第8話:戦いの前の準備と特別な料理
日が沈んでいくと同時に、村人の表情もまた同じように沈んでいくように見えた。
防衛策を築いているときとは違って、村人たちの表情には不安の色が徐々に滲んでいく。
「本当に戦えるのか?」
「俺たちで守りきれるのか?」
そうした声が広場のあちこちで聞こえてきた。
それも当然だろう。
時間とともに”村が盗賊に襲われる”ということが、現実味をもって実感されてくるのだからな。
緊張した空気が村全体を覆い、聞こえてくる会話はどこかぎこちない。
中には武器を持つ手が震えている者もいる。
これでは戦う前に自ら崩壊してしまうかもしれない。
「マズい……士気が落ちてきている」
俺は腕を組んで考え込んだ。
さらに村人たちは、朝早くから防衛のための作業を続けていたから、疲労も目に見えて蓄積している。
だが、そ何より問題なのは、いつ来るかも分からない敵への恐怖心だ。
「さて、どうしたものかね……」
と呟いた俺の隣で、セシリアが考え込むように視線を落としていた。
彼女は何かを思案しているようだったが、やがて縋るような顔で俺を見上げる。
「ナオヤ、どうすればいい?」
「ああ……こういう時に大事なのは、腹ごしらえだ」
「……え?」
セシリアだけでなく、近くにいた村人たちも一斉にこちらを見る。
「腹が減っては戦はできぬ、ってね。みんな緊張と恐怖で士気が下がっているんだ。だったら、旨いものを食って楽しめばいい!」
「ふむ……確かに、満腹ならば気持ちも安定するが……それだけで士気が上がるものなのか?」
「ああ。間違いなく上がる。人間、美味いものを食えば元気が出るんだよ」
俺の言葉に、セシリアはしばらく考え込んでいたが、やがて小さく頷いた。
「わかった。ならば、何を作ろう?」
「そうだな……村にある食材次第だが、できるなら、カレーに近いものを作りたい」
「カレー? なんだそれは? 聞いたことのない料理だが……」
セシリアが首を傾げる。
「俺のいた世界の料理だよ。香辛料を効いていてとにかく美味い! 食欲が促進されるし、めちゃくちゃ元気が出る料理だよ」
「そんなものがあるのか……!?」
興味津々といった表情のセシリア。
「まぁ、食べればわかるさ。まずは食材を集めてみようか」
◆
村人たちに頼んで、使えそうな食材を集めてもらった。
野菜や干し肉、豆類、スパイスらしきものもある。
「へぇ。意外と揃うもんだな……これなら、十分にカレー風のものが作れそうだ」
「ナオヤ、私も手伝おう」
セシリアが手を挙げる。
「セシリアさん……あんた料理できるのか?」
「もちろんだ! こう見えても、庶民に溶け込むために色々挑戦しているのだ!」
「庶民に溶け込む? よく分からないが、手伝ってくれるならありがたい。頼むよ」
俺は少し不安を覚えつつも、一緒に作業を開始することにした。
◆
異世界の食材を前に、俺は少し戸惑った。
玉ねぎに似た野菜はあるが、切ってみると中から粘り気のある液体が滲み出してくるし、ジャガイモらしき根菜は、皮が異様に硬く、剥くのにひと苦労だ。
肉は干し肉がメインだが、そのままでは硬すぎる。少し湯に浸して戻してから、火にかける必要があるな。
俺は慎重にナイフを握り、異世界の食材と格闘しながら、なんとか調理を進めていった。
「おいナオヤ、なんだか苦戦してるな?」
「まぁな。こっちの食材は勝手が違うから……でも、大丈夫。なんとかなるさ」
ナイフを握り直し、根菜を薄めにスライスして鍋へ投入する。火の通りを均一にするため、普段よりも薄めに切るのがポイントだ。
肉も程よく水分を含んできたところで、鍋に移し、じっくり炒めていく。
異世界のスパイスらしきものを適量加え、カレーっぽくなるように香りを確かめながらかき混ぜる。
ジュウゥゥ……と、いい音とともに、スパイスの香りが立ち上る。
「おお……これは!」
村人たちが驚いたように鍋を見つめ、期待に満ちた表情を浮かべる。
「ふふーん、どうだ! これが俺のカレー……いや、カレー風スープの香りだ!」
俺は得意げに鍋をかき混ぜながら、次の工程へと移っていった。
村人たちも手伝いに加わり、次第に広場が活気づいてくる。
「おお、なんだか楽しそうじゃねえか」
「これは……いい香りだ!」
鍋の中でスープが煮立ち、香ばしい香りが立ち込める。
「これは……確かに士気が上がる気がするな。温かい食事は、気持ちを落ち着かせてくれるし、心にも活力を与えてくれる」
セシリアが興味深そうに鍋を覗き込む。
「で? これがカレーなのか?」
「正確には“カレー風スープ”だけどな。だが、味は保証するぜ」
村人たちは、鍋から漂うスパイスの香りに期待を膨らませている。
少し前まで沈んでいた空気が、一変して前向きなものに変わっていた。
「これなら、戦いの前に気持ちが引き締まるな!」
「まるで宴会の前みたいだぜ! こういう雰囲気なら、何があってもやれる気がしてくる!」
村人たちが笑顔を浮かべ、明るい雰囲気に包まれる。
◆
そして、いよいよ実食!
「いただきます!」
俺が一口食べた、その瞬間だった。
——視界が歪む。
——耳鳴りがする。
——強烈な浮遊感とともに、全身が包まれるような感覚。
「え……?」
次の瞬間、俺は見慣れた光景の中にいた。
居酒屋のカウンター。
手には、さっきまで握っていたスプーンがない。
そして、目の前には——
「おい、大丈夫か?」
田辺が、怪訝そうに俺を見つめていた。
「……あれ?」
状況が飲み込めない。
さっきまで俺は……異世界で……カレーを作っていて……
「なんで……戻ってきた?」
そう、俺は異世界から——元の世界へと、帰還していたのだった。