――ボーエン=モンフォンスと向かい合っている。両者の間――カウンターの上には、幾つかの物品が並べられていた。
目の前に並ぶ物品を一つ一つ確かめた後、ラティルはにこりと微笑んで店主であるボーエンへと声をかけた。
「……古文書6冊に、魔法具2つ……確かに、受け取りました」
微笑むラティルに向け、ボーエンも朗らかな表情で語りかける。
「ご苦労様、ラティル……ついでに、酒場の方に寄らないかい?
特別に、酒一杯と一皿目のつまみは、ただにしておくよ」
ボーエンの提案に、ラティルは驚愕に目を丸くして声を上げる。
「とんでもない!……神官が、こんな、まだ日が高い内に酒場で酒を飲むなんて……
第一、貴重な史料を預かっていることですし、夕方にでも改めて来ますよ」
「そうかい?……しかし、ここに来た神官達の大抵は、一杯ひっかけてから神殿に帰っているがね……」
「………………」
ボーエンから返された言葉に、ラティルは唖然とした様子で立ち尽くしてしまったのだった。
彼等――冒険者としての経験を持つ神官達には、破天荒な性格の人物が多いと言うのは、ラティルも聞き知っていたつもりだったが、ボーエンの言葉で改めて思い知らされる格好になったのであった。
* * *
その日の夕刻、ラティルは約束通りに“山脈の泉”亭を訪れていた。
店主のボーエンは、昼時に訪れた約束通りを守ってか、気前良く今日は金の支払いは構わないと言って来た。しかし、ラティルはこれに譲らず、支払うことを主張した。
そこで折衷案として、ボーエンは格安で酒や食事を振る舞うことを提示して落ち着くこととなった。
ともあれ、そうした一悶着の後、彼はカウンターに座って対面するボーエンと最近の店の様子等を聞きながら、出された食事と酒に舌鼓を打っていた。
……カラン、カラン……
そこに……店の扉を開く時になる鈴の音が響いた。
続いて元気の良い男声が店の奥へと届いた。
「おやじさん、なんか旨い物貰えるかい?」
振り返ったラティルの視界に映ったのは、数人の若い男達であった。
店内に入って来た彼等は、一見した所ではラティルと同年代かそれより年若い印象の者達であり、白地に淡青色の縁取りの意匠を施した騎士服らしき物を纏っていた。おそらくは、この国の国軍たる“白牙騎士団”の新米騎士か騎士見習いと言った所だろうと思われた。
彼等は酒場の中央辺りへと歩を進め、そこで開いていた卓の一つに座り談笑を始めた。そして、談笑する彼等の許に、給仕の娘の一人が歩み寄って行く。
「………………!」
そんな一行の姿を何気なく眺めていたラティルは、次の瞬間、ある一点で目が離せなくなってしまった。
その一点とは、談笑の輪の中に存在する“虹色”の髪を持つ若き騎士の姿であった。
それは誰あろう――レイン=コアトリアその人であった。
(……何故、レインさんがここに?……って、ここは彼女の馴染みの店だものな……)
最初の衝撃から立ち直った彼は、憮然として溜息を吐いた。
彼女――レイン=コアトリアは、冒険者として活動してはいるが、本来は“白牙騎士団”所属の騎士であり、特に市中の治安維持を主任務とする第十番隊の一部隊を率いる立場でもある。
冒険者としての拠点でもあるこの店に、市中巡回の終わりにこの店に立ち寄ることは十二分にあり得る事態と言えた。
ともあれ、そんなことを考えている間も、ラティルはレインから視線を外すことが出来なかった。
故に、自身にとって不愉快な情景を見てしまうこととなる。
まず、輪を囲む騎士達の顔触れだ。彼が名を知る様な人物が混じっている訳ではなく、未だ無名の人達だろうと思われた。しかし……
(……うぬぬ……あの騎士は体格が良いな……あ、あっちは結構美形だな……)
そこにいる騎士達と自分を比べて、自身の劣等感を刺激されてしまう。
何と言っても、騎士達は日々の鍛練を欠かさないこともあって、均整の取れた体格をしており、そんな彼等に比べれば、ラティルの身体は貧弱なものと言わざるを得ない。更に言えば、庶民出身で平凡な容姿の自分に比べて、騎士達は殆どが貴族出身である影響か整った容貌を持つ者が多い様に感じられた。
そうした後ろ向きな思考の中で、彼等を見詰めていたラティルは更に不快な情景を目にすることになる。
(……あ!……肩に手をかけて馴々しいぞ!…………落ち着け……落ち着け、あれは同僚への親愛を示した行為だ……きっと、その筈だ……多分……)
酔った勢いからか、輪の中でも年上らしい騎士が彼女の肩を組んで話しかけていた。その騎士にしてみれば、それは単に親しい同僚へ向けた軽いスキンシップの類に過ぎなかった。
しかし、そうだと半ば承知していても、彼の心中は穏やかなものとは言い難い状態となりつつあった。
そこへ更に、彼の眉を顰めさせる情景が加わることとなる。それは、酒と料理を運んできた給仕の娘が、うっとりとした様子でレインを見詰めている姿であった。
(あ!……こら!……レインさんに色目なんか使うな!………………って、なんで僕は女の人にまでやきもちを妬かなくちゃなんないんだ……)
当の給仕の娘へ、射殺さんばかりの鋭い視線を一瞬向けたラティルは、次の瞬間には我に返って、自己嫌悪に陥ることとなった。
暫しの間、悄然と項垂れていたラティルは、やがてその頭を上げて店主へと声をかけた。
「……ボーエンさん、今日はもう帰りますね」
「おやおや、食事も半分も食べてないのにかい?」
ラティルの声を聞いた店主――ボーエンは、顔を僅かに曇らせつつ言葉を返した。そんな彼の言葉に対して、覇気のない声音が返される。
「もう、満足ですし……それじゃあ……」
「ふむ……」
短くも素っ気ない返答を紡いだラティルは、代金をカウンターに置いて席を立った。
そんな彼の様子に些か心配な面持ちでボーエンは、店を出て行く彼をカウンターより見送ることとなった。店の常連でもある彼の元気が無くなった訳は、店を見渡せばそれとなく察することは出来たのだが、巧い言葉をかける機会を逸してしまったらしい。
暫く渋い顔をして見せたボーエンであったが、程なくして夕暮れの書入れ時となり、そんな顔をしていられなくなっていたのだった。