折角、適応障害になったので
折角、適応障害になったので、適応障害がテーマの小説を書こう。
そう思ったのは、大学院2年の春だった。
きっかけは単純で、担当教授とうまく信頼関係を築けなかったことと、どうにも実力が足りなかったこと。
気づいたら、学校へ向かう電車の中で涙が止まらなくなっていて、途中駅で降りた。
ただ立っているだけで息が詰まりそうで、あ、これもう無理かもと思った。
でも、そんな時だった。
心のどこかでふと、いや、これネタになるんじゃないか?とひらめいたのだ。
創作ブームが自分の中で来ていたタイミングだったから、たぶん脳が逃避と創作を混同していたんだと思う。
けれどその混同が、救いだったような気がしなくもない。
泣いてる自分を、どこかで他人のように見つめながら、主人公がこんな状況になったらどう描こう?とか考え始めていた。
気づいたら私は、主人公を適応障害にして、どう生きてゆくか妄想した。
実際に小説を書いてみると、自分の感情はぜんぜん整理できなかった。
でも、書きながら、この主人公には幸せになってほしい、と心から思った。
その瞬間だけ自分の未来も、少しだけ明るく思えた。
登場人物の幸せを願うということは、どこかで自分の幸せも願っているのかもしれない。
創作って、本当に不思議だ。
悲しかったことも、つらかったことも、書き出すと形が変わる。
悲劇が物語になり、絶望がセリフになる。
気づけば、痛みはネタになって、物語の中で息をしている。
もちろん、誰もがそう思えるわけじゃない。
現実には、書けないほど辛いこともある。
私もたまたま、書くことで少しだけ呼吸ができただけだ。
書けなくても、物語のネタにしても、生きてるだけで、もう私という物語の途中だ。この痛みごと抱えながら、生きていくしかない。
泣いて、休んで、ちょっと笑って、たまに辛くて。
そして今日もまた、私は適応障害になった主人公の続きを書く。
私という糧が、この主人公の未来を明るく灯すと信じながら。
というわけで、適応障害になった主人公の再生とも似つかない話が出来ました。もしよかったらご一読下さい。




