【一】
とある宗教における象徴的存在として広く世界に認知される、聖女と呼ばれる人間があった。
その大陸において絶大な知名度を誇る存在であるのだが、しかし、《ジュミルミナ》の聖女と呼ばれるその女は――たった齢九つの、少女だった。
聖女の役割は単純だ。
見て思い純粋に感じたことを、ただ言葉にする。
それだけ。
◇
私はノクスウェル家に政略結婚を目的として嫁ぎました。
互いのお家の、影響力の増強を目的とした婚約ではありましたが、私はそのことに前向きでありました。そしてリオンもまた、お家の責を全うすることへのポジティブな意欲を、私を想う言葉と共に伝えてくれた。
「互いを支え合い、尊い理性で愛し合える。僕たちなら、それが出来ると知っているよ。ソフィア、共に歩んでいこう」
あの日の私は、その言葉を信じた。
しかし私の信頼が揺らぐのに、時間はかかりませんでした……。
「少し、彼女の体調が気になる」
「今日はエリナの様子を見に行きたい。しばらく顔を見ていなかった」
「一昨日、会いに行くと約束をしたんだ。すまない、少し屋敷を空けるよ」
リオンの幼馴染であるエリナのことは、当初は、人間関係とは夫婦仲のことだけではないと、そのようなものだと受け止めておりました。しかし、リオンの彼女に対する、過ぎた慮りの寄せ方を目の当たりにするうち、次第にそのようには思えなくなっていました……。
「今から少し出る。エリナの体調が優れないようだ」
「そんな……リオン! これからロスタロト家の開く晩餐会があるのよ。気持ちは分かるけれど、エリナの元へはあとで――」
「ロスタロト家の主催とはいえ、今回は近日の重要に関わる特別な催しではない、すまないが僕は席を空ける――」
エリナの身体が悪いことは本当で。
それを心配するのは、きっと尊いことで。
エリナにはきっと助けが必要なことも、真実だった。
けれど――。
「ソフィア、すまない……。今回のことは、私が悪かった。我を忘れていた……」
「…………。分かったわ、今回だけよ、リオン」
……ハッキリと、言葉にするべきだったのでしょう。
しかし、私はそこで言葉を飲み込んでしまった。
あの時の私は弱かった。
「本当にすまない、ソフィア、エリナの元へ向かいたい。埋め合わせは必ずする……分かってくれるだろうか?」
私はなぜ、彼の彼女へ対する慮りが過ぎていると感じたのか。
ハッキリと言葉にするべきだった。
ある日。
どうにも心配であると、リオンがエレナの屋敷に泊まったその日は、私は搔きむしられるような胸中に襲われた。
そして、とうに気づいていたことを、改めて突き付けられました。
互いが望み進む道のために、愛し合えることを願うという、あの言葉自体はきっと、真実ではあったのでしょう。
しかしリオンの胸中の、中心に、いつでもあったのは――そこにいるのは。決して、“私たち”の見据える道でもなく、そして私ではなかった。
まるで――幼馴染を何よりも優先する婚約者との日常は、『彼の美しい物語』で。
私は、その背景のようでした。
今日も、彼は私の言葉を軽く振り切って、夜遅くまでエレナの屋敷へ赴いている。
尊い理性で愛し合えるという、最初の約束は掠れていった。
最初から軋轢を招こうと、言葉にすべきだった。――けれど、もう、全ては遠く霞んだというのなら。
…………私は、私の人生を、私の責において、自身の足で、歩み出さなければいけない。
「リオン」
帰ってきた彼に、私は端的に、告げました。
「婚約破棄を、しましょう」




