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嘘から始まる異世界二重生活  作者: 遊坂ねこすけ
最初の嘘と初めての異世界転移。そしてカレーを作る
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第9話:突然の帰還

「おい、どうした? 急にぼーっとして」


 田辺はジョッキを軽く傾け、中のビールを揺らしながら、グラスの中で泡が弾けるのをぼんやりと見ていたが、俺の不穏な様子に気づいたのか、眉をひそめ、少し身を乗り出して俺の顔を覗き込んできた。


(……な、なんで戻ってきた?)


 あの村はどうなった? 盗賊団は? セシリアは?


 頭の中で混乱が渦巻く。


「お前、顔色悪いぞ。酔っちまったのか?」


「あ……いや、なんか……」


 口を開きかけたが、喉が詰まるような感覚に襲われた。

 唇が乾いて、うまく声が出ない。

 焦るほどに、息が浅くなる。

 思わず手元のジョッキを掴もうとするが、指が軽く震えているのがわかった。


 ……時間は? どれくらい経った?


 俺はスマホを取り出し、時間を確認する。


 ——21時30分。


 おかしい……


 異世界で過ごした時間は、どう考えても3日はあった。

 だが、スマホの時計は、俺が居酒屋にいた時間と、恐らく変わっていない。


「お前、顔色マジで悪いぞ。いや、悪いっていうか……なんか変だ。どっか具合悪いのか?」


「……いや、大丈夫。ちょっと疲れただけだよ」


「ならいいけどよぉ。ほんとに無理すんなよ?」


「あ、ああ……悪い、ちょっと考えごとしてたんだ」


 田辺は”なんだそれ”と苦笑しながら、ジョッキをグイっとあおった。


「まぁ大丈夫ってなら、それでいいけど。そろそろ帰るか?」


「……ああ、そうするか」


 椅子を引いて立ち上がると、一瞬だけ足元がふらつく。

 意識ははっきりしているはずなのに、頭が異様に重い。

 田辺はそんな俺の様子を見て、怪訝そうに目を細めた。


「なあ、本当に大丈夫かよ?」


「すまん。ちょっと酔いが回ってるみたいだ」


 強引に言い訳しながら、俺は田辺と共に店を出た。



 店を出ると、ネオンの明かりが目に入り、都会特有の喧騒が耳を打った。


 通りには飲み会帰りのサラリーマンが笑い合い、スマホをいじりながら歩く人がすれ違う。

 どこにでもある、見慣れた光景。

 だが、妙に今は落ち着かない。


「なんか、息苦しくないか……?」


「どうした? マジで体調悪くなっちまたか? どこかで休むか?」


 田辺が心配そうにこちらを見たが、俺自身も自分の状況をうまく説明できなかった。

 そう、まるで自分がこの世界に”戻ってきた”こと自体に、身体がついていけてないような——そんな感覚だった。


 現実世界——そう言わざるを得ないこの世界の街並みが、どこまでも普通に広がっている。

 コンビニの明かり、車のヘッドライト、道行く人々の笑い声。信号が青に変わり、歩行者が一斉に動き出す。

 その何気ない日常の光景が、今はどこか遠い世界のもののように感じられた。


(……本当にあの出来事は夢だったのか?)


 ポケットをまさぐる。

 服も元通り、スマホも財布もそのままだ。


「だけど、どう考えても、夢、じゃないよなぁ」


 あまりにもリアルすぎる記憶と痕跡に、俺は異世界での出来事を夢と片付けることができなかった。



「……ただいま」


 玄関の鍵を開け、電気をつける。

 誰もいない家。

 普段なら当たり前の光景なのに、今はやけに寒々しく感じる。


 俺は靴を脱ぎ、ダイニングに向かう。

 キッチンのコンロには昨日のままの鍋が置かれ、リビングのテーブルには読みかけの小説が伏せられている。

 何も変わらない、いつもの俺の部屋——なのに、どこか居心地が悪い。


 ここが"本来の世界"なのに"帰ってきた"という感覚が薄いのはなぜだろう?

 ソファに腰を下ろし、深く息を吐く。

 いつもなら安心できるはずの自分の部屋なのに——まるで、ここが"俺の居場所じゃない"ような感覚に襲われた。


 俺は深く息を吐きながら、スマホを手に取った。


「……少し整理してみよう」


 俺はスマホのメモ帳を開き、記憶を書き留めることにした。


 ①確かに異世界にいた。

 ②森の中で黒狼に襲われ、セシリアという冒険者に助けられた。

 ③セシリアと共に辺境の村に向かい、村人たちと関わった。

 ④俺は"渡界者とかいしゃ"と呼ばれる存在と認定された。

 ⑤盗賊団の襲撃が迫り、防衛策を考えた。

 ⑥セシリアと一緒に料理を作った。そして——カレーを食べた瞬間、帰還した。

 ⑦現実世界の時間は、一切進んでいなかった。


 書いたメモを見返しながら、疑問を口に出してみる。


「……どうやったら、もう一度行ける?」


「カレーを食べた瞬間に帰還した……ってことは、それが帰還条件なののか?」


「じゃあ、次に行った時もカレーを作れば帰れるのか?」


「食べた料理が関係? それとも、俺が異世界で何かしたのが原因に?」


「いや、俺の行動が帰還の条件とは限らいないな。別の誰か……もしくは事象?」


「……でも、それって全部確証がないことだよな」 


「つまり、また行ったとして、帰れるとは限らない……」


 天井を見つめながら、心の中を整理していく。


 ——もう一度行って戻れるとして、俺は本当に行くべきなのか? 行きたいのか?

 ——セシリアは、村は、俺がいなくてもどうにかなっているかもしれない。


 ——だが、もし……もし俺が必要とされていたとしたら?

 ——俺が行かないことで、あの村が、セシリアがひどい目に合うかもしれない。


 無意識に、拳を握っていた。

 まだ答えは出せない。

 だが、一つだけ確かなことがある。

 俺は、このまま何もしないでいることが、とても恐かった。


「……くそっ」



 こうして、俺の最初の異世界転移は幕を閉じた。


 だが、それが終わりではないことを、俺はまだ知らない。


 いや——知らなかっただけなのかもしれない。

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